第1章10.走り出す
ドクン
突然、凍りかけてた俺の心臓が、激しく動き出した。
体の奥から、じわじわと熱が広がってくる。
美羽の部屋に向けて、走り出した。
ちょうど帰宅したサラリーマンと一緒にエントランスに入ると、エレベーターは最上階の10階と、9階にいた。
「あ~。タイミング悪かったね」サラリーマンに同意を求めるように話しかけられたが、
そんなの・・待ってられるか!!!
彼女の部屋は真ん中の5階。
迷わず非常階段に向かった。
落ち着いて考えたら、エレベーターを待った方が早かったと思うが、体が立ち止まる事を拒否した。
確かめなきゃ。彼女かどうか。彼女が帰ってきたか確かめなきゃ。
一気に5階まで駆け上がる。
彼女の部屋は、角部屋の506!呼び鈴を押し続ける。
それだけじゃ治まらなくて、反対の手ではドアをたたき続けた。
祈りをこめて。
頼む!彼女であってくれ!!
中でドタバタと音がし、ドアがぱっと開く。
中に居たのは、この3ヶ月、ずっと焦がれていた美羽だった。
「か、香月さん?」
ぱっちりした目を、更に大きく見開き、不思議そうにしている。
突然の再会に、心の準備が出来ていなかった俺は、いきなり目の前に現れた
美羽から目を離すことができなかった。
想いを自覚してから、すれ違いでそのまま離れてしまった美羽。
離れてた期間は、美羽への想いを強くさせるだけだった。
会ったら言いたい事、したい事は沢山あったはずなのに、いざ目の前にすると、
こみ上げる想いに、何も言葉に出来なかった。
その時。玄関でドアを開けたまま、肩でドアを支え身を乗り出すように見つめる俺の視線から、逃れるように
美羽は少し後ろに下がった。
心臓が、ぎゅうっと切なく疼く。なんで離れようとするんだよ・・。
少し空いた距離を、また埋めようとズイッと室内に足を踏み入れる。
一気に、最初の距離よりも縮まり、支えが無くなったドアは後ろで静かにカチッと閉じた。
その音が、同時に俺のスイッチもカチッと入れた。
目の前で、少し怯えたように俺を見上げる美羽を・・・俺はたまらず一気に抱きしめた。
美羽は想像以上に小さくて、俺の腕の強さに、俺の胸のあたりに顔が押し込められていた。
俺はというと、身をかがめ、美羽の背中から肩にかけてをがっちり抱え込むような体勢になった。
腕の中に美羽がいる。
ずっと、ずっと待ってた瞬間だった。満足すべき瞬間なのに、実際のそれは
更に膨らむ想いに、苦しくなる一方だった。
強く、苦しくなる想いに比例するかのように、強くなる腕の力。
最初は驚いてなのか、大人しかった美羽も、さすがに抵抗を始める。
「むむむぅ~」
胸のあたりから、美羽の苦しそうなうめき声が聞こえ、ほぼ埋まっていた顔を
一生懸命振り、横を向いて苦しそうに息をした。
その時、鼻先を美羽の髪が揺れ、かすかに香る香りに、想いがもう、体の中で
はちきれそうになっていた。
本物だ。本物の美羽が、今腕の中に居る。やっと、戻ってきた。
目頭が、熱くなった。
抵抗をしてた美羽が、俺の様子が変な事に気付いたのか、抵抗を止めてじっとしている。
少し震えているのを気付いたのか。少し俺の力が緩んでからも、逃げようとはしなかった。
それどころか、そっと腰に手を添え、優しく触れる。
「ど、どしたの?何か・・あったの?」
こんな状況でも、純粋に心配してるみたいだ。
「会いたかった・・・」
カッコよく告げるつもりが、声が掠れるし押さえられないほど膨れ上がった
想いに、苦しさは募る。
もう心臓は、痛いくらいに早く、強く打っている。これは決して5階まで走ったからじゃない。
美羽だ。美羽の存在だけが、俺をこんな状態にする。
あまりの苦しさに、体内で膨れ上がる切ない想いを、どうにか解放したくて、美羽に
伝えたくて、
少し体を離して、美羽の両頬に手を添え、そっと顔を近づけた。
唇を通して、この想いを直接美羽の体にも注ぎ込みたい。そう、思った。
5階まで一気になんて、私は無理です。