いざ!魔界へ。
翌朝、朝早くから湯浴みと支度が始まった。
父が用意したドレスは黒に赤と金の刺繍が施された物だった。
魔王を象徴する色のドレスであり、私の髪と瞳の色。
そんなドレスに身を包み、髪はアップにし化粧もパーティー用かの様な華やかさだ。
普段より大人っぽくなった私は、何処から見ても成人を迎えた立派なレディーだった。
本当に15歳なのだろうか?と自分でも思ってしまうほどに女の魅力が溢れていた。
支度を終えて玄関ホールに降りると父が正装を着て待って居た。
私を見るなり固まってしまった父に、執事長が
「旦那様。何か御言葉を。」と耳打ちする。
すると慌てた様子で咳払いをし
「とても綺麗だよ。」
そう一言だけ言うと手を私に差し出した。
エスコートしてくれるのだろう。
「有難う御座います。」
私も一言だけ御礼を言うと父の手を取った。
チラリと父を見上げると、少しだけ頬を赤く染めた父の横顔が見えた。
思わず小さくクスリと笑ってしまうと、不思議そうに私を見下ろす父。
気付かぬフリをし馬車に乗り込んだ。
門の前までの道のりは無言だった。
けれど、前の様な緊張感は無かった。
不思議な程に、沈黙でも心地良い空間だった。
門まで辿り着くと馬車から降りる様に言われ、そのまま乗ってきた馬車は来た道を戻って行った。
馬車を見送り見えなくなると父が
「ココからは2人だけだ。
この門を開けられるのは魔王の血を分けた者だけだ。その他の者は、何をしようとこの門は微動だにしないだろう。
門に手を翳して御覧。」
そう促され、私は門に掌を翳した。
すると門が光を帯びて少しづつ開いていくではないか。
私は驚きながら、その光景を眺めていた。
すると門の向こうに人影がある事に気付く。
その人影が徐々に姿を現す。
長身で黒髪。赤い瞳の二十代後半位の男が立っていた。
普通に人間と同じ容姿に見える。
すると父が先に動いた。
その男の前まで進み出て「お久しぶりです。魔王様。娘を連れて参りました。」そう告げたのだ。
この目の前に居る男が魔王だと言う事だ。
その容姿は、とても魔王とは思えぬ美しさと妖艶さを持ち、それでいて男らしかった。
なんとも言えない魅力に満ちていたのだ。
つい、見惚れてしまい無言で立ちすくむ私に魔王は
「おいっ。娘。
名は何と言う。俺の名はリヒト。
オマエの好きな様に呼べ。」
慌てて私も名乗る。
「挨拶が遅れました。
私はルナと申します。リヒト様に会えて光栄です。」
そう言いながらカーテシーをすると
「ルナだな。
堅苦しいのは嫌いだ。ココは人間の棲家ではない。礼儀も要らない。
魔族は縛られるのが嫌いだ。
規律も何も無い。
自分が好きな様に振る舞え、誰も咎める者など居ない。
魔王とは名ばかりの、ただの魔界の管理人だ。
立ち話もなんだな。
俺の城に案内する。」
そう言って、指をパチンと鳴らしたと思うと目の前の景色が変わっていた。
転移したのだろう。
呆然としていると、魔王に手を引かれた。
慌てて着いていくと大きなホールにはテーブルと椅子がありテーブルの上には豪華な食事が並べられていた。
魔王が椅子を引いてくれる。椅子に座ると、魔王は向かいの席に座り父が私の横に腰掛けた。
「食事は人間と変わらぬ。変な物は無いから安心して食え。
ルナには少しの間ココに滞在してもらう。
まだ、魔力を使いこなせて無い様だしな。
俺が、その力を使いこなせる様に教えてやる。
オマエの家の者は、当主になる者は全てココで学ぶんだ。俺にしか教えられない俺と俺の血を受け継ぐ者しか扱えない魔法だ。
どんな優れた人間の魔導師だろうと教えられない。
それにな魔王の血を受け継ぐと言う事の意味も私からオマエに伝える。
ルナ、オマエの父も祖父もそうして来た。
そうする事が地上の秩序を護ることに繋がる。
まぁ〜、難しく考えるな。
とりあえず食え。」
そう言うとグラスのワインを飲み干した。
隣の父が話し始める。
「魔王様。
娘を、暫く魔界に置くと言う事は…。
つまりは気に入ったと言う事ですか?」
真剣な眼差しで魔王を見据える父に
「まぁ、気に入ってるから早く呼んだのだ。
ココに居ても地上の事は見えるからな。
けれど、だからと言ってルナの気持ちを無視はしない。ルナが暫く滞在して嫌なら帰れば良い。
元の場所に戻り普通に人間と結婚すれば良いだろう。
決めるのは俺では無い。ルナだ。
そう、怖い顔で見るな。
オマエの大事な娘の嫌がる事はしない。」
そう魔王が言うと、明らかに安心した顔で頷く父に魔王は大声で笑い出し
「オマエも分かりやすいな。顔に出てるぞ。」
そう言ってケラケラ笑う魔王は、少年の様にも見えた。
ルイーゼが恋したのが分かる気がした。
それから父と魔王は地上の魔物の近況報告などの話をし始めた。
真剣に話す魔王は、急に凛々しくなり先程の気さくさも無くなる。
コロコロと表情が変わり、その度に印象が変わる魔王は、幾つもの顔があるのだと思う。
魔王とは、どんな人物なのだと興味をそそられている自分に気付き動揺した。
この15年、異性との関わりが無かった訳ではない。けれど、興味をそそられる異性に出会った事のないルナ。
成長する度に向けてくる異性の視線が下心が透けて見えて嫌悪感さえあった。
父親と同じくらいの異性でさえ、幼い頃から性的な視線で見られていた様な気がする。
だからなのか、前世の記憶を思い出す前からルナは異性が苦手であった。
前世の私との共通点でもある。
前世の私も異性が苦手だったのだ。父親が最悪だったからなのだが…。
思い出したくも無い記憶だ。
しかし、魔王には不思議な魅力があった。
今の所、魔王からは嫌悪感や不快感が感じられないのだ。
食事を終えると、父は先に地上に戻って行った。
残された私は、魔王と2人きりで魔王城の天守に居た。
「ココから一望する此方の世界はどうだ?
地上となんら変わらないだろう。
我ら魔族も人間も天使族さえ、そんなに変わらない。今や人間も魔法が使え神聖力さえ使う。
見た目も、そんなに変わらん。天使族は羽が生えてるだけだし、魔族も角があるだけだ。
それも自在に消せる。
けれど、相容れないものがある。
棲み分けが必要なのだろう。
魔族と魔物は似て非なるもの。確かに魔物と見た目が似てる魔族もいる。
しかし知能がある。魔族には階級がある階級が下になるほど見た目は人間から遠ざかる。
その判別は人間には難しいだろうな。
オマエの父は、地上でそれを見分ける。
ただの魔物か魔族かを判別して魔族だと、此方に送り返してくれるのだ。
地上に突然変異で生まれてしまう魔族が稀に居てな。
魔族は、人間と違い親を持たない。
魔素から生まれる。それは魔物と変わらない。
ココには、生命が生まれる魔素溜まりがあってな。魔族の数は一定なんだ。
誰かが死を迎えると、新たな命が生まれる。
いや、復活なのかも知れないな。
記憶は無いがな。
そう言う秩序になってる。
俺が命を落としても同じだ。
俺と同等の魔族が、そこから産まれるんだ。
魔王の復活とも言われてるがな。
俺は三人目の魔王だ。オマエ達に最初の血を分けた魔王は今は居ない。
過去の2人が死を迎えたのは、自ら望んだと聞いてる。
記憶は無いが俺は生まれた時から魔王だと自覚して生まれたからな。そして魔王の役割も本能で分かってた。それに、魔族も天使族も人間と違い成長はしない。大人型なら最初から大人だし子供型なら子供の容姿のままだ。
人間から見たら不思議だろうな。
他の魔族も同じだ、誕生して直ぐに自分の階級を理解してる。役割さえな。
ココは、そう言う所だ。
結婚して子孫を増やす人間には理解出来ない事もあるだろうな。
何か聞きたい事はあるか?遠慮せずに聞いてくれ。何も隠す事はない。」
そう言って私を真っ直ぐ見つめる魔王。
「あの、ルイーゼと言う名前に覚えが有りますか?」
そう問うと、誰だそれと返ってきた。
「私の先祖だと思う人の名です。
いつの時代かは定かでは有りませんが、魔王と恋に落ちたと古い日記に書かれていたんです。
日記に魔王の名前はリヒトと書いてあったので貴方の事かと思ったのですが…。」
言葉が続かなくなると魔王は
「リヒトって名前だけか。
俺の名は、先代から受け継いだだけだ。
親も居ない俺達に名など本来ない。
自分で考えるのが面倒だから受け継いだ。
別にリヒトじゃなくても良いのだ。なんならルナが新しく名付けてくれたって構わない。
好きに呼んだら良い。
それと、俺は本当にルイーゼと言う名に心当たりがないし惚れた人間の女など、これまでに居ない。
俺が魔王になって数百年の間に、ルナ以外の娘に謁見した事などない。
それに、いつだって当主になる男児が生まれたしな。
そんなに気になるのか?」
そう問われ、自分の気持ちが分からなかった。
「気になってるのでしょうか?
気になるから聞いたのかも知れませんね。
良く分かりません…。」
私の曖昧な返答に魔王は笑い
「人間の気持ちとやらは複雑だな。
魔族は、もっとシンプルだ。
今が全てだ。今、この瞬間が心地良いならそれでいい。
だから、オマエが今、この瞬間が心地悪いなら言え。心地良くするには、どうする事が最善か考えれば良い。」
魔王と言う響きからは想像も付かない優しい言葉だった。
これが恋なのか分からないが、きっと私は魔王という存在に興味を惹かれているに違いなかった。