神の大地
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その日、久しく山に入った。
何のことはない、ほんの気紛れのようなものだ。
休日で、体力が余っており、趣味だった登山を随分していないことをふと思い出した。そんな偶然が重なった結果、思い立っただけである。
山は良い。不自然な不協和音ばかりが満ちる街とは違い、擦れる木々と清流が自然かつ心地良い音楽で鼓膜を喜ばせてくれる。
空気の匂いも都会のガス臭いそれとは異なり、湿った土と落ちた枯葉が自然に作り出す良質な腐葉土の良い香りだ。それらに囲まれていると街での苦痛など忘れ、穏やかな心持ちになることが出来る。
そんな心地良さに包まれながら山中を一人歩いていると、不意に見慣れない色が目に入った。
いや、違う。見慣れない、というのは嘘だ。
見覚えもあるし、不自然でもない。ただ、こういう形で見るのが初だというだけで。
それは、人らしき亡骸だった。滑落したのか手足は有り得ない方向に折れており、首に至っては百八度ぐらい捻じ曲がっている。
折れた首の目は閉じていない。けれどこちらを見るその目には光が無く、死んだ魚の目とはまさにこういうことかと実感した。尤もそれは死んだ魚と形容せずとも、元より死んだ人間なのだが。
山の獣に喰われたのか、腹の部分の衣服は裂けて赤黒い腑が露出している。それは近くに人の味を覚えた獣がいるかも知れないということで、逃げるべきなのは分かっていた。
けれど、逃げられなかった。それ以前に、動くことすらままならなかった。
腰が抜けたとか、その美しさに魅せられたとか、そんな理由では断じて無い。
ただ、動けなかった。自分を見つめる亡骸の瞳が、神話の怪物ゴルゴーンのそれであるかのように。
恐れでも、歓喜でも無い。時間ごと石化したような静寂が、周囲を完全に包んでいた。
……仮に。もし仮に、その静寂が生まれたことに何か理由があるとするなら――
――――それは、きっと。ここが山という、祝福されつつ呪縛を受けた、神の大地である為だろう。




