そこにあるだけの夫婦関係
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「ただいま」
口に出したその声は、虚しく闇に吸い込まれた。
少し、物悲しくなる。こういう時、返事をしてくれる誰かが欲しかった筈なのに――どうして今、この家はこんなに静謐なのだろうか。
結婚して、もう数十年の時が経つ。初めは幾ら遅くなっても出迎えてくれた妻も娘も、今や二十時という現時刻でさえ顔どころか声も出してくれなくなった。
居間に入ると、妻がスマホを弄っている。娘の姿は見えない辺り、恐らく部屋に居るのだろう。
『ただいま』
改めて言おうかと思ったが、やめた。
言ったところで、返答が無いのは分かりきっている。彼女は気付いていないのではなく、意図して無視をしているのだから。
彼女にとって、もう私は「その程度の存在」になってしまったのだ――それを悲しく思う自分と、彼女の思考に理解を示している自分が居る。
関係性が馴染んでくると、人は相手への扱いが雑になるものだがこれはそういうことではない。
私と妻は、お互いにお互いへの興味を失ってしまったのだ。
別に、喧嘩をした訳でも無い――本当に、ただ「どうでも良く」なったというだけ。
親愛も、恋愛も、相手に向ける感情ではとうの昔に無くなって。お互いのことが他人どころか、風景と同じようなものにしか思えなくなった。
路傍の小石に興味を持つほど、最早若くもないということだ――どちらかと言えば、悲しむべきは関係ではなくそこかも知れない。
歳をとった。まぁ、そういうことだろう。
ならば、返事が無いことは当然で――それを悲しく思うのは、筋違いというものなのかも知れないが。それでも昔、一人暮らしをしていた時代の「返事が返ってこない部屋」の寂しさを、忘れることはできないのだ。
きっと、それは妻も同じで。だからお互い無関心になった今でも、こうして一緒に居るのだろう。
そこに居る。それだけでも多分、当時よりは寂しくない。
愛でもなく、義務でもない――私達は、きっとこれからも続いていく。
お互いに、お互いを見ないまま――ただ「孤独ではない」と、自分の心を慰めて生きていく為に。




