13. 忘れられないサイラス②
好きという感情を見せられない。家族の前だと特にそう。これ素敵と言ったものは、妹のものになるから。
「やっぱり、そっちがいいですわよね。姉さまが選んだものなら間違いありません」
妹がそう言うので、妹に似合いそうなものを真っ先に手に取るようにしている。自分が好きなものは、こっそりと手に入れる。
小さいときは大変だった。髪を飾るリボン、首飾り、ブローチ、指輪、絵本、人形、靴、ドレス、帽子。大切にすればするほど、妹に執着され、最終的には泣き落としで取られる。
「マーゴはお姉さんなのですから、ララにあげなさい」
両親は、どうして妹のララを優先するのだろうか。ララが金髪でかわいらしいから? 青い目に涙が浮かぶとキレイだから? 髪と目が茶色だと、魅力がないの?
両親も妹も、悪気があるわけではないのが悪質だ。悪いとちっとも思っていない。むしろ、選択眼の良さを褒めているつもりさえあるみたい。
いつからだろうか。すっかり諦めてしまった。気力を無駄に使いたくないので、妹対応がどんどんうまくなる。ララが好きそうな色、素材、デザインのドレスをまず試着する。ララの顔が輝く。
「わたくしより、ララの方が似合うわ。こういう華やかでかわいらしいドレスは、わたくしの顔には合わないのね」
しょんぼりしつつも、ちょっとおどけて見せる。その後、ララにねだる。
「ね、ララが着ているところを見たいわ。着てみせて」
「姉さまも似合ってたと思うけれど。そうね、そこまで姉さまがすすめてくれるなら、試してみるわ」
新しいドレスを着て、花の妖精のように愛らしいララを褒めちぎる。ララが満足したところで、地味で目立たないドレスを自分用に選ぶ。世の中には、新しいドレスなんて買えない人がたくさんいるのだもの。地味だって、いいの。それで十分、幸せなの。
これが普通じゃない、こんなのよくないって教えてくれた人がいたのは、幸運だった。
「マーゴお嬢様が不憫すぎます」
マーゴつきの侍女はいつもそう言って、マーゴの代わりに怒ったり泣いたりしてくれる。
「旦那様も、奥様も、ララ様も。マーゴ様の気持ちをないがしろにして、踏みにじって、それに気づいていないのです。許せません」
ふたりきりのとき、侍女のハンナがマーゴの内面を言葉にしてくれる。それで、マーゴは随分救われた。
「やっぱり、そうよね。おかしいわよね?」
「おかしいですよ。私、このお屋敷で働き始めてから、はらわたが煮えくり返る毎日ですもん。うちは大家族なんですけどね、うちの両親はあんなことしません。そりゃあ、下の子には多少譲ってやれって感じはありますよ。でもねえ、なにもかも、いつも、ではないですよ。それじゃあ、上の子がやってられませんもん」
ハンナは平民なので、興奮すると言葉が乱れる。真心が伝わってくるので、マーゴは好きだ。ハンナがいてくれなかったら、マーゴはこれが普通なのだと思って育っただろう。
家庭教師の先生もとても助けになった。先生は世慣れている人なので、それとなく両親に改善を求めてもくれたらしい。
「マーゴさん、あのね、あなたの置かれている環境。そのう、全てにおいてララさんが優先される家庭状況ですね。どのように思っていますか?」
「こんなの、おかしいなと思っています。でも言っても分かってもらえないので、諦めました」
先生はため息を吐いて、メガネをはずしハンカチで磨く。
「ご両親にお話ししてみたのよ。これは普通ではありませんよと。姉妹は平等に扱われるべきですよと。ところがねえ、ご両親は公平にしていると信じていらっしゃるようなの。伝わらなさ過ぎて、徒労感に襲われました。また機会を見て話してみますが」
マーゴは嬉しかった。ちゃんとした大人が、マーゴのために声を上げてくれたのだ。状況は変わらなかったけれど、強い味方ができてマーゴは嬉しかった。先生はその上、友だちまで紹介してくれた。
「マーゴさんと気の合いそうなご令嬢がいるのよ。マーゴさんには、ご家族以外の人間関係が必要だと思うの。どうかしら?」
「嬉しいです。でも、緊張します」
「歴史と法律の合同勉強会ということにしましょう。それなら、ララさんは参加したいと思わないでしょうから」
ララはあまり勉強が好きではないのだ。先生がうまくララをまいてくれたおかげで、マーゴは友だちを作ることができた。初めて会ったときはぎこちなかったけれど、今では何でも話し合える仲だ。
「ねえねえ、そばかすがちょーっと薄くなったと思いません?」
ターシャがグイッと顔を寄せてくる。マーゴはしっかり観察し、頷く。
「ちょーっと薄くなったと思いますわ。何かされまして?」
「昨日ね、寝る前に輪切りにしたキュウリをそばかすの上に載せておいたのよ」
得意そうに鼻高々なターシャを見ると、マーゴは自然と笑顔が浮かぶ。
「ターシャのそばかす、好きですけれど。でも、気になってしまうのよね?」
「そうなの。つい、毎日数えてしまいます」
さっと手鏡を出し、そばかすを確認するターシャ。寄り目のおもしろい顔になっている。
「秋祭り、行きますか? 行きますよね? 今年は行っていいと思います」
ターシャが手鏡をずらして、マーゴをじっと見つめる。
「本音を言うと、まだ怖いのです」
「ララさん? でも、計画通りにララさんを婚約させることができましたもの。斬新な案、緻密な計画、大胆な実行。わたくし、感服いたしましたわよ。マーゴ、すごいって」
「先生が色々助けてくださったの。とにかく婚約させてしまえば、動きやすくなるからって」
「そうね、婚約って家同士の契約ですもの。やっぱりやーめた、は通用しません。暴れ馬には、きちんと手綱をつけなくては」
妹を暴れ馬呼ばわりするターシャに、マーゴは思わず笑いだす。
「笑いごとではなくってよ。だって、思った通りだったじゃないの。マーゴが婚約者に選ぼうとした殿方に、食いつきましたわ、ララさん」
そうなのだ。ララの、マーゴが選んだもの好き病は、人にも発揮された。条件と見た目から、とある令息がいいと漏らしてみたマーゴ。
「姉さま、わたくし、あの人を好きになってしまいました」
「そんな。ララ、人はドレスではないのよ。婚約者候補を譲ることはできないわ」
「でも、姉さま」
欲しいものが手に入らなかったことのないララ。今回もそうなるとまったく疑っていない。
「分かりました。では、こういたしましょう。ララがあの方と婚約なさい。わたくしは、ララの婚約が整ってから、婚約者候補を探します」
「姉さま、ありがとう」
呆気にとられるぐらい簡単に、ララは罠にかかった。猛獣は、つながれたのだ。
サイラスを、ララのものにされてしまう未来は回避できたはずなのだ。
「サイラスだけは、絶対に奪われたくなかった。ララにさえ取られなければ、もういいの。サイラスは、もうとっくにわたくしのことを忘れていると思うの。わたくしは、あの秋祭りの思い出を胸に、残りの人生を生きていくわ」
「悲観的すぎるわ。もっと前向きにならなくては。わたくしの情報だと、サイラスさんにはまだ婚約者がいないわ。まだ、可能性はあるわ」
「一生のお願い。ターシャ、一緒について来てくださらない? あのときみたいに」
「もちろんよ。一緒に行くわ。ふたりがうまく行ったら、気配を消して家に帰るわね、あのときみたいに」
待ちに待った秋祭りの日。マーゴとターシャは町娘さながらに変装した。
「今回は、ちゃんと歩きやすい靴で行くわ、ターシャ」
「そうね。学習したところを見せるべきだわ、マーゴ」
ターシャの護衛にさりげなく守られながら、ふたりは街に向かった。
「思い出しますわね。懐かしいですわ」
「マーゴが靴ずれしてしまったのよね。わたくしが護衛に声をかけに行った一瞬で、サイラスさんと出会ったのよね。ああ、まさに運命。わたくし、すぐに、即座に気配を消しました。ええ。護衛と後ろからついて行って、ふたりが恋に落ちる全瞬間を目撃いたしました。わたくしの人生で、あれほど胸が高鳴ったことはありません」
ターシャが顔を紅潮させる。
「あら、あそこでも、靴ずれした女性を男性が助けていますわ」
ターシャの視線の先を見たマーゴの心臓がドキンと跳ねる。あれは、だって、もしかして?
「あら、あれって、ええ? ひょっとして、ひょっとしてではありませんか?」
ターシャがささやき、マーゴは目を凝らす。
「サイラスだわ」
「サイラスさん、また女の子を助けていらっしゃる。ひょっとして、女の子を助けるのが趣味なのかしら」
マーゴとサーシャは首に結んでいたスカーフを外し、頭から深くかぶった。こんなときに、絶対に気づかれたくない。存在感を限りなく薄くし、サイラスと少女の動向を注視する。サイラスが少女を助け起こし、ふたりは並んで歩き始める。どうして? 本当に助けるのが趣味なの? 誰でもよかったの? わたくしのことはもう忘れたの? ううん、だって会いに行かなかったのはわたくし。サイラスを責める資格なんてない。
サイラスと少女を見ているうちに、マーゴの気持ちはどこまでも深く沈んでいく。ララに色んなものを取られたときよりも、両親がそれをよしとしたときよりも、今が一番しんどい。サイラスが、他の誰かと心を通わせていく過程なんて、見たくない。
目の前の少女は、生き生きとしていて、とても魅力的だ。愛嬌があって、驚きの連続。こんな子、誰だって好きになるに違いない。
踊りが始まり、音楽が鳴り響く。サイラスが踊りを熱心に見つめている。イヤ、イヤ。ふたりで踊らないで。わたくしの目の前で、彼女の手を取らないで。もう、見ていられない。もう、消えたい。マーゴがターシャの手を取って、「もう帰りましょう」と言おうとしたとき、音楽が止まった。そのとき、驚くほどはっきりと、少女の声がマーゴの耳に届いた。
「いいの。誰か探してる人がいるんだよね? 好きな人だよね、きっと。恋しい人を思い出す目をしてた、ずっと」
ターシャが痛いほど強く、マーゴを握る手に力をこめる。マーゴは地面が揺れている気がして、近くの木に体を預けた。かつてないほどに、耳に集中する。全てを聞きたい。
少女が、マーゴが聞きたい言葉を、的確にサイラスから引き出す。
「彼女を忘れたときは、一瞬たりとてなかった」
ああ、わたくしもよ。わたくしもです、サイラス。
「探さないでと言われた約束を守るのは苦しかった。秋祭りのときだけ、来れたら来る。その言葉だけを励みに、一年生きてきた」
行きたかった。行きたかったの。でも、去年は行けなかった。ララを振り切ることができなかったから。
「もう、今年で最後にしようと決めてきた。でも、どうしても諦めきれない。最終日までに会えなかったら、新聞にでも尋ね人の広告を出そうとも思っていた。彼女との約束を破ることになるけど」
サイラス、おお、サイラス。わたくしは、わたくしは、あなたと幸せになってもいいのでしょうか? そんな夢を見てもいいのでしょうか。でも、怖い。あなたがララを見て、心変わりをしたら?
歓喜と恐怖でむちゃくちゃになったマーゴの方を、少女が見た気がした。
「ね、分かったでしょ? 伝わったでしょ? サイラスさんがどれほどあなたに恋焦がれているか。さあ、もう大丈夫。自信を持って。出てきてくださいな。そこに隠れているおふたりさん」
マーゴとターシャは飛び上がった。顔を見合わせると、ターシャの顔は涙でぐちゃぐちゃになっている。
少女の視線をたどって、サイラスがこちらの方を見る。マーゴの息が止まる。サイラスが一歩こちらに足を踏み出す。つられるように、マーゴが木の陰から半身を出す。
「マーゴ?」
「サイラス」
ずっと呼びたくて。ずっと叫びたくて。その名を口にしたくて。できなくて。
「さあ、行って」
ターシャが手を放し、マーゴの背中をトンと押してくれる。マーゴはよろけるように歩き出した。足なんて痛くないのに。今日は靴ずれなんてできてないのに。マーゴの足は生まれたての小鹿みたいに、言うことを聞かない。
「マーゴ」
「サイラス」
サイラスが一気に距離を詰めてくる。見つめ合う。一瞬が永遠みたいに続く。




