思い、思われ、すれ違い
……おかしい。
私の将来設計では、今頃どこかの貴族の愛人にでもなって自堕落生活をしている筈なのに……!
「いいですか?転んで痛くて辛い思いをするのはあなただけではないんです。……痛そうな姿を見る私も辛いのです、だから廊下は走らないでください」
「はーい」
「ごめんなさい、シスター」
「今度からは気を付けてくださいね?……そろそろお昼の時間ですから、手を洗って手伝ってくれる?」
「うん!」
「まってて!」
「あっ、こら!走らないの!」
「ふふ……元気ねぇ」
「……元気なのは良いことなんですけどね……」
「あなたが自分の為を思って注意してくれてるのが嬉しいのよ」
「そうだといいんですけど……」
「ほら、あなたもいい加減掃除をやめてお昼ご飯の準備をしましょう」
「はい、ちょっと用具を片付けてから向かいますね」
……なんで私は疲れてまで子ども達の面倒を見てるんだろう?
物心ついた時から孤児院に居た私は、年齢にしては妙に落ち着いた子どもだったと思う。
今にして思えば、大人が転生していた事が行動や思考に影響していたんだろう。
幼い時に頭を打って前世を思い出した私は、魔法のある世界に転生した事に一時は興奮を覚えたが、ある日、目の前でちょっとした喧嘩が起きたのを見て隣に銃を持った何時でも誰かを殺せる人がいっぱい居る世界だと気付いたら怖くて仕方なかった。
内政チートなんて普通のOLには出来ないし、魔法を人に向けて放つ事なんて怖くて出来ない。
早々に、第二の人生チートで活躍!なんて諦めた私の思考は、これからどう楽に生きるかに焦点が当てられた。
前世での私は仕事が忙しくて碌に自分の時間が取れず、彼氏もいなければ友達付き合いもなくなり、大好きなオタク趣味すらあまり時間をとれなかった。
働いて、働いて……それで得たものは、使う時間もなく貯まっていくお金だけだった。
……もうあんな生活はこりごりだ。
幸い、今生の私はここの人たちから見ても容姿が良いらしく何度も告白されてきた。
……将来への不安でそれどころじゃなかったので全て断ってきたが。
どうしよう、と考えていた頃に、孤児院を支援する貴族の視察があり、シスターの代わりに院内の掃除を私は任されていた。
……そこで私は天啓を得たのである。
そうだ、貴族の愛人になろう、と。
愛人なら大した事は任されずに、ほどほどの援助を受けて慎ましく自堕落に生活を送れるのではないかと考えた私は早速行動に移すことにした。
ただの情婦ではあまり良い生活は出来ずに私の目的は達成されず、出しゃばり過ぎれば夫人などに目をつけられてしまい、これも目的は達成出来ない。
バカ過ぎず、賢すぎず、ほどほどに。
ただの都合のいい女でもいけない。
さてどうしよう、となった時に……私は、二度目の天啓を得た。
そうだ、シスターになろう、と。
清楚、清廉潔白な淑女。
しかし創作上の彼女達は、なんというか、その……とても魅力的だ。
楚々とした雰囲気がその魅力を引き立てるのか前世でも特に人気のある属性だった気がする。
清楚なシスターなら余程の事でない限りは安心安全な自堕落生活を送れるのでは?と浅はかな考えを持った私は、そのままシスターとなり孤児院で働きはじめた。
外見は清楚の極みみたいに育った私は、その内心を隠しながらいつか来る日の為に日々を過ごしていたが、誤算が一つ。
この国の貴族はどうにも性根が優しい人達ばかりで、愛人契約はおろか、頑張れば頑張るほど孤児院に寄付を与えてくれた。着服なんて出来るほど心の強い訳もなく、垂涎ものの金額を目にしながら、寄付へのお礼と子ども達へのちょっとしたプレゼント、設備の改修を行い、それを見た貴族の寄付が増え、の私にとってなんの利益にもならないハッピーマネースパイラルが巻き起こっていた。
(……所詮は浅知恵、上手くいく筈もないか)
昼食を終えた後の食堂を掃除しながら自分のダメさ加減に辟易していると、中庭で見知った顔を見つけた。
「……ライ?」
「よっ!」
人好きのする笑顔を浮かべてこっちに向かってくるのは、昔馴染みのライ・ストランド。
共に孤児院で幼少期を過ごし、伯爵家に引き取られた後には難関試験を突破して王立騎士団にも合格した彼は、今でもたまにこの孤児院にやってきては子ども達の遊び相手もやってくれる人気者だ。
「どうしたの?何かあった?」
「何にもねーよ、休みだったから来た」
「そんなに頻繁に来なくてもいいのに」
「なんだよ、その言い方……迷惑だったか?」
「そうじゃなくて、折角のお休みなんだからもっと自分の好きな事とかに時間を割きなさいって言ってるの」
「だから好きな事に時間割いてるんだよ。無邪気なチビ達と遊ぶのも楽しいしな」
「……ありがとう。ライが来てくれると皆喜ぶから、正直嬉しいです」
「来たくて来てるのに礼言われるのはなんかむず痒いな」
「素直に受け取りなさい」
「…………リズは?」
「え?」
「喜ぶ『皆』の中に入ってんの?」
「?……もちろん。当たり前の事聞かないでよ」
「その割には会いに来た昔馴染みに何も言ってくんねーけど」
「いつも変なところで拗ねるんだから」
「シスター・リズさんが悪いと思いまーす」
「まったくもう……子どもじゃないんだから……おかえり、ライ。来てくれてありがとう」
「ただいま、リズ」
改めて言うと、私までどこか恥ずかしくなってくる。……ライの帰る家はもうここじゃないのに、律儀にいつもこの挨拶をしたがる。子ども達も真似をするようになったからいい事なんだけど……。
「おや、ライじゃないか」
「また来ましたよ、先生」
「ライ兄だ!」
「お、元気にしてたか!」
少しすると、中から子ども達や先生が出てくる。
腕や肩に子ども達をぶら下げながら走り回る姿は、幼い頃に重なって手の届く距離にいるように錯覚する。
(ああやってるのを見てると、まだライが貴族の仲間入りしてるなんて思えないなぁ……)
とはいえ、この時間がいつまで続くか分からないのに今考えても仕方のないことか……。
「また掃除か」
「やってて損はないでしょ。それよりお疲れ様、少し疲れたんじゃない?」
「まさか、やっぱりチビ達はあれくらい元気じゃねーとな」
流石に騎士だけあって、息切れ一つしていないライを改めて見ると服の上からでも分かるくらいに筋肉質だった。
「どうした、じろじろ見て………、お前も背負ってやろうか?」
「そうね、お願いしようかな」
「は!?なっ、いや」
ちょっとした冗談で赤面する辺り、女性への免疫はまだまだなんだろう……貴族なのにそれでいいのだろうか?
「冗談よ、子ども達に見られたら恥ずかしいじゃない。とっても怖いシスターで通ってるんだから」
「お前なぁ……いや、いい。ってかとっても怖いシスターは嘘だろ、絶対に出来ないね」
「絶対って何よそれ」
「言葉の通りだよ、お前チビ達に怒れないだろ」
「いいえ、今日も怒りました」
「ホントなら明日は槍でも降ってくるな」
珍しく過去の事を考えていたからだろうか、最近もよくやるようなこんなやり取りが何故か懐かしくなってくる。
「そういえば、新聞見たよ」
「?……あぁ、あれか。結構大変だったんだぜ、ねぎらえ」
「はいはい、おめでとうございます」
「おう……?おめでとう?お疲れ、とかじゃないのか?」
「疲れてるだろうけど、疲れるのはむしろこれからじゃないの?」
「そう、か?いや、式典も終わったしな……」
「嘘でしょ?……流石に貴族が王様もいるような式に呼べないのは分かるけど、教えてくれるくらいならよかったんじゃないの?」
親しく思っていたのは私だけだったんだろうか。
……流石にそれは辛いなぁ。
「いやいや、騎士団で大型の魔獣を討伐に行くのは知ってるだろ!俺、この前ここ来た時に言ったよなぁ!?」
「だから!その時の功績で王女様と結婚するって書いてあったじゃない!」
「結婚!?」
少し前に起きた魔獣討伐作戦で活躍して、その褒美とかで王女様と結婚する、みたいな事が書いてあった筈だが、ライの顔を見るとどうにも違っているらしい。
「……確かにそんな話もあったけど、断ったよ」
「え?そうなの?」
「そもそも、活躍した奴なんていっぱいいるんだからその中の一人に対して王女様との結婚なんて褒美出すわけ無いだろ」
そう言われてみるとそうかもしれない。
だけど、
「じゃあ新聞に載ってた事って?」
「これは内密の話だから誰にも言うなよ。
……元々、護衛騎士の中に惚れてた奴が居たけど身分差でどうにも出来なかったのを、今回の事で結婚までこぎつけたんだってよ」
「……内密の話なら詳しくしないでよ」
「お前が聞きたかったんだろうが」
「でも、それだとあなた達の功績に乗っかったって事になるの?」
それは、流石にどうなんだろう。ライ達は文字通り命を懸けていたのに……
「いや、その騎士も今回の討伐に付いて来てたんだよ。じゃなきゃ団長が許さねーしな」
「あ、そうなんだ」
それを聞いて少し安心する。
「……リズは、どう思ったよ」
「どうって?」
「俺が王女様と結婚する、なんて勘違いしてた時だよ、どう思った」
「さっき言ったじゃない、おめでとう、って」
昔馴染みがどんどん出世していくのを祝わないとでも思っているのだろうか。
「チビ達から、お前が最近掃除ばっかしてるって聞いたぞ」
「いつもちゃんとしてますけど」
「心配されてんだよバカ」
「心配って」
「落ち込んだり、変な事考えてる時は意味もなく掃除ばっかしてるだろ。……バレてんだよ、お前の癖」
それは癖、なんだろうか?今まで気にしたことはなかったけれど。
「そんな話聞いた後に今の話だからな、そこになんかあるんじゃねーかと思った」
「そ、れは」
「俺とお前の仲だろ、言えよ……なんでも」
言いたいことなんて山程ある。
なんで貴族になった癖にまだ来るのか、とか。
なんで魔獣討伐なんて危険な事をわざわざ騎士になってまで行うのか、とか。
…………なんで、黙って養子になる事を決めたのか、とか。
「……ただの昔馴染みに特別に話す事なんて私には何もないよ」
「……そうかよ」
一言そう言うと、ライは帰っていった。
「……何もないでしょ」
ライと気まずい別れをしてから少しばかり時間が経った頃、国中が王女様の結婚でお祝いムードになっていた。
「最近、ライくん来ないわねぇ」
「今までが来すぎだったんですよ。……騎士様なんて暇じゃないでしょうし、特に今は」
何回目だろうか、皆が私にライが来ないと言ってくるのは。……この後は決まってこう言う。
「リズちゃん、ライくんとケンカした?」
「……してません」
子どもたちが待っているのに、ケンカしたくらいで来なくなるような男じゃないのは知っているだろうに。
「でも、リズちゃんもライくんが体調崩してないか心配でしょう?」
「いえ、まったく」
「…………これは根深いわね」
そう言って去っていく同僚を見ながら辺りを見回して、私は手に持った雑巾を床に叩きつける。
(なんなのよ、もう!私がライの事を知ってる訳ないでしょ!)
引き取られる事も言ってもらえない人間に何を求めるのだろうか。
「……無闇に口に出さないのは良いけど、そうやって口に出せないのは良くないわよ」
「……居たんですか、シスター」
「見たら分かるわよ、幼い頃から知ってるんだから」
院長に促されて隣に座ると、あの頃みたいに頭を撫でられる。
「大人びてて手が掛からなかったけど、溜め込む悪い癖は治らなかったわね」
「また、癖ですか」
「悩んでるとひたすら掃除するのと同じね」
そんなに分かりやすい癖があるなんて、少し恥ずかしくなってくる。
「一度、ちゃんと話してあげなさい」
「……言える訳、ないです」
「あら、なんで?」
「ただ、私が拗ねてるだけなので」
「いいじゃない、普段しっかりしてるんだからそれくらいの方がもっと可愛いわ」
聞き方が上手だからか、何時までも言えなかったことを八つ当たりのように言ってしまった。
その間、シスターはずっとにこやかに聞いてくれていた。
「ありがとうございます……まだまだ未熟ですね、私」
「皆未熟よ。悩んで迷いながら成長しているの」
言いたいことを言った私は、どこかスッキリして、早くライに会ってこの間の事を謝りたくなってきた。
「でも、流石に難しいですよね」
「そんな事ないわ。リズちゃんに会いたいって言われたら、何処へだって来るわよ」
「ふふっ、まさか」
「いいじゃない、ほら、呼んで?」
「なんでそんなに押しが強いんですか。……笑わないでくださいね?」
「もちろんよ」
「………………ライ、会いたい」
「おう」
押しに負けて恥ずかしさを堪えながら小声で呟くと、聞こえるはずのない声が聞こえてくる。
「え……なんで」
「実はずっと来てたけど、合わせる顔がないってその辺うろうろしてたのよ」
「あんまり言わないでください……」
後はごゆっくり、なんて言いながら幼い頃から私達が逆らえないシスターは足早に消えていった。
「……」
「……」
二人揃ってしばらく何も言えないでいると、ライが突然私に頭を下げた。
「えっ、ちょっとライ?」
「悪かった……あの時、言えなかったんだ、お前だけには」
真剣な顔で此方を見るから、何も言えなくなってしまう。
「いつも周りを気にしながら動いてるお前を見てると、自分がどんどん幼稚に見えてた。こんなんじゃ駄目だと思って鍛えようとしたら、ちょうど養子の打診があったんだ……全部話して、それでもと言ってくれたからその打診を受けた。……言おうとしたけど、皆が居なくなるのは寂しいけどそれ以上に幸せになって欲しいからって笑顔でいるお前を見ると言えなかった」
「私の為、だったんだ……」
「……いや、自分の為だよ。お前に笑顔で送り出されたくなかった……泣いて、いかないでって縋って欲しいなんて最低な事も思ったよ……好きだったんだ、お前の事が」
「え……?」
「だから余計に離れようと思った。お前と俺の好きは違うと思ったし、多分、あの時俺は、お前に執着してた」
初めて聞く事に耳を疑う。
……ライが私を?
「養子に迎え入れられてからずっと良くしてもらってた。だから騎士団に入って価値を出せたら恩返しになるとも思った。……こんな事も全部バレてて義両親や団長からは随分鍛えなおされたよ、勝手に決めてんじゃねぇ、って」
「すごく良い方達なんだね」
「ああ、……それで少しはマシになったからってここに来て、謝ろうとしたら、……笑っておかえりって言ってくれたお前を見て、何も言えなくなった……後悔したよ、あの時ちゃんと言えてたら真っ直ぐ目を合わせられたのにって」
……ライは気にしてくれてたんだろう。
あの時、申し訳無さそうな顔をしてたから、私は何も触れずに過ごしてきた……それでこの前拗れてしまった。
「……私も、ごめんね……何も言わないくせにライに八つ当たりしちゃった」
「それは違うだろ、言えなくしたのは俺で」
「ううん、あの時だってホントは何となく分かってた……でも、直接聞きたかったのもあるけど、多分聞きたくなかったんだと思う……一番仲が良いと思ってたから、余計に」
結局、お互いに自分と相手の事を思って言えなくて、余計に拗れたんだろう。
「ありがとう、話してくれて。また、いつもみたいによろしくね」
「……いつもみたいに、は無理だろ」
「聞こえなかった、とか、駄目?」
「聞こえなかった、なんて事にしたくない……好きなんだ、リズの事が」
「……駄目だよ、ライは貴族で、私は孤児院のシスターだよ」
「言ったろ、打診を受けた時に全て話したって……ずっと支援してくれてるんだ、あの人達はお前の事も知ってる。お前に無理強いしないって条件付きで、シスターから許可ももらってる」
「……なにそれ……外堀埋めすぎじゃない?」
「うるせぇ、……好きなんだよ、形振り構ってられるか……無理強いはしねぇよ、他に好きな奴がいるってんなら…………諦める」
全然諦めるなんて出来そうにない顔で言うものだから、少し笑ってしまって肩の力が抜けてしまった。
「子ども達を放って、なんて出来ないよ?」
「知ってる。孤児院の経営に関しても義両親から色々習ってるとこだ」
「貴族の常識なんて知らないし」
「俺が覚えられた事をお前が覚えられねぇ訳ないだろ。……それに支えるもんだろ、そういうのって」
「ライに言えない秘密もいっぱいあるかも」
「好きって気持ちくれたら他はいらねぇ」
後は、と考えていると、私の記憶よりも随分大きく、力強い体で抱き締められた。
「リズが好きだ……他になんかあるか」
「……私も、ライが好き」
これから先、きっと苦労はあるだろう……それでも、一緒に居たいと思ったから私達は二人で歩んでいける。
…………自堕落生活は、お預けかな