正義と悪と、そして善。
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幼い頃、私は正義の英雄だった。とは言っても、後ろに「ごっこ遊び」と続く程度のものだが。
子供がテレビの英雄に憧れる、と言うのはまぁ自然なことだろう。中でも私はその性質が顕著に出た。
老婆の荷物持ち、喧嘩の仲裁、公園の塵拾い。思い付いた善行をひたすら行い、街の英雄を気取ったものだ。
――ただ、やはり子供。脳は足りていなかった。
私が幼かった当時の治安は、今程良くない。珍走団と呼ばれているものはまだ暴走族と言う名前で勢力も強かったし、監視カメラも少なく人目の届かない路地も多かったから連れ込みやカツアゲなども横行していた。
……汚れを知らぬ英雄擬きは、純粋悪には手も足も出ない。法や善と言う社会的な理屈の外でしか動かない者がこの世に居るなど、想像できていないからだ。
偶々目撃したカツアゲを咎めた私は、苛烈な暴行を受けることとなった。それは幼子が受けるにはあまりに過剰で、危うく命を落とす寸前だったらしい。
幼いながらに、私は英雄が居ないことを知った。
後で知った話だが、私を暴行した不良達は未成年であったが故に罪を逃れたと言う。
最近になってこの事件を思い出し、私はふと考えた。「私はあの日、何か間違えたのだろうか」と。
あの日私が行ったことは、紛れもなく正義だった。百人に問えば九十九人は私の行為を支持するだろう。少なくとも、あのような折檻を受ける謂れは無い筈だ。
ならば何故、あのような結果を招いたのか。それは恐らく、私の行為が「正義であって、善では無いもの」だったからなのだろう。
正義と悪は対義の関係だが、バランスとしては悪の方が基本的に強い。その為正義は善を孕むことで、パワーバランスを保っているのだ。
ただ正義と善の明確な違いとして正義と悪は規律の中に、対して善は利益の中に存在すると言う点が挙がる。
幼い私の行為は、彼らに利益を齎さなかった。善を孕んでいなかったから、相反する悪に押し潰されたのだ。
身勝手な理屈だが、そう言うものなのだろう。私は至った結論に僅かな引っ掛かりを覚えながらも、一旦は納得しておくことにした。




