10. 心配性のアダム①
ギデオンじいさまの相手はちょっとお休みして、ジョナは新しい仕事先に来ている。
「お母さまがもうすぐいらっしゃるのですね? アダム様が今まで通り魔道具の研究に集中できるよう、お母さまをうまくいなす存在、つまり妻が必要だと? お母さまがこちらにいらっしゃる間だけの、短期契約妻、そういうことでよろしいですか?」
「ああ、ああ、そうなんだ。あなたは要約するのが上手ですね。頭がいいのですね。それはとてもありがたい。頭の悪い人には僕は我慢ができないから」
アダムはとても早口だ。話しているときはせわしなく手が動いている。緊張しているのだろうか。魔導士ヴィクターの紹介で、新たに契約結婚することになったアダム。ヴィクター曰く、とても優秀だが、変人、だそうだ。ヴィクター自身もかなりの変人だと思うけれど。
「お母さまは、どんな方ですか?」
「母は、素晴らしい人だ。それは間違いない。ただなんというか、あれこれ言いたがるのが玉に瑕で。あらゆることを指摘して、こうしろああしろと言い続ける。一緒にいられるのは一時間が限度かもしれない。僕の脳が破裂しそうになる」
「過干渉なんですね」
「そう、それ。あなたは言語化がうまいですね。やっぱり頭がいいんでしょうね。その機転で母をコロコロ転がして、なるべく早く帰郷させてください」
「お高いですよ」
「金には困っていないから、いくらでも」
そういうわけで、契約結婚という名の姑対策をすることになったジョナ。今までは、物分かりのいい姑ばかりだったジョナ。世の中にあふれる嫁姑戦争には無縁だったジョナ。恐ろしいような楽しみのような、怖いもの見たさ気分でそのときを迎えたのだった。
いざやってきた姑との戦いは静かに始まった。
「アダム、元気だったの? ちっとも領地に帰ってこなくて、あなたったら。まあまあ、相変わらず髪の毛が鳥の巣みたいではありませんか。毎朝ブラシでとくか、短く切るかぐらいしなさいな。鳥が住んでいても気づかないありさまじゃないの。服は、これは寝巻き? え、作業着? ゴニョゴニョ言わないでハッキリ話しなさい」
「母さん、こちらジョディさん。手紙で書いたとおり、僕の妻だ。母さん、ジョディに意地悪しないでよ」
「初めまして。お目にかかれて嬉しいです。ジョディもしくはジョーとお呼びください」
ジョナは明るく爽やかに、でも少し控えめな笑顔で挨拶した。アダム母はまるで聞こえなかったかのように、アダムを見たまま話し続けている。
「仕事は順調なの? ちゃんと食べているの? 研究ばかりで部屋にこもりっきりだと病気になるわよ。あらまあ、なんだかこの部屋、埃っぽいわねえ。窓枠に埃がたまっているじゃないの。メイドはどこ? え、いない? 通いでたまに掃除にくるの? どうしてなの、お金に困っているわけじゃないんでしょう? 毎日掃除してもらいなさい。人がいると気が散る? 何を言っているのかしらあなた、まったく」
母が話せば話すほど、アダムは口数が少なくなる。小一時間がたち、アダムの顔色が悪くなったところで、ジョナは割って入ることにした。
「お義母さま、アダム様はそろそろお仕事のお時間ですので。では、アダム様、後のことは私に任せてくださいませ」
ジョナはアダムを客間から追い出した。振り返ると、義母と目が合った。義母はさっと目をそらす。
「お義母さま、いえ、メディーナ様とお呼びする方がよさそうですね。お茶にいたしましょう。長旅でお疲れでしょう」
ジョナは手際よくお茶をカップに注ぎ、メディーナに手渡した。メディーナは無言でカップを受け取る。窓の外を眺めながらお茶を飲むメディーナを、ジョナは静かに観察する。しばらくすると、メディーナの頭がカクンと傾く。ジョナは危うく落ちそうになった空のカップをメディーナの手から取った。
ジョナはメディーナの肩に手をかけ、ささやく。
「とても疲れていらっしゃいます。今日はこのままグッスリ眠ります。明日の朝、スッキリとした気分で目覚めます。朝食の席でジョディと会話をします。言いたいことを言います。嫌われてもいいのです。どこの馬の骨か分からないジョディの化けの皮をはがすつもりで来たのです。さあ、お休みなさい」
ジョナはメディーナの頭の後ろにクッションを置き、毛布をかけた。ちょうどそのとき、メディーナの侍女が戻ってきた。新しいお茶を取りに席を外していたのだ。
「メディーナ様はお休みでいらっしゃいます。長旅でお疲れになったのでしょう」
「まあ、左様でございますか。お珍しいことです。奥様は、ご自宅以外では寝つきが悪いとよくこぼしていらっしゃいました」
「温かいお茶がよかったのではないでしょうか。あなたも、お疲れでしょう。部屋でお休みになってはいかが?」
侍女はためらっていたが、熟睡しているメディーナを見て小さく頷く。
「奥様のお荷物を片付けてから、また確認に戻ってきます。そのときまだお休みでいらっしゃるようであれば、私も失礼させていただきます」
「ええ、それがいいと思いますよ。では、おやすみなさい」
ジョナは侍女と静かに客間を出た。
翌朝、メディーナが食堂に入ってきたとき、ジョナは昨日の暗示が効いたことを見てとる。催眠効果の高いお茶を飲ませたのがよかったのだろう。メディーナの顔色が良くなっているし、目の下のクマも薄い。どんよりしていた瞳も、今日は明るい。
「メディーナ様、おはようございます」
「おはよう、ジョディさんと言ったかしら」
「はい、ジョディかジョーとお呼びください」
「昨日は悪かったわ。ろくに話もしないまま、気づいたら寝てしまっていたのよ。こんなこと、初めてだわ」
「無理もありません。手塩にかけて育てたかわいい末息子が、得体の知れない女と結婚したと、手紙で知らせてきたのですもの。いくら、誰でもいいからさっさと結婚しなさいとたきつけたとはいえ、実現するとは思わないですわよね」
ジョナが分かりますよと、同情をこめた口調で言うと、メディーナは少しむせた。パンがのどに引っかかったようだ。
「ジョディさんは、随分はっきりとした物言いをするのね」
「はい。アダム様は天才的な頭脳をお持ちですが、女心を察する能力はからきしですから。はっきりきっぱりと思っていることを言うことにしているのです」
「そう」
「メディーナ様は、アダム様には思っていることを口に出されているようですが、私にはまだ遠慮されてますよね。気遣いは無用です。さあ、どうぞ、おっしゃってください。私のこと、薄汚い女狐とお呼びください」
「うぐっ」
メディーナがカエルのような声を出す。ジョナはメディーナがののしり始めるのを心静かに待った。
「女狐とまではさすがに。どこの馬の骨とは思ったかしら」
「やはりご自分で選びたかったということでしょうか?」
「まあ、親が子供の配偶者を選ぶのが貴族家では普通ですから」
「でも、メディーナ様は、アダム様に誰でもいいから結婚しなさいとおっしゃったんですよね? アダム様は言われた通りにしたので、とても有能なのでは」
途端にメディーナの顔がくもる。図星を指されると声高に反論する人もいるけど、メディーナはそうではないようだ。ジョナはメディーナに新しいお茶を注ぐ。賊を自白させるときに飲ませるお茶を薄めたものだ。
「他のお嫁さんたちは、メディーナ様がお選びになったのですか? どういう基準だったか教えていただけますか?」
「家柄、財政状況、家庭環境、本人の性格と見た目、我が家と釣り合うか、当人同士の相性。そのようなものを総合的に判断します」
「まあ、複雑なんですね」
感心した声を出すと、メディーナの顔が晴れた。なるほど、分かってきたかもしれない。ジョナは辛抱強く観察を続けた。




