涙すら凪ぐ街で
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気が付くと、雪の中に立っていた。
不思議と、身体は冷えていない。それなのに矢鱈と寒さを感じるのは、何か大切なことを忘れたような虚脱が胸の内に残留している所為だろうか。
その虚脱が死を経験したことによるものだと言うことは、初めからなんとなく察していたように思う。
奇妙なことだが、私は生来「その感覚」を時折夢に見ることがあった。
意識すら無い伽藍洞、その中にふわと浮かぶ自我とすら呼べないもの――例えるなら「存在」に似た何か。私は、物心ついた時点でそれが死後のものであると無意識のうちに理解していた。
だから、知っていたのだ。
その虚脱が、あの夢から覚めた時に感じるものと同一の感覚であると言うことを。
死んだと気付いた時、感じることは特に無かった。
普通ならば悲哀や困惑などの複雑な感情を抱えるべきなのであろうが、私にとって個としての死などさして意味を持つものでも無い。
人は群で生きる生物である。ならば私という「個」が死んだところで「群」は何の変化もなく続いていくのだから、特段気にするものでも無いだろう。
(……ああ、でも)
ふと、遺した者達を思い出した。
家族は居ない。だが、私を妙に慕う二人組がそう言えば居たな。彼女らにとって、私という「個」の死はきっと明確な意味を持つのだろう。あれは、私という「個」を巻き込んだ小さな「群」であったから。
そう思うと、少し気にかかるが――まぁ、私にできることなど何もない。せいぜい、時折様子を観に来るぐらいのことをしてやるのが関の山だ。
(……しかし、不思議なものだな)
生物は本来、死ねば亡失されるものだ。けれど私は死して尚、この世界に存在している。その感覚は、酷く奇妙と言わざるを得ない。
(まぁ、調べてみよう。恐らく、時間は腐る程ある)
そうして、私は雪中を歩き出した。
ふと空を見上げると、雲の瞼を下ろした太陽が静かに雪を落としている。その光景は、私に涙を連想させたが――それもまた、随分と奇妙な話である。
生命さえ凍てつくこの街は――涙の露さえ、とうの昔に凪いでしまっている筈だと言うのに。




