第1章6.罠
林が気になって仕方ない。
俺の一方的な思い込みで彼女を傷つけ、誤解は解けたものの、
それ以来ギクシャクしているような感じがする。
以前の俺だったら、自分が悪い事に関しては謝罪するが、それで相手の態度が
硬化したところで、そんなの別に気にしなかった。
それはそれで構わない。自分がどう思われているのか、なんて関係なかった。
相変わらず、水曜日には俺の隣に(でも出来る限りソファの端に寄って)
ちょこんと座ってる林。
話しかければ答えるし、ちゃんと目を見て接してくれる。
でもそれじゃなんだか足りなくて。ここんとこずっともどかしい思いを抱えていた。
あまり自分の事を話さない彼女だったが、それでも観察してると少しずつ彼女の事が
分かってきて、それが嬉しかった。
人の話を聞く時、目をじっと見て口をきゅっと引き締めて聞く事。
笑うと鼻にちょっとシワが出来る位、結構豪快な笑顔になる事。
手が小さくて、大きめのコップを片手で持てない事。
爪は短く切られていて、ネイルはあまりしない事。
考え事をする時、映画を見てる時、よく口元を触る事。
ひとつひとつの発見が、嬉しくて、満面の笑みを見た時にはこっちまでつられて
笑っちゃうくらいだった。
「柊、変わったな」
週明けの月曜日、構内のカフェテリアでランチ中、東が話しかけてきた。
「え?何が?」
「よく笑うようになったし、表情が豊かになったよ」
何言ってんだ?前から変わんねーじゃん。多分、それが顔に出てたんだろう。
「前はさ、なんか斜に構えてたっていうか・・そんな感じだった。
昔あった事とか、引きずってんのかなって気にしてたけど、今のお前が見れて
すげー嬉しいよ。きっかけはりんちゃんだろ?」
「・・・な、何言って・・」
「自覚、ないの?りんちゃんの事見てる目とか、りんちゃんの話で笑う時、
全然違う。」
「・・・・・」
「オマエ、りんちゃんが好きなんじゃん」
啓介にトドメをさされた。
なんか、もどかしいのが一気にスカーーーーっとした感じだ。
そうか・・・俺、林が・・ううん。美羽が好きなんだ。
だからあの時誤解した時、悲しくて痛かったんだ。そんな女じゃないって
思ってたから。いや、実際そんな女じゃなかったんだけど。
なら話は早い。
まず、あっちから片付けないと。
まどかは、なんとなく男は俺だけじゃないって確信があった。
最近殆ど会ってないが、以前のように拗ねたりしなくなったし、簡単に別れられるだろう。
「ワリ、俺、先行くから」
急いで席を立った俺を、悪友・・もとい、親友達は、生暖かい目で見送ってたけど
全然気付かなかった。
気付いてたらきっと、むずがゆくなって小突いてたと思う。
次の日の火曜日、別れを切り出した俺に、まどかは小さくため息をつきつつ、それでも
簡単に了承してくれた。
やっぱり他にも男は居たし、自分を一番に扱ってくれるその男の方が良いらしい。
よし、これで後は美羽を自分のモノにするだけだ!
と、思っていたら・・・
「ひとつだけ、条件があるの」まどかが切り出した。
「うちの取引先の大事なパーティーがあるのよ。父の代理で私が行かなきゃならないの。
でも、彼は都合が悪くて・・それに付き合ってくれたら、キレイに別れてあげる」
勿論、その申し出に飛びついた。
「分かった。いつだ?」
「明日の夜。お昼で大学は切り上げて、一緒に香港まで飛んでちょうだい」
「は?香港?」
「そうよ、取引先は香港の会社なの」
しかも明日!明日は水曜日で、週に1回美羽に会える日なのに・・・。
少し考えていると、
「あたしとは、明日が最後よ。彼女とはまた毎週、会えるじゃない」
美羽の事は話した事が無かったのに、なんで・・・
「柊を見てたら、分かるわよ。最後だから、付き合って。ね?」
「あ・・ああ。分かった」
翌日の約束をして、すぐにまどかとは別れたが、水曜日の夜に香港となると
帰りは木曜だ。
金曜提出のレポートを今晩中に仕上げておかないと・・。
レポートの量と思い出して、げんなりしたけれど、これも美羽とちゃんと向き合うため!と
思いなおして、徹夜覚悟でレポートに取り掛かった。
明日の午前は、そんなに重要な講義は入っていないから、明日は大学に行かず、
このレポートを仕上げてしまおう。
レポートに取り掛かろうとしたところで、携帯に着信が入る。
啓介だ。
「柊!ずっと携帯切ってたな」
あぁ、そうだった。まどかに別れ話をするのに、邪魔が入って欲しくなくて
携帯を切ってさっきまでそのままだった。
「あぁ。悪い。急ぎか?今、それどころじゃないんだ」
とにかくこのレポートをどうにかしないと・・。
「明日のサークル・・」
「だから!それどころじゃないって。」
キレイな体で美羽に向き合うために、明日のサークルは棒に振らなきゃならないんだよ!
「まどかちゃんから、聞いたのか?」
「あぁ、聞いたよ。でも今それどころじゃねーんだって!明日も行かねーから。
悪いけど、急いでるから。じゃあな」
一方的に電話を切る。
もう頭の中は、この数日うまく乗り切って美羽に会う事だけだった。
そして、今香港に居るわけだけど・・なんだ?話に聞いてたのとは雰囲気の違う
『パーティー』だった。
ていうか・・・単なるお食事会だ、これじゃ。
どういう事だ?
でも、これが終わったらまどかとは終わり。
早く日本に帰りたい。美羽に、会いたい。
腕に絡まってるキレイにネイルアートを施してあるまどかの手を見て、無性に
美羽に会いたくなった。
帰国して、すぐに啓介に連絡を取った。
香港から翌日すぐに帰るつもりが、なんだかんだと滞在を伸ばされて、結局土曜日になった。
まどかの言う『パーティー』が金曜もあったからだ。
だが、それも規模の小さなものだった。
まったく、早めに出来たレポートを香港に発つ前、大学に寄って提出しといて良かった・・。
本当はすぐに美羽に連絡がしたかったが、美羽の携帯番号もメアドも知らなかった。
まったく。どれだけ関係が薄いかを思い知らされる。
美羽は俺の連絡先を知らなくても、何とも思わないんだな・・少しの寂しさを
感じて、啓介に連絡を取ったのだった。
「もしもし?柊!オマエ、どこ行ってたんだよ!」
「香港。わり、急いでて、携帯の充電器忘れててさ。で、啓介、美羽・・いや、
林の携帯番号教えて」
「は?オマエ、何言ってんの?」
「だから、林の・・」
「いないよ。」
俺の言葉にかぶせるように、啓介が吐き捨てた。
「りんちゃん、学校・・・辞めた」
目の前が、真っ暗になった。