希望的で、かつ絶望的な病
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目的も無く、ただひたすらに自転車を走らせた。
不思議と、周囲を走っている車のエンジン音は聞こえない。しゃああ、というタイヤが地を滑る音と、がちがちというペダルの音だけが世界の全てを満たしている。
吹き付ける奇妙に温い風はじっとりと身体に纏わり付いて来るが、鬱陶しいとは感じない。それさえ矢鱈に心地良く、熱を持った身体の芯を冷ましてくれた。
――数時間後。見も知らぬ街に辿り着き、僕は漸くペダルを漕ぎ回す足を止めた。
潮の香りが鼻腔を満たす、柔らかな雰囲気の街だ。何処か高潔な雰囲気を漂わせつつも居辛さは感じさせないその空気感は、例外無く全てのものを受け入れている。
見渡すと、遠くに青い光が見えた。
自転車を押しながら駆け寄ってみると其処はやはり海で、盆を過ぎた時期に人気は無いながらも未だ残る蒼玉のような美しさが当時の賑わいを彷彿とさせる。
「……………………」
呆然と、言葉も無く海を眺めた。
あまりの美しさに見る者を惹き付けて離さないその有様は、ブラックホールの在り方を連想させる。その感覚は「魅せられている」と言うよりも「取り憑かれている」と表現する方が正しいのかも知れない。
……すう、と無意識に足が動いた。
人にとって美とは、ある種の病原であると言う。罹患した者は決して手に入らぬそれを永遠に追い続け、そして満たされることなく死んでいくのだと。
――僕は今、この瞬間に罹患してしまったのだろう。
美という途方も無く希望的で、同時に不治の絶望をも孕んだ他のどんな病よりも歪な病に。
……美へ沈む。決して満たされぬまま、旅の疲れを溶かすような冷たい快楽に音も無く堕ちて行く。
その感覚は何よりも官能的で、甘美で――そして、あまりにも退屈だった。




