11. 心配性のアダム②
いつまでも結婚せず研究に打ち込んでいる末息子アダム。しびれを切らし、「誰でもいいから結婚しなさい。次に訪問するとき姿絵をいくつか持っていきます。そこから選ぶか、どちらかです」そんな手紙を送ったところ、「結婚しました」と返事が来たのだ。
混乱、焦り、疑い。そんな感情に翻弄されながら馬車に揺られた。どこで何を間違ったのか。上の子どもたちは真っ当に育ち結婚したというのに。
「アダムが結婚すれば、わたくしの役目は終わりだと思っていたのに。甘かったわ」
まさか、本当に結婚するとは夢にも思っていなかった。
「何か裏があるに違いないわ。身持ちの悪い女狐。財産目当ての泥棒猫。私ってサバサバしてるからって言いながら実はネットリしてる自サバ女」
「奥様、自サバ女のサバは、魚のサバではありませんよ」
「あら、残念。動物で例える比喩って何があったかしらと考えていたのよ」
「奥様の、そういうところ。おもしろいと感じてくださるお嫁さんだといいですね」
侍女がすました表情でメディーナを見る。メディーナは扇を開いて顔を仰いだ。嫁だなんて、とんでもない。アダムを騙す女は、母であるわたくしが成敗しなくては。
「鼻声、上目遣い、体クネクネのカマトト女。キャッ、お義母さま、こわーいなんて言うんだわ、きっと」
「奥様、その調子ですわ」
侍女がいつも通り、合いの手を入れてくる。
「お義母さま、時代は自由恋愛ですわよ。親の言いなりになるなんて、時代錯誤です。男女平等、貴族制反対、新しい私が大好き。そういう子も、ちょっとねえ」
まさか、アダムがそういう子を好きになるとは思わないけれど。なんでもアリな時代ですからね。想定はしておかなければ。
「嫁たるもの。可もなく不可もなく。目立たず夫を支え、家族の幸せを第一に考える。それが一番なのよ」
「まさに、奥様ですね。実はおもしろい女なのに、それをひた隠しにしているつもりでいらっしゃる」
メディーナが目を細めて侍女を見ると、侍女はすました顔で窓の外に視線をそらした。
おもしろい女だなんて、とんでもない。わたくしは歴とした普通の貴族女性。おもしろさなんて、必要ありません。家族を守るため、義両親から信頼されるため、努力し続けてきました。どこに出しても恥ずかしくない、立派な普通の貴婦人。貴婦人に個性は無用なのです。
馬車の中であらゆるいけ好かない嫁を考えていたメディーナ。アダムの屋敷に着いたときには、すっかり疲れ切っていた。
とても嫁とすったもんだを繰り広げる元気はない。嫁へ怒りが向かないよう、嫁のことは見ない、聞かない、言わないことにした。その代わり、アダムに少しずつ愚痴を垂れ流し、内なる不満の沸騰を押さえる。
幸か不幸か、残念と言えなくもないことに、嫁はいたって平凡な令嬢だ。とびきり美人でもなし、妖艶とは程遠い体つき、まさに十人並みの没個性。あら、これは、想定外。疲れすぎて回らない頭で、メディーナは嫁を観察する。
「なにかしら、ナスの内側、塩をふっていない白身魚や鶏むね肉のような感じ」
「おもしろくない女ってことですね」
嫁がサラッと言って、お茶を追加してくれる。少し癖のある味だけれど、なんだかとても落ち着くお茶だ。
「あらいやだ。わたくしったら、なんて失礼なことを」
「お疲れだからです。大丈夫です。何も気にせず思っていることをおっしゃってください」
静かで抑揚のない声が心地よい。少しだけ、目を閉じて、大丈夫。
気がついたら、朝だった。ソファーに横たわり、ぐっすり眠ってしまったようだ。頭の下にはクッションがあり、体の上には毛布がかかっている。
「なんということでしょう」
息子の屋敷とはいえ、客間のソファーで寝るなんて。貴婦人としてあるまじき行為。
「奥様、大丈夫です。気にしすぎです。この屋敷には泊りの使用人がいないのですから、奥様がソファーで寝たことがどこかに漏れることはありませんよ」
「わたくしが、わたくしの良心が許せないのです」
「またそんなことを。旅先なのですから、もっと羽を伸ばしてくださいませ」
侍女が言うが、そんな訳にはいかない。貴婦人たるもの、いつもシャンとしていなければ。
シャンとしていなかった昨夜のメディーナを目撃したであろう嫁は、黙々と朝食を取っている。してやったり、魔王の首を取った、ざまあ。嫁からは、そんな空気はみじんも感じられない。
もしかしたらこの嫁は、姑に気に入られたい、嫌われたくないという欲求がないのかもしれない。メディーナはいつも義両親の顔色をうかがって生きてきたというのに。
「もしかしたら、女性なら誰もがかかる呪い。考えすぎという病にかかっていないのかしら。そんな人、
いるかしらね」
うっかり疑問が口をついて出てしまった。嫁は何も気にしてないように返事をしてくれる。
「考えすぎる呪いですか? なるほど、呪いや病ならピッタリのお店を知っていますよ。せっかくですから、今日行きましょう」
「えっ? 呪いのお店?」
状況がつかめないまま、嫁に押し切られて王都の街はずれにある小さな店にやってきてしまった。薄暗い店内は、たくさんの薬草が吊り下げられ、棚にはガラス瓶がびっしりと並べられている。いかにも魔女といった風貌の老婆が店の奥から、よっこらしょと現れる。
「こんにちは。考えすぎる呪いに効く何かをお願いします」
「お前さん、そんな呪いにかかっとらんじゃろ」
「ええ、私はまあ。こちらのご婦人がお困りなんです。いいのをください」
「ほうほう、どれ、ははあ、なるほどなるほど。全方位に気を使って疲れ切っている貴族婦人。愚痴を言えるのは家族だけ。言われる家族はたまったもんじゃなく、逃げの一手。どうして? わたくし、こんなにがんばっているのに。何が悪いのかしら。うじうじうじ、の呪いじゃな。よっしゃ」
あまりな言い分だが、メディーナには反論する隙も与えられなかった。老婆が次々と品物を手渡してくる。
「やることが多すぎて、なにもかも投げ出したくなるときに飲むお茶」
「まあ、素敵ですわ」
「愚痴を言いたいけど、グッとこらえなければならないときに舐めるアメ」
「それは便利ですわ」
「姑と夫の間で板挟みになって、もう知らんわと言いたくなったときに塗る口紅」
「ぜひ」
「嫁に嫌われたくなくて、言いたいことも言えないこんな世の中にうんざりなとき用の香水」
「それ、まさに、それですわ」
「お茶会で、奥様はご立派ですわ。お子様方を育て上げなさいましたもの。あら、そういえば、一番下の息子さんは──と言われたときに配るクッキー」
「ありがたい」
「なにもかも値上がりしていて家計が大変だけど、使用人たちは昇給を望むので、わたくしのドレスはいつまでも新調できないのよね、と夕日を見てたそがれるときに焚くお香」
「あら、いい香り」
「今日も一日よくがんばったわ、わたくし。誉めてくれるのは自分だけ。明日もやることいっぱいどうしましょう。考えていると眠れなくなりがちな苦労人が、寝る前に飲むべきお茶」
「お友だちへのお土産用も必要だわ」
嫁と侍女が手際よく布袋に詰めていく。膨れ上がった布袋を見て、メディーナは我に返った。
「あ、こんなには」
「全ていただきます。お金はアダム様からたくさん預かっておりますから」
嫁があっという間に支払いを済ませてくれた。
「まあ、なんだか悪いわ。ありがとう、ジョディさん」
「いえいえとんでもない。これはアダム様のお金です。アダム様は、メディーナ様に楽しんでもらうことを心から望んでいらっしゃいます。ですから、パーッと使いましょう」
「まあ、あの子ったら」
メディーナはそっと目尻をハンカチで拭いた。
「さあ、お買い物の次は、やっぱり甘いものですわ、メディーナ様」
「いいわね」
そうだった、のんびりしておいでと夫にも言われていた。せっかくアダムにも望まれているのだ、楽しんでみてもいいのではないだろうか。
「メディーナ様は、走り続けの人生だとアダム様がおっしゃっていました。社交辞令の必要がない、お茶会をいたしましょう。お世辞も気遣いも、無用ですわ」
「ジョディさん、あなたって、いい人ね。わたくし、昨日の態度を謝らなくてはならないわ」
「ダメです。ほらまた気を使ってらっしゃる。そういうの、今日はいいですから。さあ、行きましょう」
ジョディが案内してくれたのは、ピンクと白の内装が愛らしいカフェ。奥の個室に入り、柔らかいクッションが置かれた椅子に三人で座る。
「私まで、よろしいのでしょうか」
侍女が遠慮しているが、ジョディが強引に座らせる。
「アダム様から強く言われています。母をいつも助けているあなたをこそ、労ってあげなければ、とのことです」
「もったいないお言葉です」
「本当に、その通りだわ。アダムったら、いいこと言うわ」
全身を小刻みに震わせる侍女の背中を、メディーナは優しく撫でた。
「こちらの人気メニューはスプーンケーキです。ひと口大のケーキなので、色んな種類を食べられるんですよ」
大きなお皿に、真っ白なスプーンがいくつも並べられたものが運ばれる。スプーンの上には色とりどりの小さなケーキ。
「まあ、宝石みたいではありませんか」
「こんなかわいいもの、食べるのがもったいないですね」
「フフフ、そうでしょう。今王都で大人気なんです」
三人は次々とスプーンを口に運ぶ。三人は、おいしい、かわいいしか言葉が出てこない。
「ああ、もうお腹いっぱい」
「小さいから、うっかり食べ過ぎました」
「大丈夫です。さっきのお店で、消化をよくするお茶も買ってきましたので」
ジョディがさっと紙袋を見せる。メディーナは思わず吹き出し、しばらく笑い続けた。
「ああ、ジョディさん。本当にありがとう。こんなに楽しかったのは久しぶりだわ」
「よかったです。明日も明後日も、楽しい予定を詰め込んでいますからね。覚悟なさってくださいね」
「まあ、それは楽しみだわ」
平々凡々に見えた嫁ジョディは、実は有能であった。次々と繰り出される、メディーナの心を癒す企画。
「モフモフには癒し効果があります」
「間違いありませんわね」
ジョディは猫の館と、犬の館に連れて行ってくれた。
「野良猫や野犬を保護している施設なのです。気に入った子がいれば、連れて帰っていただけると、この子たちも喜びます」
「分かったわ。とてもいい仕組みだと思うわ」
「触られるのが苦手な子もいますので、基本的には待ちの態勢でお願いします。常に受け身で」
「分かりました」
メディーナと侍女はソファーに座り、無心になって待つ。気まぐれに通りかかり、触らせてくれる猫や犬を堪能する。犬に膝を踏まれたり、猫に肩に乗られたり。
「そういえば、番犬を増やそうと夫が言っていた気がするわ」
「間違いありません」
「ネズミ対策の猫も、もっといてもいいんじゃないかしらね」
「間違いありません」
動物好きの侍女が、全力で肯定してくれる。
「でも、猫や犬は、長旅は大変でしょうね。あちらに戻ってから、野犬や野良猫を引き取ることにしましょうか」
「とてもいい考えだと思います」
侍女が強く賛成してくれるので、領地に戻ってから犬と猫を保護することにした。
「今日のお昼ご飯はピクニックです」
ジョディが連れて行ってくれたのは湖のほとり。ジョディと侍女がテキパキと動き、木の下の柔らかい草が生えている所に大きな布を広げてくれる。
「ここなら日差しがまぶしくないですし、座っても痛くありませんよ」
「あら、本当。いい眺めだわ。ピクニックなんて、何年ぶりかしら」
「やっぱり。メディーナ様は社交のお茶会ばかりされているんじゃないかと思ってましたよ。たまには何も考えずボーッとする時間が必要ですよ」
ジョディに言われて改めて考えると、確かに自分のために時間を使ったことがあまり無いことに気がついた。お茶会は情報交換の場であって、発言には最新の注意を払っている。いつも頭の中は忙しく動いているのだ。
のんびりと軽食を食べ、湖に浮かぶ鳥を眺めると頭の中が静かになっていった。
「絵の道具も持って来たんです。さあ、童心に帰ってお絵描きしましょう」
ジョディが紙をはさんだ画板と鉛筆を渡してくれる。メディーナは湖全体と鳥を小さく描く。光にきらめく水面を描きたかったけれど、鉛筆では難しい。夢中で鉛筆を動かしていると、いつの間にか太陽が傾いている。
メディーナはホッと息を吐いた。
「こんなに一心に絵を描いたことはないかもしれないわ。楽しかった、ジョディさん。ありがとう」
「こういう時間をもっと持ってください。何も考えず、手を動かす。編み物や刺繍なんかもいいですよ」
「そうね。そうね、そうするわ」
子どもたちも手を離れたのだ。空っぽの時間を埋めるために、お茶会を開催するのは、もうやめよう。自分のしたいことを見つけないといけない時期が来たのだろう。
「ジョディさんはどんな絵を描いたの?」
メディーナが聞くと、ジョディは一瞬ためらってから絵を見せてくれた。鉛筆を持って遠くを眺めているメディーナが描かれている。
「まあ」
メディーナは息を呑んだ。
「とても素敵だわ。お上手なのね」
「メディーナ様は絵を描くことも全力で取り組まれるんだなと思いました。まるで戦いに赴く前の戦士みたいに勇ましいです。癒しをかけるときの聖女のように気高いとも感じました」
メディーナはどんな顔をしていいか分からず、うつむく。なんという誉め言葉だろうか。
「ジョディさん。あなたのおかげでよく分かりました。子どもが育って余った時間を、もっと自分のしたいことで埋めてみるわ。アダムのことは、アダムとあなたに任せますね。わたくしは、わたくしの人生を歩まねばなりませんね」
「思いっきり自由時間を楽しんでください」
ジョディの言葉が染み渡る。有り余る時間を子どもたちに注ぐのは、もうお終い。
***
メディーナたちにたくさんのお土産を持たせ、アダムと馬車が見えなくなるまで見送る。
「君はすごい人だ。ヴィクターが言っていた通りだ。有能さに恐れいったよ。結局、僕は母上と晩御飯のときぐらいしか会わなかった。そのときも、僕のことを指摘され続けるんじゃなくて、今日した楽しいこと、明日の予定を母が話していたので、とても居心地がよかった。僕の出番は、ほとんどなかった。君は魔術師だ」
「お褒めにあずかり嬉しいですわ。メディーナ様は、本当はとても楽しくておもしろい方なんです。最後の方にはそれを隠さないようになりましたよね」
「そういえば、手紙もらったんだった。何が書いてあるのだろう」
別れ際にメディーナから手紙を渡されたのだ。アダムとふたりで読んでみる。
『アダム、ジョディさん。短期間だったけれど、とても充実した濃い日々でした。本当に楽しかったわ、ありがとう。アダム、あなたはもう立派な大人。好きなように生きなさい。ジョディさん、あなたみたいな素敵な女性に会えて嬉しかった。あなたが本当にアダムの妻になってくださればいいのだけれど。そうもいかないのでしょうね、きっと。ジョディとしてでも、他の誰かとしてでも構いませんから、いつでも領地に遊びに来てください。全力で歓待しますわ。メディーナ』
「あらー」
「バレてたー」
ジョナとアダムは顔を見合わせ笑い出す。
護衛が念入りに人払いした湖のほとりで、ジョナは思う存分モーリッツを眺めている。
「いい、いいわあ。モーリッツって絵の題材にピッタリね。湖畔が、似合う」
きらめく湖の水面そのものの瞳を持つモーリッツ。水辺で佇む姿は水の妖精ウンディーネさながらだ。こんなところにいたら、ウンディーネに見初められて、湖の中に引きずり込まれるんじゃないかしら。ジョナが不安になるほどのモーリッツの色気である。
「こんなに美しい人を独り占めできるなんて。私ってなんて幸せなのかしら」
「そう言ってもらえると嬉しい。僕も久しぶりにジョナとデートできて幸せだ」
「メディーナ様の何がよかったって、大手を振ってモーリッツとのデートの下見ができたことよ。契約結婚相手と色んなところに行くのは、やっぱり気がひけるもの。ああいう案件、もっと来ないかなー」
「ジョナがメディーナ夫人に気に入られてくれたおかげで、色んな調整が簡単になりそうだ。貴族家は当主の奥方が家計を握っているからね。メディーナ夫人は北部の貴族女性たちに絶大な影響力を持つ。北部での事業が進めやすくなる。ありがとう」
「魔女の店、スプーンケーキのカフェ、猫や犬の保護施設。北部で事業展開できそうなんだってね。王家の財政が潤いそうでよかった」
「ジョナのお手柄だ。おめでとう。また一歩、結婚に近づいた」
「スプーンケーキで乾杯。はい、食べさせてあげる。あーん」
ジョナとモーリッツは、スプーンケーキをお互いの口に運び合う。スプーンケーキよりもっと甘いモーリッツの視線。時間よ、止まれ。ジョナは祈った。




