第1章9.小さな灯り
美羽から連絡がきたのは、それから更に1ヶ月後。
8月に入ってからだった。
特に用事もないのに、もしかしたら・・・そんな思いでほぼ毎日美羽の家に
行くようになっていた頃だった。
とは言っても、段々郵便や不在票も1階のポストに入らない日が多くなったきたので
中には入らず、チェックだけして帰る日々だった。
それでも、部屋に灯りが点っていないか、必ず見上げるようになっていた。
かなり思いつめた顔をしていたのだろうか。
建人も、ストーカー呼ばわりを止め、時々飲みに誘ってくるようになった。
前から仲間とはよく飲みに行ったが、それは女の子達と賑やかなクラブに行ったり
する事が殆ど。最近は正反対の静かなバーに男同士で行くようになった。
美羽への想いを自覚してからというもの、どんな女を見ても魅力を感じないように
なったのだ。
美羽は、色んなものを俺に置いていった。
恋心も、恋の痛さも、会えない辛さも、片想いの切なさも。
これまで、何もかも思い通りに生きてきた。他人に何かを求めたりとか、人を心底
欲しがったりとか、誰かの笑顔で不整脈でも起こしたかと思う位、心臓がうるさくなる事とか、
そんなのはこの21年間無かった。
今日もポストには何も無かったし、このまま帰るか・・誰か誘って飲みに行くか・・
そんな事を考えていたら、啓介から電話がかかってきた。
あ。飲みの誘いかな?ちょうど良かった。そう思って電話に出た。
「きたぞ!」
「は?」
「りんちゃんから!連絡、きたぞ!」
啓介の言葉で、一気に心臓がバクバクしてきた。
「・・それで?」
力が入り、声が掠れる。
「少し前に退院してたらしいんだ。今は通院になってるって」
「帰国は・・まだわからないのか?」
「俺にはそれだけだったんだ。携帯出れなくて。メッセージが残ってた。出国の時色々手伝ったから、ありがとうって事と。」
「そうか・・」
「今から、てるちゃんと会うんだ。多分、彼女にはもっと話してると思う。オマエもウチに来いよ」
「すぐ行く!」
啓介の家に着いたら、もう二宮は来ていた。
「りんらしい。最初に、連絡遅くなってごめんね。って。」
最近あまり笑顔を見せなかった二宮も、嬉しそうに微笑んでいた。
色々質問したため、思った以上に長電話になってしまったんだという。
お兄さんは、インテリアデザイナーで、台北の富豪の自宅リフォームの仕事で
台北のその富豪の別宅に滞在していたが、ある日敷地内で、孫が出入りの業者の
車に撥ねられそうになり、それを庇って大怪我を負ったそうだ。
お兄さんはその富豪のはからいで、VIP待遇で入院生活を送っていたが、最近
退院し、その別宅に戻ったのだという。
美羽も、入院中は病院で付き添い、今は看護の為一緒に別宅にお世話になっているらしい。
話の流れから、帰国が近い事を感じ、気持ちがはやる。
「りんったら、国際電話は高いから、滞在してる家からかけるのは申し訳ないし、
お兄さんの病院に付き添った時にやっと公衆電話を見つけてかけてきたんだって。
お兄さん、頭を強く打って記憶障害を起こしてたみたいなの。それで入院が
延びたのと、心配でつきっきりだったって。
その富豪のおじさまは、孫を助けてくれた事にすごく感謝してるみたいだから
国際電話代金くらい、笑って許してくれると思うんだけどねって話してたの」
ふふふ。と嬉しそうに話す。
「で?」
「うん?」
「帰国はどうなりそうだ?」
「あ~・・・それなんだけどね・・帰国はね。ってなったところで電話が切れちゃったの。
何しろ・・色々質問して長くなっちゃったから。」
は~~~~~。
一気に力が抜ける。そこが大事なのに!
「でも!柊の連絡先、教えといたわ!!」
名誉挽回!とばかりに、二宮が満足そうに言った。
教えてくれたとしても、連絡が来なければかえって凹むけどな・・。
でも・・元気なんだな。少しでも様子がわかった事にほっとした。
にしても・・今まで自分の話をあまりしなかった美羽が、二宮との約束を守るために
一生懸命話したんだろう。
でもその大部分がお兄さんの話で、決して美羽本人の話じゃないってとこが、美羽らしいというか・・。
どこまでも、自分は後回しなんだな。
あぁ、早く会いたい。会ったら、想いを伝えて、いっぱいいっぱい甘やかすのに。
次の日は水曜日で、サークルの日だったが映画はそっちのけで美羽がもうすぐ
帰国するかもしれないって話で盛り上がった。
皆、美羽を可愛がっていたし、美羽が大好きだったから、美羽からお兄さんが
だいぶ回復したという知らせがあって、相当浮かれていた。
歓迎会をしなきゃ。復学するのかな?つか、そんなのできるの?
もし無理でも、サークルに来て欲しいな。
口数の少ないサラも、嬉しそうに「りんちゃんが戻ってきたら、彼女が好きな
ケーキでお祝いしようね」とはしゃいでいた。
美羽、皆オマエを待ってる。早く、帰ってきてくれ。
つか、サラに後で美羽が好きなケーキってーの、聞こう。
それからまた1ヶ月が瞬く間に過ぎた。
当然、というか何というか・・俺の携帯に、美羽からの着信は無かった。
あまり良い関係ではなかったのだから、仕方ないかもしれない。
わかってはいたけど、この辛い現実が心をどんどん冷たくした。
まだ残暑が厳しい時もあるが、夜になると涼しくなるようになったある日。
もう目を閉じてても通えるかも。って位、慣れた美羽の家に向かっていた。
殆ど諦めていたが、習慣になっていた俺は、美羽の部屋を外から見上げ・・
小さな灯りが点っているのを見た。
ケーキ、買い占めそうな勢いです。