魔界は今日も平和です。
数日が経過したが魔王城の暮らしは穏やかなものだった。
私の世話係の使用人らしき者は、魔王に対峙しても友達の様な気軽さで話す。
サーシャの様に至れり尽くせりはしてくれないが、適度なサポートが逆に気楽で良かった。
魔王も自分でやれる事は何でも一人でやってしまうし、貴族や王族との違いが何だか心地良かった。
「ルナ。今日は、街を案内しよう。
上位魔族の奴意外の中級や下級の者達が多いから見た目は怖く感じるかもだが、根は良い奴らだ。
獣型さえ喋るし愛嬌がある。心配するな。
それに上位魔族より親しみがあるぞ。
上位魔族は馴れ合うのを嫌う者が多くてな。
自分のテリトリーに篭ってる者が多いんだ」
今日も魔王は私を気遣ってくれる。とても優しく紳士的だ。
「リヒト。そんなに毎日の様に私に構わなくて大丈夫なのに。
リヒトだって、魔王としてやる事はあるのでは無いの?」
そう問う私に笑顔で答える魔王は、初対面の時とは比べものにならない程に打ち解けていた。
「やる事か?そんなもんない。
魔界は平和だよ。皆が思う様に生きてる癖に秩序が保たれてる。魔界の王とは名ばかりで人間と違い王は管理というより、いざと言う時の盾だ。
魔界と、そこに暮らす者を護るのが役目。
ただそれだけだ。
天使族との争いが無い今は暇だ。
平和ボケしそうだ。」
そう言って笑う。
確かに、魔族には家族と言う概念が無い。
己が己自身を労り愛すると言う感じだろうか?
だから、魔族同士のイザコザも本人同士の意思に任される。個人個人が自己責任で争い、他者は加勢もしない。
戦闘になったとしても敗れた方は潔く命を散らす。全ての言動に覚悟を持ってる様だ。
太古の昔の天使族との争いも、個人的な思いが優先され戦いに無関心の者も居たと言う。
魔族でも争いを好まぬ者もいるのだ。
「そう言うものなのね。
人間も、そんな風に生きられたら良いのに。
けれど、人間は子孫を残す生き物だもんね。
親族を愛する故の争いもあるし、割り切れない想いが生まれる。
他者との関わりが濃い分に生まれる憎しみや嫉妬なんて言う負の感情も生まれちゃう。
リヒトが言う様に人間は複雑なの。
白か黒で割り切れない事の方が多いわ。
リヒトの様に寛容な心が有れば少しは違うのかしら?」
隣からアハハハハハと大きな笑い声が響く。
視線をやればリヒトが腹を抱えて笑っている。
何が、そんなに可笑しいのかと尋ねれば
「俺が寛容だって?
それは無い!キレやすいし好き嫌いはハッキリしてるぞ。
オマエが俺が寛容だと思うんなら、概念の違いだな。俺達にだって感情はあるし好き嫌いもある。
けどな、ものは考えようなんだ。
物事や現象には、無限の視点が存在するんだ。
何処から見るかで捉え方が変わるんだ。
穏やかな毎日で居たいなら、心穏やかで居られる視点を探すだけなんだ。
けどな、俺は刺激も欲しい!
だから怒りの視点をワザと見る事も有る。
その時の気分次第だ。
その時、その時で見る視点を変える。
それも自分が今この瞬間を楽しめる視点にな。
魔王が寛容で、いつだって優しい奴なら天使族との戦いなんて一瞬で終わったろうよ。
俺も流石に数千年は長すぎだろって思うが、俺でも天使族をぶっ飛ばす楽しみを味わいたいと思ったろうよ。」
そう言って無邪気に笑う魔王。
そんな魔王は、普通の少年の様だ。
「なるほどね。頭では理解出来ても心と感情が追いつかなさそう。
だから人間は、いつも後悔するのよね。
ねぇ?何で天使族と仲が悪いの?
話せば分かり合えるんじゃ無いの?
その視点とやらで。」
そう私が言うとリヒトの顔から笑顔が消えた。
「アイツらが頭が硬いんだよ。
天使族は、自分達こそ神が創った最高傑作だと思ってやがる。
その他の種族を見下してんのさ。
けれど、奴らの視点は偏りすぎだ。
光に偏り陽に偏り、闇を悪を潰したい。
奴らの正義って奴だ。
けれど奴らの完璧さは弱点でもある。
闇からしか見えない世界もある事を奴らは知らない。天界なんかに住んでるから見えないのさ、影の闇の中がな。
つまらない奴らだよなぁ〜。
欲望を知らないなんて。
奴らは綺麗事ばかり、綺麗なものしか受け付けない。要らない物だと排除しまくってさ、大切なものまで捨てたんだ。
奴らは喜怒哀楽や好き嫌いさえ気薄だ。
感情の波を己から排除したんだ。
だから光しか見えない。光しか見ないんだ。
どんな野望も欲望も叶えた時の視点が大事なんだ。成功と幸せを手にするか、絶望を手にするかは己の気持ち一つで決まる。
善か悪かを決めるのは己自身だろ?
他人じゃない自分だ。
それが魔族はキッチリ出来てる。
けど、人間は複雑だからな。出来てない。
他人の善悪に踊らされ他人の決断に土足で立ち入る。全くもってマナー違反だ。
そして規律や規則を作り上げて縛るんだ。
この辺は天使族と一緒だな。
神が創りし生命は、陰陽で出来ている。
両極端な相反するものが同時に存在すると言う事だ。それを上手に操れないと不安定なまま不完全なまま秩序なんて保たれない。
魔族を見てみろ。
殺し合いをしても敗れれば潔く散る、勝った所で、己が命を消した痛みも苦悩も自己責任とばかりに受け入れる。
魔族だって人間と同じ様に失う哀しみを持ち合わせてるんだ。何も感じて無い訳じゃない。
行動する前の覚悟の大きさの問題だ。
最悪の想定さえ全て覚悟した上での言動だ。
そうやって悔いの無い生き方をしてるのさ。
永遠に近い命を持っていても命を大切に生きてる記憶が継承されないからだ。人間は、儚い命を大切に生きてる様には見えないな。
オマエもだぞ。ルナ。
もっと己を大切に生きろ。人間社会の中じゃ難しいかもだけどな。
まぁ〜だから、ココに呼んだ。
オマエは、己の気持ちにさえ鈍感だからな。
無意識に何かに遠慮して理性を働かす。人間は皆そうかも知れないな。
今まで当たり前だと思っていたものが当たり前じゃ無い事に気付くことから始めろ。
もっと世界は広くて美しいぞ。
まぁ〜っ何を持ってそう思うかはオマエ次第だけだな。
俺とは違う視点のルナが見る新しい世界を俺にも見せてくれ。」
そう真剣な眼差しを向けられる。
先程の少年の様な無邪気な姿の魔王は、そこにはいない。
凛々しい男の姿の魔王がいる。
この男の他の顔も見えみたいと単純に素直に思った。この時点で、私は魔王に惹かれているのだろう。
「リヒトって不思議な魅力を持ってるよね?
魔族特有なのかしら?同じ顔に、幾つもの顔があって、同じ人物なのに違う人物の様に錯覚する。
貴族育ちだからなのかしら?あの世界にいると仮面を見てる様な気持ちになる。
そして、ふと見せる別の顔は欲望に塗れてて気持ち悪いの。表情と言葉が一致しない不自然さとか…。
私も同じなのかと思うと、ゾッとする。」
その光景を想像して自分の身体を自分の腕で抱き締めていた。少し震える身体。
すると、背中に温もりを感じる。
リヒトの掌が私の背中を摩る。とても温かく優しい母の様な温もりだった。
「ルナ。同じ生命などいない。
ルナはルナだけだ。他の誰とも違う。
同じなんて思うな。
約束する。他の誰かがルナを拒絶し批判しても、俺だけはオマエの全てを受け入れてやる。
どんなオマエでもだ。全てを肯定してやる。
だから怖がるな。オマエの嫌悪の対象とオマエが同じになっても俺の気持ちは変わらない。
そんなルナも肯定してやる。
魔界の王が味方なんだ。怖いもんなどないだろ?」
そう言って微笑みを浮かべる魔王は慈悲深い聖母の様だった。
思わず、身体を魔王の方へ方向転換し抱き付いてしまう。
「リヒトが優しくするから、つい弱音を吐いちゃう。勘違いしないでね、私は弱い訳じゃ無いんだからね。」
素直になれない自分が居た。
全面的に魔王に寄りかかりたくなる気持ちがある癖に、強がりたい自分もいて、矛盾だらけの私の心は激しく揺れていたのだった。
暫く無言で抱きしめ返してくれてた魔王が口を開く。
「落ち着いたか?
気晴らしに街に出よう。
毎日が祭りの様な賑わいだ、楽しいぞ。
動きやすいワンピースにでも着替えて来い。
衣装部屋に何でも揃えてある。好きなものを着ろよ。別に、オマエが着たい物を着ていい。
何処に行くのも正装なんてないからな。好きに決めると良い。
俺は先に玄関ホールで待ってるよ。」
そう言って、私の身体から離れていく。
少しだけ切なさが心を占めた。
その感情が、恋からくるものだと気付いたが素直じゃない私は気付かぬフリをした。
きっと、日記を気にしてるのだ。
命の長さが違う恋の哀しみが待つのだと言う現実を受け入れるには私の心が伴わない気がしたのだ。
好き好んで悲恋を望む者などいやしない。
一人で衣装部屋へと足を運び色とりどりの服を眺める。あまりに多いと選ぶのが大変だ。
誰のセンスなのか、どれもオシャレで素敵で、それでいて私に似合う様なデザインばかりなのだ。
と言うか、このルナの容姿なら何でも素敵に着こなせてしまうのだろうけど…。
ふと、白いワンピースが目に止まる。
とてもシンプルなワンピース。
ルナの整い過ぎた綺麗な顔にはシンプルな物が引き立つ様な気がして、それを手に取った。
着替えて、鏡の前に立つ。
思った通り、とても良く似合っていた。
ポニーテールに髪を上げ、軽く化粧を施す。
そして、ブーツを履き玄関ホールへと向かう。
私を見つけた魔王が満面の笑みで迎えてくれる。
「とても似合ってるよ。ドレス姿も綺麗だけどシンプルな素朴なワンピースも綺麗だ。
ん〜、でも何か物足りないかもな。」
そう言うと、私の背後に周り私の首にネックレスを飾り始まる。
慣れた手つきでネックレスを私の首に収めると耳元で囁く。
「今日、最初のプレゼントだ。」
耳元で囁くから、魔王の息が耳を擽り恥ずかしさで、いっぱいになる私の顔は真っ赤に染まる。
「あっ、ありがとう…」
そう言うのが精一杯だった。
そんな私をクスクスと笑いながら「可愛いな」と揶揄う様に言う魔王を睨み付けたが、魔王は気にした素ぶりも見せずに、私の手を取り歩き出した。
魔王城を出ると馬?が2頭並んでいた。
「馬?よね?これで行くの?」
と私が尋ねると魔王は苦笑いして
「まぁ〜見た目は馬かな?
あれでも魔族だ。ちゃんと喋る。
左がジェイで右がクレアだ。
転移で、何処でも行けるって言ったんだけどな。
アイツらがルナを案内したいって煩くて。
俺がジェイに乗るからルナはクレアに乗れ。
女同時のが良いだろ?跨ぐんだから。」
馬に見える生き物が魔族とは…。魔族の見た目の幅は私が想像するより遥に広いのかも知れない。
どう言う気持ちで乗れと言うのだろうか。
戸惑いを隠さずにいると、クレアが話しかけてきた。
「いきなり、ビックリさせちゃったかしら?
私達は、人間世界で言うと馬に違いんだと思うけど、その認識で問題ないわ。
ただ、馬が喋れるってだけだと思ってね。
私達の様な魔族は、荷物を運んだり人の移動を助けたりして生計を立ててるのよ。
だから、誰かに乗られるのは普通の事よ。
今日は、魔王が想い人と街に出掛けるって聞きつけて来ちゃったのよ〜。
気になるじゃない?どんな人なのか?
来て正解だったわぁ〜。美しい人間の娘を見られたんですもの。皆んなに自慢出来るわ。」
とても人懐っこい魔族で安心する。
「こちらこそ、ごめんなさい。
魔界に慣れてなくて戸惑ったりしてしまって。
何の知識も無く来ちゃったもので、魔族の皆さんの事も良く分かってなくて…。
何か失礼な言動があったら遠慮なく教えて下さいね。」
そう言うと、「大丈夫よ。細かい事は気にしないから。」と笑い飛ばすクレア。
隣でジェイが「ヤレヤレ。煩い奴ですいません。」と誤ってくる。
仲良く戯れ合う様に言い合う二人を見ながら苦笑いになる。
そうして、私はクレアに乗り街を案内して貰った。途中、露店をブラブラと散策したりして店員や街を歩く人達の姿形が人間と違うだけで、人間の世界と何ら変わらぬ営みが、そこにはあった。
人間世界と違うとしたら、裏路地なんかに貧民街的な場所が無いと言う事だ。
とても平和で賑やかな街。
異世界にでも入り込んだ様な感覚だった。
前世の記憶があるとは言え、私が想像するより世界は広いのだと思い知らされるのだった。