「◾️」の誕生
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孔が、空いていた。
とても小さな綻びで、気にすべきものとは到底思えない程度の孔。けれどそれは確かにそこに存在していて、認識も出来るものだった。
紙に孔を開けた時、「そこにある」と認識することが出来るのは、孔の周りに紙が存在しているからである。
無は、有の中に無ければ認識できないものだ。人が周辺の空気そのものを、組成の同じものでありながら孔と呼ぶことがないように。
ならば、それにとっての「紙」は何を指しているのか。
問うまでもなく、それは「世界」そのものであった。
周囲に「世界」があるからこそ、認識することが可能な「無」――否、それに良く似た別の「何か」。真空と表されるものとすら異なる、人の識れる概念の中では説明の出来ない「◾️」である。
「◾️」は、ふよふよとそこに浮かんでいた。
何を思考するでもない。何になろうとするでもない。埋め立てられることもなく、伽藍洞のままただただそこに存在していた。
神も「◾️」を、わざわざ埋めたりはしなかった。「完全な存在」でありながら、不完全の象徴たるそれを放置し、世界を未完成のまま放棄したのだ。
……それから数億年。その時間では本来足りない筈の奇跡が、この世界に訪れた。
ただ浮かんでいただけの「◾️」が、自我らしきものを宿したのだ。「完全な無」である筈のそれが自我を得るなど本来有り得ないことではあったが、伽藍洞にさえ底を作る程の「奇跡」が起きたなら話は別だ。
尤も、その奇跡を人間が識ることは出来ない。時間や状況、常識などの問題ではなく、「◾️」が認識不能なものであることと全く同じ「概念的な」理由である。
「◾️」は、その奇跡に名を付けようとした。理由を求めようとした、と言う方が幾分正しいのかも知れない。
無ながら、微かな存在を有する。その違和感を「◾️」の「有」が、埋めようとした為である。
「◾️」は実験を始めた。手始めに、その時地上を支配していた種族からヒントを得ようとした。
その為に、「◾️」は静かに形を変える。存在しない、けれど人と関われる姿に。
「◾️」は居ない人間の形をとった。口調はたまたま聞いたものを真似た。
「◾️」は人の世に溶け込む。その後、「◾️」が目的を果たせたかどうかは――未だ、不明のままである。




