1. ジョナと夫たち①
ジョナ・シャッテナー子爵令嬢は恋多き女と知られている。花盛りの二十歳。遊び相手には事欠かない。それに、夫も三人いる。全員、偽装の契約結婚ではあるが。
ひとり目は、騎士団長のヒューゴ。死別した妻をまだ思い続けている、真面目な人だ。
「カトリン以外と結婚する気はないのだが。再婚話がひっきりなしに持ち込まれて困っている」
「分かりました。私と偽装結婚すれば、わずらわしいことから解放されますわね」
「しかし、このようなこと。本当にいいのかい? 君のように若い女性が」
「大丈夫です。仕事ですから」
ふたり目は、魔道士のヴィクター。知的で静かな人。
「魔法の研究にしか興味がないのですよ。家族からの結婚しろ攻撃がしつこくて辟易しているのです。結婚しても妻をほったらかしするのは目に見えているというのに」
「分かりました。私は、ほったらかしは大歓迎ですわ」
「本当にありがたいです」
「あ、そうでしたわ。かけもちになりますけど、いいですか?」
「かけもちとは?」
三人目は、近衛騎士のライアン。華やかな見た目で女性人気は抜群だ。
「一緒になることが許されない恋人がいてね。誰かは言えないのだけど」
「ええ、もちろんです。ノロケはいくらでもお聞きしますが、お名前は秘密ということで」
「ありがとう」
「ただ、かけもちになりますけれど。よろしいかしら?」
「は、えっ?」
そんな感じで、三人の夫とはうまくやっている。
偽装結婚、普通の女性ではかけもちなんて、無理だろう。でも、ジョナは父が諜報員、いわゆる王家の影なので、できてしまう。
父が仕事の斡旋をし、偽の身分を準備してくれた。最初は父も半信半疑だったし、ジョナもおっかなびっくりだった。
「陛下からこっそりと頼まれたのだ。騎士団長はまだ傷が癒えていない。そっとしておくべきなのに、後妻の話が持ち込まれるそうだ。虫よけ役を請け負ってみるかい?」
「やってみますわ、父さま。私もそろそろ影として働きたいと思っていたところです」
「ではやってみなさい。ダメだと思ったら早めに言うのだぞ」
秘密裏に、父とジョナはヒューゴと面談をした。秘密保持契約書もきちんと締結した。
「契約結婚期間中に知ったお互いのことは、墓場まで持っていくということで」
「異議はありませんな」
父が出した細かい契約書を、ヒューゴはきちんと読んだ上で署名した。ジョナにとっては、初めての正式な影としての仕事。ジョナはヒューゴの名前の隣に丁寧に署名し、やる気で全身がブルッと震えた。
「ジョナには俺の跡を継いで、王家の影になってほしかったのだがな」
「仕方ありませんわ。私、人殺しの才能がないのですもの。嘘をつくのは得意なんですけどね」
ジョナは顔色を変えずに、堂々と、いけしゃあしゃあと嘘をつくのは、息をするように簡単にできる。天賦の才能と言えるだろう。でも、人をアレするのは、どうしても無理だった。思い切りと度胸がなくて、できない。ナイフが人の体に入っていく感触を想像すると、ビビッてしまって、冷や汗とあぶら汗が止まらない。
王家の影だからといって、頻繁に殺傷ざたがあるわけではないらしいけれど。でも、いざとなったら、ためらわずヤラねばならない。ジョナにヤル自信は皆無。適材適所で、契約結婚を仕事にすることにしたのだ。
「モテる嘘つきにとって、天職ね」
ジョナは本気でそう思っている。誇りも持っている。だって、簡単なお仕事ではないのだ。三人の女性を演じ分けなければならない。三人の夫の関係者を完璧に頭に叩き込む必要がある。そして、分刻みの予定表に従って、テキパキと着替え、移動、演技をするのだ。もう、名女優と胸を張れる。
秘書と衣装係と化粧係の協力で、崖っぷちの綱渡りをなんとかこなしている。
「ジョナ様。今週は騎士団長ヒューゴ様です。来週が魔道士ヴィクター様。再来週が近衛騎士ライアン様。月末の最後の週はお休みです」
「分かったわ。いつも通り、よろしくね」
ジョナは、赤毛のカツラをかぶる。お茶目で元気いっぱいなジーナになるのだ。一週間、精力的に騎士団長のヒューゴと社交をこなす。
「閣下がお幸せそうで、本当によかったですわ」
「最愛の奥様がお亡くなりになってからの閣下。痛ましくて見ていられませんでしたもの」
「カトリン様は、閣下の部下で、いつも一緒に魔物と闘っていらっしゃったのですってね。公私共に支え合う夫婦。憧れの夫婦像でしたわ」
「ジーナ様も騎士でいらっしゃるのですよね? 素敵ですわあ。わたくし、扇子より重いものは持てないのですもの」
夜会では、褒められているのか貶されているのか、微妙な言葉をかけられる。明るくて単純で鈍感という設定のジーナ。朗らかに受け入れた。
「夫の最愛はカトリン様です。わきまえております。私はあくまで二番手として夫を支えるつもりです。あんな素敵で強くてたのもしい男性が、私のことを後妻に迎えてくれるなんて。私の幸運はもうつかい果たしたも同然ですから」
カラカラと、貴族夫人らしくない豪快な笑いを響かせてみせる。嫌味を言ってやろうと待ち構えていたらしい貴族夫人たちは、毒気を抜かれたように静かになった。
「ジーナ様は、あまり王都にいらっしゃらないようですが。辺境のご実家にお戻りになっているのですか?」
「そうなのですよ。実家は人手不足ですから。私でもいないよりはマシなのです。夫は理解がありますので、月初婚を受け入れてくれました。まあ、私みたいなガサツな妻は、月初に会えばもうお腹いっぱいなんでしょうね」
はっはっはとジーナは楽しげに笑う。閣下の二番目の妻、ジーナ夫人は、豪快だけれど裏表のない気持ちのいい女性らしい。そんな評判ができあがっていった。
ふたりでヒューゴの屋敷に戻ると、ヒューゴはジーナを私室まで送ってくれる。
「ジーナ、あんな嫌味を言わせたままにして、すまない」
「あら、いいのです。ああいうのはどんどん言わせて、発散させる方がいいのです。それに、陰でコソコソ言われるより対処が簡単です。言われた嫌味よりもっとひどいことを、自虐で言えば、シーンとしますからね」
クククッとジーナは悪い笑みを浮かべる。
「ジーナは強いな。私も見習わなくては」
「ヒューゴ様。これは演技です。役割だからできるだけです。ヒューゴ様が無理する必要はありません。愛する人をそう簡単に忘れられる訳がありません。そのままで、無理なさらず」
「ありがとう、ジーナ」
「頃合いを見て、ジーナは死にますから。そうすればヒューゴ様はまたひとりに戻れますわ。妻を続けて亡くしたヒューゴ様に、新たな縁談を持ってくる厚顔無恥はさすがにいないでしょう」
「何から何まで、すまない」
「これが仕事ですから。お気になさらず」
「そうか、ありがとう」
ジーナは明るく「おやすみなさい」と言って、私室に入り、カギをかけた。間違いがあったら、困る。いくら立派な閣下でも、男だもの。ムラッと魔が差すことも、ないとは言い切れない。素肌の接触は、契約に入っていない。契約に入れるつもりもない。これは、偽装結婚なのだから。
清らかな乙女ジョナは、大きなベッドでひとり静かに眠りについた。
***
魔道士ヴィクターの妻ジーンは、黒髪のカツラと銀縁メガネでできあがる。キリッと知的で冷静。それがジーンの設定だ。
ヴィクターにエスコートされて夜会会場に足を踏み入れると、刺すような嫉妬の視線が注がれる。ジーンは舌舐めずりして、敵の襲来を待ちわびた。
「ジーン様、こうしてお話しできるなんて、嬉しいですわ」
「あのヴィクター様が、ついにお相手を決められたと。社交界は大騒ぎでしたのよ」
「どんな令嬢でも選び放題のヴィクター様の心をつかまれた女性。非の打ち所がない女性に違いないって」
貴族女性たちから、氷のような目線と言葉が投げかけられた。ジーンはピクリとも表情を動かさず、淡々と返す。
「非の打ち所がない女性なんて、存在しません。ヴィクターは、私のあっさりとしてベタベタまとわりつかないところが、都合がよかっただけです。愛ある結婚でもありませんしね。お互い、仕事が一番。私もヴィクターも、愛は求めていません。ただの役割分担です」
木で鼻をくくったような、素っ気ない、だがあまりにもあけすけな答え。誰も何も話せない。ジーンは粛々と鬱憤を晴らす。
「貴族の何が面倒って、社交なんです。仕事以外に取られる時間が多すぎます。夜会やお茶会に出ている時間を、研究にあてられれば、世の中に有益な魔法を解明できるのに。貴族同士でウワサ話を交換したところで、社会には何も貢献しませんからね」
ジリジリッと令嬢たちが後ずさる。ジーンは、哀れな女たちを放すつもりはない。令嬢たちが下がっても、ジワリと寄っていく。当てこすりには痛烈な嫌味を、毒には猛毒を、だ。
「私には理解できないのです。結婚したからといって、死ぬまでの安定が保障された訳ではありません。妻が老いれば、夫は若い女に目が移る。実家の力が強ければ、正妻として尊重されるでしょう。でも後ろ盾が弱ければ、軽んじられるでしょう」
若い令嬢が、目を見開き、口をハンカチで覆う。
「自分で稼ぐ力がなければ、夫の愛にすがるしかありません。でも永遠に続く愛は、ニワトリが金の卵を産むぐらい、滅多にないものです。そんな不確かな愛に、自分の生涯を賭けるなんて。負け戦ではありませんか」
グウッと、誰かの喉が鳴った。
「で、でも、子どもができれば、安泰ですわ」
キッとひとりの令嬢が声を上げた。ジーンはニッコリと笑う。
「子ども、そうですね。私も子どもは産みたいと思っています。ヴィクターと私の優秀な頭脳を受け継ぐ子ども。世の中を良くしてくれるでしょうね。私とヴィクターが没落しても、ひとりで強く生きていけるよう、知識と技術を惜しみなく注ぎましょう」
「そんな、没落だなんて」
「栄枯盛衰、盛者必衰。昨日の友は今日の敵。世の中、変化が激しいです。何があるか、誰にも分かりません。変化に柔軟に対応し、たくましく生きていけるよう。私の持てる全てを子どもに教えたいと思っています」
お、重い。え、そこまで考えなきゃいけないの。ヒソヒソと小さな呟きが令嬢たちから漏れた。スススッと後ろの令嬢たちから、遠ざかっていく。スッキリしたジーンは、もう解放してあげることにした。
クックッと小さな笑いがジーンの後ろから聞こえる。振り返ると、手で口を押さえて笑いをこらえているヴィクターが見える。
「たいした演説だ」
「お花畑のお嬢さまたちに、世間の荒波をすこーしだけお伝えしただけです」
「結婚と出産が人生の目的な貴族女性には、酷であろう」
「現実とは厳しいものです」
ふたりはシレッとした顔で、毒のある会話を続ける。氷の魔道士ヴィクターが、楽しそうに笑っていることを、人々は遠巻きに見つめて驚きあったのであった。
***
モテモテ近衛騎士ライアンの妻ジョリーには、ピンクのフワフワ巻き毛カツラを用意した。持てる全ての化粧技術を投入し、輝かんばかりの美貌を作り上げる。目はパッチリ、まつ毛はバッサリ、唇はプックリ。背中やお腹からグイグイ肉を寄せて作り上げるたわわな胸。侍女に渾身の力で締め付けてもらい出来上がった、折れそうに細いくびれ。男の欲望をかきたて、女の嫉妬心をあおる完ぺきな見た目の完成である。
「なんて可憐なの。さすが、アタシ。ふふふー」
愛くるしく、かつ色っぽい妖精のようなジョリーになりきり、投げキッスをしながら、鏡の前で自画自賛。
自信作のジョリーは、モテ男ライアンと並ぶと、お互いがお互いを引き立て、魅力がとんでもないことに。モテとモテの掛け算。くどすぎるぐらい華やかなふたりは、夜会であっという間に群衆に取り囲まれる。
「ライアン様。ジョリー様との出会いを教えてくださいませ」
「アタシ、隣国の踊り子なの。ライアンはアタシの踊りを見て、アタシにひと目惚れしたのよ」
ジョリーは、はすっぱな口調で色っぽい流し目を令嬢に送る。群衆がザワザワした。
「あのー、えー、ということは、ひょっとしてジョリー様は」
「ええ、平民よ。どこまで遡っても、平民の家系よ。すごい成り上がりでしょう? ウフフ〜」
ふあー、令嬢たちがため息を吐く。
「なんと言っても平民でしょう。異国の近衛騎士さまとは身分違いでしょう。物語みたいじゃない。アタシの成り上がり物語を舞台化できないかしらね。もちろん、主演はアタシ」
ジョリーは嫣然と微笑みながら、クルリと優雅に回る。
「ジョリー、成り上がり物語じゃなくて、俺との身分を超えた恋愛物語にしないと」
「あら、そうね。成り上がりより、恋愛の方が客を呼べるわね」
うんうんと頷き合うライアンとジョリーを、令嬢たちはポカーンと眺める。
「アタシ、踊りは抜群なんだけど。歌もなかなかなの。歌って踊る胸がキュンとする恋愛物語。きっと人気が出るわ」
ジョリーはまたクルリと回ってみせる。今度は歌つきだ。それほどうまくはないが、愛嬌のある歌声。人を惹きつける何かがある。
「ジョリー様は、ライアン様のどこがお好きなのですか?」
ひとりの令嬢が、勇気を出して質問する。
「あら、顔よ。顔に決まっているじゃない。このキレイなお顔を見られるなら、多少の不愉快は呑み込むわ」
ホホホとジョリーは笑い、ライアンは楽しそうに微笑んだ。
「ジョリー様は、どうして踊り子になったのですか?」
「玉の輿に乗るためよ。アタシって顔と体は抜群だけど、頭はそれほどよくないの。若くて美人なうちに、お金持ちをつかまえなきゃ。女には、最適な売り時があるから」
ジョリーはバチンッとウィンクをする。
何を聞いても、ポンポンあっけらかんと予想外の返答をするジョリー。すっかり若い貴族女性の人気者になった。
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