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見えるのは私だけ?〜真実の愛が見えたなら〜

作者: 白崎りか

「これは政略結婚だ。おまえを愛することはない」


 初めて会った婚約者は、膝の上に赤髪の女を座らせていた。


 彼の名はジョージ・クローダン。黒髪に青い目をした30歳の男爵だ。氷の剣という二つ名を持つ。3年前の戦争で活躍し、爵位と領地を与えられた。昨年、その領地から、貴重な魔石が採掘され、大金持ちになった強運の持ち主だ。


 男の膝に座った女が、首をかしげて、赤い目で私をにらみつける。その手は男の背にしっかりとまわされている。


 ――彼は私のモノよ。


 真っ赤な唇が音を出さずに言葉を作る。そしてきゅっと口角をあげた。


 すさまじい笑顔に、思わず息をのんでしまった。

 男爵は不機嫌そうに私に青い目を向けた。


「なんだ、不満なのか? 伯爵からも了承は得ている。社交界に出せない娘だから、どんな扱いをしてもかまわないとな」


「……いいえ」


 そっと女から目を背けて、紅茶に手を伸ばす。小さなテーブルには、白い陶器のティーカップが置かれている。私と彼の前に二つだけだ。赤髪の女の前にはない。


 持ち手に触れた瞬間、女の腕が伸びてきた。私の手をはたくようにティーカップが倒される。


 真っ白なテーブルクロスに琥珀色の液体がこぼれた。


「はぁ。紅茶の飲み方も知らないのか」


 冷たい青い瞳があきれたように私に向けられる。


 顔をしかめる男の膝の上で、赤髪の女がにたにた笑っている。


「うそつき令嬢」


 笑いながら女は、私を不名誉なあだ名で呼んだ。


 倒れたティーカップを片付けようと持ち上げると、また、女が私の手をはたいた。


 ガチャン


 カップが宙を舞い、床に落ちる。


 痛い。


 立ち上がった赤髪の女が、私の腕をぎゅっとつかんでいた。


 女の手を振りほどこうと体を動かす。大きなため息が聞こえた。


「はぁ、何をしているんだ。礼儀がなってないとは聞いていたが、ここまでとは」


 私の横で、赤髪の女はお腹を抱えて大笑いしている。


「なんだ? どこを見ている。まさか、ここに幽霊がいるなんて言うつもりはないだろうな」


「……いいえ」


「勘弁してくれ。うちに嫁いでくるのなら、騒ぎは起こさずに、おとなしくしていろ」


 メイドが割れたカップを片付ける。赤髪の女のすぐ前を通ったけれど、彼女を気にすることはない。


 男爵も赤髪の女の存在を完全に無視している。


 どういうこと?

 彼女は、「私にしか見えない」ってことでいいの?


「もういい、今日は帰ってくれ。書類はこちらで提出しておく」


 私は立ち上がって礼をした。


「婚姻を楽しみにしています」


 小さな声でつぶやく。赤髪の女は男に抱き付いてキスをしている。


 ……ふっ。


 部屋を出た瞬間に、我慢していた笑いが息の形でもれた。


 いい、いいわ! とっても、いい。


 婚約者の顔が整っていたことは、嬉しい驚きだった。

 短い黒髪に真っ青な瞳。精悍な男らしさのある顔立ち。

 全て理想通り。

 それに、……彼の真実の愛の相手が見えるのは、私だけってことでしょう?


 ああ! なんて好条件なの!


 執事の後をついて、玄関まで軽い足取りで歩く私を、男爵家のメイドたちがささやき声で見送ってくれる。


「あれが旦那様の?」


「でもアンナ様が……」


「伯爵令嬢なんでしょう?」


「噂では、王妃様の怒りを買って、社交界に出入り禁止だって」


「うそつき令嬢ね」


 聞こえて来た無礼な噂話に、後ろを歩く騎士が剣に手をかけた。


「リオン。気にしないで。ただの噂話よ」


「……」


 護衛騎士のリオンは、黙ってメイドたちをにらみつけた。彼の青い瞳は、私の婚約者になった男とよく似ている。


「そんなに怒らないで。私が嫁いで来たら、メイドは全部入れ替えましょう。今だけよ。ね、もう帰りましょう?」


 見上げて微笑むと、彼は仕方ないなというようにふわりと笑った。氷のような青い瞳は私を見る時だけ、春の海のように優しく光る。


 婚約者の瞳も、こんな風に優しくなったりするかしら?


 不機嫌な顔をした男爵のことをぼんやりと考えながら、執事が用意した馬車に一人で乗り込む。


 この慇懃無礼で人のことを見下している執事も、入れ替えが必要ね。と、心の中でメモしながら。



 うそつき令嬢。


 そんな不名誉なあだ名を持つ私は、伯爵家の長女だ。

 由緒正しい家門に生まれた17歳の私が、30歳の成り上がり男爵に嫁ぐことになったのには、理由がある。

 我がバイレット伯爵家は、曽祖父の時代に王女が降嫁したほど歴史ある名門だ。王家の色を持つ私が誕生した時、父は、王族に嫁がせられるのではと期待した。

 だから、7歳の私を着飾らせて、王妃の主催した婚約者選びのお茶会に連れて行った。


 そこで、私は運命を変える相手、王太子様と出会ってしまった。


 今から10年前のあの日の出来事が、全てを変えたのだ。


 銀色の髪に紫の瞳。百人の兵で1万の敵を倒した建国王と同じ色を持つ私たち二人は、目があった瞬間に息をするのを忘れるほどに夢中になって見つめ合った。周りの雑音が全く聞こえなくなるくらい。ただ静かに、二人だけの世界を作っていた。


 言葉にしなくても分かる。彼は、私のことを分かってくれている。私の置かれたつらい状況を。実母が死んだ後、継母にいじめられている日々を。全部、彼だけは分かってくれるのだ。この世界でただ一人、彼だけは、私のことを理解してくれる。


 だって、私にも、彼のことが良く分かるのだから。彼は私と同じだから。


「まあ、まあ、なあに? そんなに見つめ合っちゃって。あらあら、エドワードはソフィアちゃんにひとめぼれしちゃったの?」


 空気を読まない王妃の発言が、私達を引き離した。


「畏れ多いことでございます。我が娘を気に入ってくださってなによりです」


 父が私の前にきて、にやにやと笑った。「絶対に、なんとしても王太子に気に入られて婚約者になるのだ」馬車の中でずっとそう言われていた。


「あら、そう? でもね、今日は、エドワードのために女の子をいっぱい呼んであげたのよ。やっぱり一番優れた子を選びたいじゃない? そうだわ、相性占いをしてもらうのはどうかしら? 市井で流行っている霊能者を連れて来てるのよ」


 王妃はこんな風に、平民を王宮に連れ込んで娯楽にふけっていた。この日のお茶会には、守護霊占いをするという霊能者を呼んでいた。


 私たちの目の前に現れた、卑しい霊能者は王妃にこびるように両手をすり合わせてお辞儀した。


「私の息子と一番相性の良い女の子を選んでちょうだい。婚約者にふさわしいのは、家柄ももちろんだけど、守護霊との相性も大切でしょう?」


 暗に、伯爵令嬢の私では家格が低いと王妃は告げているのだ。


「もちろんでございます。さすが、美の女神を守護霊に持つ王妃様のおっしゃる通りです。さて、こちらのお嬢様は……」


 安物の服で着飾った偽霊能者は、私を眇めた目でじっと見てから告げた。


「こちらのお嬢様の守護霊は、かわいらしいウサギですね。とても小さくて愛らしい守護霊ですが、王太子様の守護霊と並ぶと……」


 王妃の意を汲んで、彼は私の守護霊を、取るに足らない小さいウサギと告げた。


「なにしろ王太子様の守護霊は、伝説の騎士様ですからね。初代国王の隣で何千もの敵を倒したという勇ましい黒騎士様。王太子様にふさわしい守護霊です。一方、こちらのご令嬢の守護霊のウサギは、黒騎士様の霊気にあてられて、怯えて震えあがってますよ」


「まあ、それはダメね。ウサギちゃんがかわいそうだわ。ざぁんねん。うふふ。いくら見た目が良くても守護霊がウサギじゃ……」


 王妃は面白そうに笑った。


「……ちがい、ます」


 本当は、黙っておくべきだったのに。

 言うべきじゃなかったのに。

 でも、当時、7歳だった幼い私には、どうしても我慢できなかったのだ。王太子様の後ろで、ものすごく悲しそうな顔でパチパチとまばたきする人が、私に訴えかけるから。

 それに、……私の守護霊をウサギだって言われたことに、腹が立っていたから。

 だから、言ってしまった。


「ちがいます! 王太子様の守護霊は、黒騎士様じゃないです!」


 王妃の言葉を、大声で遮ってしまったのだ。


「王太子様をお守りしているのは、女の人です! 騎士様じゃなくて、ピンク色の髪をした女の人です!」


「何を言っている? 黙りなさい」


 隣にいた父があわてて私を止めようとするけれど、言葉は口からあふれ出した後だった。


「ふわふわしたピンク色の髪に、水色の瞳の女の人です。王太子様の背中にくっついています! それに、」


 お腹から血を流しながら、王妃様をにらんでいます。


 そう続けようとした私の口を、父が無理やりふさいだ。


「ピンクの髪に水色の瞳ですって?!」


 王妃は、ものすごく恐ろしい顔になった。


「無礼者! 自分が婚約者に選ばれないからと言って、世迷言を申すうそつきな娘め! 兵よ、この娘をとらえなさい!」


 近衛兵が王妃の命令に従い、近づいてくる。護衛騎士のリオンが私を守るように前に立ち、剣に手をかけた。


 緊迫した状況を止めたのは、王太子様だった。


「母上、幼い令嬢のただの失言ですよ。そんなに目くじらを立てることもないでしょう」


「まあ、何を言うの? あなたが侮辱されたのよ。わたくしの息子の守護霊が、卑しい身分の女だなんて失礼なことを言う者には、処分が必要よ」


「僕の守護霊は、黒騎士なんでしょう? そうだよね、そこの霊能者、女性の霊はここにはいないよね」


 真っすぐに紫色の瞳を向けて、王太子様は、霊能者を問い詰めた。


「も、もちろんでございます。王太子様の守護霊は伝説の黒騎士様です。女性の霊など、どこにもいません!」


 床に頭をつけるほど低くお辞儀をして、霊能者は震えながら答えた。満足そうにうなずくと、王太子様は銀色の髪をかき上げた。


「母上、幼い子供は、大人のまねをするものです。彼女はただ、霊能者のまねをして、幽霊が見えると言ってみたくなったのでしょう。許してやりましょうよ」


「そう? あなたがそう言うのなら……。でも、わたくし、とっても不愉快になったわ。幽霊が見えるなんて嘘をつく子とは、もう二度と会いたくないわ」


 王太子様のおかげで私は処分を免れた。

 それでも、この日から10年間、王妃に嫌われたうそつき令嬢として、社交界に出ることは一切許されず、継母と父から虐げられる日々を過ごすことになった。





「リオン。教会に寄って行きましょう?」


 男爵家からの帰り道、家の手前で馬車を降りて、川沿いの道を歩く。水辺に降りようとする私に、リオンは手を貸してくれようとするけれど、私はその手を取らずに、草の生えた崖を滑るように降りる。


「見つけた」


 小さい白い花が、水際でひっそりと咲いている。

 白花草だ。一年を通して花をつけることから、庶民はこれを墓前に供える。貴族は、温室で育ている白薔薇や白百合を使うのだろうけど。


 花びらを傷つけないように、そっと摘む。手伝おうとするリオンを止める。これは私の仕事だから。


 満足いく大きさの花束を作ると、教会へと歩く。

 王都のはずれにある教会は、7歳のあの日から毎日のように通っている。運が良ければ出会えるかもしれない。今日は水の曜日だから、もしかしたら、きっと……。


 今にも崩れそうな古い建物に入ると、シスターたちが私を歓迎してくれた。彼が来ていると教えてくれる。


 今日は多めに摘んできてよかった。


 教えてくれたお礼だと、シスターたちに一輪ずつ白花草を渡す。彼女たちは嬉しそうに笑った。


「殿下!」


 教会から帰ろうとしている後ろ姿を追いかける。


 主を呼び止める無礼な娘に、側近が目を吊り上げてふり向いた。その隣の王太子様は10年前と同じ、優しい微笑みを見せてくれる。


「やあ、また会えたね。ソフィア」


「あの、これ、どうぞ!」


 私は白花草の花束を王太子様に渡した。


「はぁ?! 死者に手向ける雑草を殿下に贈るとは、なんて失礼な娘なんだ!」


 側近が私の前に立ち、怒鳴りつけるのを王太子様が止めた。


「やめろ。彼女にかまうな」


「しかし! こんな無礼者は」


「いいんだ。……ソフィア、いつもありがとう」


 王太子様は花束を受け取ってから、いたわるように私の手を取った。


「また、荒れているね。良く効くハンドクリームを贈ろう」


「……ありがとう、ございます」


 ちらっと見あげると、王太子様の肩に、女の人があごを乗せている。私と目が合うと、パチパチとまばたきをした。

 ふわふわしたピンク色の髪に水色の瞳は10年前と同じだ。変わったのは、お腹から血を流していないこと。すっかり健康な見た目になって、キラキラした眼差しで、王太子様の横顔を愛おしそうに見つめている。白花草の花束を王太子様が持ち上げると、女の人は、大きく口を開けて、ぱくりと白い花びらを食べた。


「婚約が整ったんだって?」


 王太子様は何でも知っている。今日会ったばかりの婚約者のことも、私よりも詳しく知っているだろう。


「はい、ジョージ・クローダン男爵です」


 私が相手の名前を言うと、側近の男が顔をゆがめた。


「はっ、成り上がり男爵か。女を使って敵の情報を得た卑怯者が婚約者になるのか。うそつき令嬢にはピッタリだな」


 バカにしたように笑う側近の男に、私の騎士のリオンが剣を抜く。


「サイラスやめろ。私の側近がすまない。許してくれ」


 王太子様は、リオンに向けて謝罪した。それを受けて、彼はしぶしぶ剣をしまった。


「わたし、しばらくここには来れないかもしれません」


 10年間通った教会には、当分来ることはできないだろう。明日から、婚約者の家で住み込みで行儀見習いをすることになっている。三か月後の結婚式まで待てないらしい。父は厄介者の私を早く追い出したいのだ。


「そうか。では、時間ができたら、君の婚約者に挨拶に行こう」


「!」


「この花のお礼だ。いいね」


 紫色のまっすぐなまなざしに、こくりとうなずく。


「うそつき令嬢なんかのために、成り上がり男爵家に行くなど、殿下、気は確かですか?」


「サイラス。彼女は僕の大切な人だ。婚約相手に挨拶ぐらい構わないだろう?」


「王妃様に言いつけますよ」


「それは、やめてほしいな」


 困ったように微笑む王太子様の肩の上から、ピンク髪の女性がにらみつけると、サイラスの茶色い髪がぶわっと揺れた。彼は、寒くてたまらないというようにぶるっと身震いする。


「殿下、もう帰りましょう。ここは寒いです。風邪をひかれたら、王妃様からおしかりを受けますよ」


「そうだね。それじゃあ、ソフィア。また、ね」


「はい。エドワード殿下」


 私はお辞儀をして、王太子様を見送った。

 パチパチとまばたきをして私をじっと見つめてから、ピンク髪の女の人も王太子様の背中にくっついて帰っていく。


 この10年間、捧げ続けた白花草のおかげで、彼女はとても力のある存在になった。王太子様の望みが叶う日も近いだろう。


 王太子様は、王妃の実の息子ではない。それは誰もが知っているけれど、決して口には出せない真実。17年前、ドレス姿でパーティに出席した王妃は、昨夜自分が産んだのだと言って、赤子を見せびらかしたそうだ。建国王と同じ銀色の髪と紫の瞳をした赤子だった。ごく稀に王族の血をひく者に誕生する奇跡の紫の瞳。国王は自分の息子だと認めた。

 その数ヶ月前に、妊娠が判明した国王の愛人が行方不明になっていた。王妃が赤子を披露した翌日、彼女の遺体が発見された。腹が切り開かれたその遺体は、ピンク色の髪に水色の瞳をしていたそうだ。


 無力な国王は、宰相の傀儡だ。宰相と彼の娘の王妃に逆らえる者はこの国にはいない。子ができなかった王妃は、妊娠した国王の愛人を誘拐し、生まれた赤子を取り上げたのだ。そしてその子を自分が産んだことにした。美しく育った王太子に王妃はひどく執着している。甥のサイラスに王太子を監視させ、彼の行動を制限した。もっとも、サイラスは、出来が良くない不真面目な側近で、仕事をさぼってばかりだけど。



「私達も帰りましょう、リオン」


 ブラザーとシスターたちに見送られて、私とリオンも教会を後にした。

 若いシスターは、私の護衛騎士にうっとりと見とれている。

 黒い髪に青い瞳をした長身のリオンは、婚約者の男爵と少しだけ似ている。でも、私の大切な騎士の方が、ずっとかっこいい。


 彼が微笑みを見せるのは、私だけなのよ。


 ちょっとだけ優越感を感じながら、大切な騎士と並んで歩いた。





「ここがソフィア様のお部屋です」


 不愛想なメイドが私を狭い部屋に案内した。

 北向きの窓のある客室だ。

 もしかして物置だったのかもしれない。

 部屋の中には、平民が使うような粗末な家具が並んでいる。

 男爵家での行儀見習い初日。わずかな荷物とともにやって来た私を迎えたのは、態度の悪い執事とメイドだった。そして、赤髪の女。


 女はにやりと笑って、運ばれたスーツケースを開けて、床に中身をぶちまけた。


「きゃぁ、何をするのですか、ソフィア様!」


 メイドが悲鳴を上げるのにも構わず、赤髪の女は私のドレスを足で踏みつけて、宝石箱から転がり落ちたペンダントを自分の首にかけた。


「部屋が気に入らないからって、いきなり荷物を散らかして暴れるなんて」


「怖いわ。これだから嫌われ者のうそつき令嬢は」


 悲鳴を聞いて集まったメイドたちが、口々に私の悪口を言う。彼女たちにも、赤髪の女は「見えない」のね。


「あははは、あなたの味方なんてどこにもいないわよ。私がやったって言ってごらん。うそつき令嬢の言うことなんて、誰も信じないんだからね」


 私のドレスをビリビリと破りながら、赤髪の女は大笑いした。


 その後も、メイドが運んできた食事は、赤髪の女によって床に投げ捨てられた。メイドたちは「食事が気に入らないってソフィア様が暴れているんです」と男爵に泣きついた。


「乱心したか。おとなしくしていろ」


 行儀見習いに来て数日で、私は食事も与えられずに、部屋に鍵をかけて閉じ込められてしまった。



「そんな顔しないで。私は大丈夫よ」


 ――いつまで我慢すればいい?


 そう問いかける護衛騎士のリオンに、私はにっこりと笑いかける。


「あなたと二人きりになれたのだもの。悪いことばかりじゃないわ」


 不機嫌そうにドアの外をにらんでいたリオンは、私の言葉に首をかしげる。


「ここは新しい館でしょう? 家具も新品。だから、とても静かで心地いいのよ」


 王都のはずれに建てたばかりの男爵家のタウンハウスは、私を煩わせる喧騒から程遠い。


「ねえ、散歩に行きましょう。夜の川辺を歩くのも楽しいわよ」


 ――お嬢様のお望みなら


「ふふ、楽しみね。あなたと二人で歩いていると、いつも新たな発見があるもの。それに、あなたが私を守ってくれるでしょう?」


 部屋の窓を開けて、冷気を吸い込む。2階の窓枠から身を乗り出すと、リオンがふうわりと私を浮かせてくれる。

 ゆっくりと、庭先に降り立つ。

 私たちは、静かな夜の散歩を楽しんだ。



 皆が寝静まったころに、館に戻って来た私とリオンは、音を立てずに階段をのぼる。


 主寝室のあたりから話し声が聞こえて来た。


「いつまで幽霊のふりを続けるんだ?」


「だって、面白いんだもん。頭からワインをかけた時の、あの子の顔見た? みんな笑いをこらえるのに必死だったわよ」


「相手は伯爵令嬢だぞ。いくらうそつきで王妃から嫌われていると言っても、子供の頃の話だろう?」


「なあに? ほだされたの? ダメよ。あなたには私だけなんだから。それに、使用人たちもみんなノリノリなのよ。明日はどんないたずらをしてやろうかしらって、アイデアを出してくれるのよ」


「はぁ、ほどほどにしておけよ。俺が男爵でいるためには、貴族の妻が必要なんだからな。あまりいじめるな」


「だって! 悔しいじゃない。私が平民だから結婚できないなんて。ねえ、約束してよ。私たちの子供をあの子が産んだことにして跡継ぎにするって」


「ああ、分かってるって。でも、そのためには、早く子供を作らないとな。さあ、今から仕込んでやるぞ」


「きゃぁ! あ、ん、もう」


 顔をしかめるリオンをなだめて、私は彼と二人の部屋に戻った。


 あなたたちのたくらみなんて、最初から分かってたわよ。

 ありがとう。私と婚約してくれて。


 私は彼らに感謝した。


 その後も、赤髪の女と召使いによるいたずらは続いた。

 私の髪を引っ張り、足を蹴る女を見えないふりでやり過ごすのは難しかった。何よりも、リオンが限界だった。

 絶対に彼らには手を出さないでね。

 そう命令しているけれど、私が傷つけられることが彼には我慢できないみたいだ。


 些細ないたずらが大きくなり、身の危険を感じるころ、ようやく彼がやって来た。

 やっとだ。婚姻まで後一月しかない。


「お、おっ、王太子殿下がっ! お見えになりましたっ!」


 突然訪問した王族に、執事は大慌てで食堂に駆け込んできた。


 私の前には、赤髪の女によってグチャグチャに混ぜられた食事が並んでいる。

 たまには一緒に食事をしようと婚約者に言われて食堂に来てみれば、このざまだ。赤髪の愛人は、男爵と仲良く食事をする姿を私に見せつけたかったらしい。

 でもそれは、突然の訪問者に中断された。


「急にすまないね。ああ、食事時だったか。悪いね、続けてくれ」


 全然悪いとは思っていない態度で、食堂に入って来た銀色の髪の王太子様は、私とリオンに目配せをした。王太子様の後ろから側近のサイラスとブラザーとシスターたちがぞろぞろとついてきている。誰にも咎められずに部屋に入り込んだ彼らは、私とリオンに深々とお辞儀をして、壁際に静かに立った。


 高貴な客人の乱入に驚いた男爵は立ち上がる。その膝から滑り降りた赤髪の愛人は、逃げるように扉の方に行った。

 でも、この部屋からは出ることは許さないというように、ドアの前にはサイラスが立って、出口をふさいでいる。


「な、なぜ、王太子殿下が?」


「やあ、爵位を与えて以来だね。約束通り、貴族の婚約者を迎えたようだが、元気にしているかい? ソフィア」


 あたふたと礼をとる男爵に、王太子様は鷹揚にうなずいてから私に紫の瞳を向ける。


「エドワード殿下におかれましては、お変わりないようで」


「うん。最近とても調子がいいんだ。全て順調でね」


 王太子様は腕にくっついているピンク髪の女性を嬉しそうに見た。女性はパチパチとまばたきをして、うっとり微笑み返す。


「あ、あのぉ。本日はどういったご用件で?」


 貴族の世界に慣れていない平民上がりの男爵は、無礼にも王太子様から用件を聞き出そうとした。


「ああ、これだよ」


 その態度が気に障ったのか、王太子様は刀をいきなり抜いた。刀身がギラギラと光っている。


「な! 何をなさるのです?」


「珍しい刀を手に入れてね。見せびらかしたくなったんだ。氷の剣と呼ばれる男爵なら、この刀の価値を分かってくれるんじゃないかってね。突然訪ねて悪かったね」


「は? え? 刀?」


 訳が分からないと言う風に、口を開けて男爵は王太子様を見る。


「そうだよ。ほら、切れ味はどうかな?」


 ビュン ビュン


 音を立てながら、王太子様は、刀を振り回して、部屋を歩きまわる。


「ひっ」


「きゃあ」


 召使いたちは王太子様の刀から、あわてて逃げまどう。

 赤髪の女と目があった王太子様は、迷わず彼女の方へ足を向けた。


「きゃ、いやぁ!」


 自分に刀が向けられている。

 そう悟った女は、赤い髪を振り乱して逃げようとして、何かに足をとられて転んだ。


「ひっ、いやぁ!!」


 ザンッ


 銀色に光る刀身が彼女の胸から腰を斜めに切り裂いた。

 女の赤い口から、かすれた声と血が零れ落ちる。


「あ、ジョー たすけ……」


「アンナ!!」


 男爵が恋人に走り寄る。そして、あふれる血を止めようと胸に手をあてて、絶望した顔で王太子様を見上げる。


「なぜこんなことを!! なんでアンナを!」


「なんのことかな? ああ、虫でも切った? 汚れてるね」


 床にたまっていく赤い血を気にも留めずに、王太子様はシュッと刀を一振りして、血を飛ばす。


「そこに誰かいるのかい? 僕には何も見えないんだけど。ねえ、サイラスには見える?」


 にっこりと笑った王太子様は、無表情で扉を守るサイラスに問いかけた。


「いいえ、私にも何も見えません」


「そうだよね」


 私は、恋人を抱く男爵をぼんやりと見ていた。血の匂いがする。彼女の長い赤い髪が、赤い血で染まっていく。


「ああ、アンナ死なないでくれ。アンナ!」


 男爵の悲鳴が響く中、赤髪の女の体から魂が抜けていくのが見えた。生まれたばかりの赤髪の女の幽霊は、宙に浮かび、困惑したように男爵に触れようとする。でも、その手は男爵の体をすり抜けてしまう。


 ――ジョージ。私はここよ、ジョージ。


 必死で訴えているけれど、その声は彼には聞こえない。


 彼には、彼女が見えないのだ。


 ここにいる使用人たちも、誰も彼女を見ることはできない。赤髪の女は、本物の「見えない」存在になったのだ。


「なぜ、こんなことを、よくも!」


 恋人を殺された男は、ゆらりと立ち上がって、王太子様の方へふらふらと歩く。壁に立てかけられていた剣を手に取って。


「王族だからって、罪もない女を、俺のアンナを!」


 氷の剣と呼ばれた男は、戦場で鍛えた剣を振るう。通常であれば王太子様には防ぐことは不可能だっただろう。


 でも、側近のサイラスが、いつの間にか王太子様の前に立って、その剣を受け止めていた。


 キンッ カキン


 鋭い音が何度かした後、サイラスの剣が男爵の胸に突き刺さっていた。


 ゴボッ


 口から血を吐きながら、男爵は床に転がった。


「きゃぁ!」「いやぁ!」「助けてくれ!」


 召使いたちが出口へ走る。でも、それを一人も見逃さずにサイラスが切りつける。

 部屋中に赤い血が飛び散った。


 生まれたばかりの幽霊たちが、ふらふらと不安そうに部屋の中に漂っている。


 ふと、男爵の幽霊と目があった。赤髪の女を守るように腕に抱いた男は、私の隣に立つ彼に、やっと気づいた。私を守るように剣を構えるリオンを見て、青い瞳が驚愕に見開かれる。


 ああ、彼らも、やっと見ることができたのね。

 いつもあなたたちの愛を見せつけられるばかりで、つまらなかったのよ。私だって、最愛の人を自慢したかったわ。


 彼女たちに、私の真実の愛を見せてあげたかったの。


 私達の方がずっと大きな愛で結びついているのよ、ってね。私のリオンの方が、ずっとかっこいいわって。


 ふらふらと向かってくる幽霊たちを、リオンは素早く真っ二つに切り裂いた。


 幽霊にも死はあるのだ。

 私のリオンにはそれができる。

 彼に切られた幽霊は、二度と生まれ変わることもできずに消滅するのだ。


 さらさらと砂のように光りながら、男爵と赤髪の女の幽霊は消滅していく。きっと、何が起きたのか彼らには分からないだろう。


 リオンが幽霊を切った時、サイラスは執事を切っていた。


「サイラス。もうちょっと血を流さないようにしてくれないかな? 首を絞めるとか。掃除が大変だろう?」


 出来損ないだったサイラスは、別人のように華麗に剣をふるっていた。


「はっ、申し訳ございません」


「うん、でもまあ、切り口がきれいだから、修復しやすいかな。さすが剣豪だね」


 血だまりを避けながら、王太子様は男爵の死体の前に跪いた。


「本当にこれでいいの? まあ、顔立ちはちょっと似てるけれど」


 王太子様の問いかけに、私はにっこりと笑ってうなずく。クローダン男爵は、長年探し求めた人材だったから。


「彼がいいのです。貴族社会に知人も少ないですし、戦はリオンの得意なことですから」


「ふーん。まあ、じゃあ、始めるよ。大丈夫だよ。サイラスで実験したからね。失敗することはないだろう」


 王太子様の手のひらから銀色の光が溢れる。それは、男爵の体を包んで、胸の傷を修復していく。


「さあ、準備はできたよ」


 私は、リオンの青い目を見つめる。彼は心配するなというように私に笑いかけた後、死体に近づいていく。そして、吸い込まれるように男爵の中に入っていった。


 まわりではブラザーとシスターたちが真剣な顔で見守っている。


「リオン?」


 不安になって呼びかけると、死んでいた男爵が目を開いた。氷のように冷たい青い瞳だ。でも、私と目が合うと、それは春の海のようにふわりと優しく光った。


「お嬢様。ああ、やっと……」


「ソフィアって呼んで。私はあなたの婚約者よ」


「ああ、ソフィア。やっとあなたに触れられる」


 そうっと手を伸ばすリオンの胸に、私は勢いをつけて飛び込む。


 久しぶりに肉体を得た騎士は、ぐらりとふらつきそうになったけれど、片手で私を支えて、立ちあがる。


「ソフィア。俺のお嬢様」


「大好きよ。リオン。私達、結婚するのよ」


「夢みたいだ。愛している。ソフィア」


 私たちが愛を確かめ合っている横で、王太子様は召使いの死体を修復し、次々にシスターやブラザーを憑依させている。慇懃無礼な執事の体にも、長年教会でさまよっていたブラザーがうまく入り込んだようだ。


 ようやく体を得ることができた幽霊たちは、手足の動きを確かめた後、王太子様に命令されて、床の血だまりを掃除し始めた。


「ああ、だめだよ。その赤髪の女の死体はやめておこう。敵国の元スパイだったからね。憑依すると厄介ごとに巻き込まれるよ。これは死んだままにしておこう」


 死体を欲しているシスターを王太子様がなだめている。サイラスは館に隠れている使用人を全て見つけ出して、幽霊たちにその体を差し出させた。


 召使いの入れ替えは、大方終わったようだ。


「エドワード殿下。ありがとうございます」


「この恩は必ず返そう」


 私とリオンが仲良く手をつないで王太子様に礼をすると、彼は、満足そうに銀髪をかき上げた。


「うん、僕も、最強の騎士を配下に得られたからね。今度鎧を贈ろう。伝説の黒騎士が使っていたと言われる黒い鎧を宝物庫で見つけてね」


「戦場のことなら俺に任せてくれ」


「頼もしいね。500年ぶりの人間生活を楽しんでくれ。それに僕も、とても大切な人のために実験がしたかったからね。良い結果を得られたよ。その体の使い勝手はどう?」


「まずまずだな。鍛え方が足りない分は、これから直そう。でも、彼女に触れられるだけで幸せだ」


 リオンは私の手をぎゅっと握る。私も嬉しくなって握り返す。


「僕もそろそろ決行するよ。ね、母様」


 王太子様は腕にくっついているピンクの髪の女の人に、とろけるような甘い微笑みを見せた。


「でも、本当にあの女でいいの? 厚化粧のおばさんだよ。 もっと若くて綺麗な人の死体を用意できるよ? え? 僕に母上と呼ばれたいからって? ははっ、もう、母様は子離れできないんだから」


 ピンク髪の幽霊と話しながら、王太子様はご機嫌で帰って行った。

 その後ろを、主に忠実な側近が付き従う。戦死した剣豪がサイラスの中に入っているのだ。まじめな性格の彼は、王太子様の側近にふさわしい。



 500年前、百人の兵で一万の敵を倒した初代国王は、秘密の力を持っていた。霊を憑依させ、死者を生き返らせる力だ。霊が乗り移れるように死体を修復する魔法。それから、憑依できるように霊を強くする魔法。この二つを使って、建国王は戦場で味方を増やした。


 奇跡の紫の瞳を受け継いだ私と王太子様にも、幽霊が見えた。

 でも、血が薄まった私達には魔法は一つしか使えなかった。王太子様の魔法は、死体修復で、私は霊の強化だ。王太子様と違い、私の力はとても弱かった。霊を強化するのに10年もかかってしまった。白花草を通じてしか、私の力は発揮できないのだ。

 それでも、長かった悲しみの時代は終わり、私は幸せを手に入れた。


「ねえ、リオン。私、男爵家の人たちにいじわるされて本当はうれしかったのよ」


「なぜだ? 俺はあいつらを殺したくて我慢できなかった」


 ベッドの上でリオンの胸に顔をうずめながら、くすくす笑う。背中をなでる彼の手つきがくすぐったい。


「だって、みんなが優しい人だったら、計画を中止していたかもしれないでしょう? そうしたら、私達はこんな風に触れ合うことはできなかったわ」


「そうか?」


「そうよ。私にだって良心はあるのよ。でもね、あの人たちにいじめられるたびにこう思ったの。入れ替えが終わった後、私は罪悪感を持たなくてもいいんだなって。嬉しくて仕方なかったの」


 リオンは私の首筋にキスをする。


「優しい妻を持てて、俺は幸せだな」


 私たちは先月結婚した。ひっそりと挙げた式には、お忍びで王太子様と王妃様が来てくださった。薄情な伯爵家の父親と継母からは、何のお祝いも贈られなかった。

 あの人たちも、王太子様に頼んで入れ替えてもらおうかしら?


 そうそう、王太子様といえば、先日、王妃様が婚約者選びのお茶会を開いたそうだ。

 その席で、婚約者の条件を聞かれて、


「最愛の息子の婚約者に必要なもの? うふふ、そうね。まずは、顔かしら? 見た目は重要よ。だって、中身は後からいくらでもかえられるでしょう?」


 王妃様はパチパチとまばたきした後、愛しくてたまらないというように王太子様に微笑んだそうだ。

分かりにくかったら、ごめんなさい。

赤髪の女=人間、王太子=人間、サイラス=人間

護衛騎士リオン=幽霊、ブラザーとシスター=幽霊

ピンクの髪の女性=幽霊でした。彼女は王妃に憑依しました。


王太子はこの後、宰相と関係者の中身を入れ替えます。仕事のできない者も、王太子と個人面談をすると、人が変わったように有能になります。建国王の再来と歴史に名を遺すでしょう。


※評価ありがとうございます。次回作の励みになります。


※ごめんなさい(T_T)

せっかく、いただいたのに間違えて感想を一つ消してしまいました。復元の仕方が分からない(ToT)

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[一言] ネクロマンサーの国だから、 通常のファンタジー世界だとラスボスポジションの何かですねこれw ただまぁ被害者側が大概やらかしてるからある種地獄少女とかそっち系の話に近いというか……
[一言] 赤髪のスパイが幽霊なのか混乱しましたが人間だったのですね! サイラスが切った時みてないっていって、男爵の反応的に彼も幽霊が見えるのかと思ってかなり混乱して何度も読み返してましたw でも読み進…
[良い点] 運命の出会い!素敵ですね。恋愛では無く運命を切り開く出会いなのが面白いと思いました。 ミステリアスな展開で、驚きのラストでした。王子よ…どこへ向かって行くんだ? [気になる点] 入れ替え…
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