5 小人族のお爺さん
「ここだ」
「ここ……?」
妖精の木からそう遠くない場所に、開けた場所が現れた。
小さな滝が、水の表面にぶつかってサワサワと音を立てて飛沫をあげる傍ら、大きな扉のついた洞窟がよく目立った。
その隣にはささやかな小さな小屋が建っている。幼い頃に読んだ童話の絵本から飛び出したような家だ。
木材で作られており、手作り感を感じる暖かな雰囲気がある。
周囲の木々の隙間からこぼれ落ちた光がキラキラと差し込んで、御伽話の世界に迷い込んだかのような感覚に陥った。
「……おや、客人かな?」
扉の形状としては珍しい丸い扉をノックしようと手をのばした時、背後から声がかかった。
しわがれた声が、ザクザクと土を踏む音と共に聞こえてきた。
振り返ると、自分の体の半分もない小さな体にほとんど自身の体と同じほどの大きさの荷物を持ったお爺さんが立っていた。
モサモサとした眉と立派な髭で目元と口元は隠れているが、ふと、その眉に隠れた瞳と微かに視線が重なった。
その瞬間、驚いたような、困惑したような表情がお爺さんの顔に現れたが、すぐにその気配はなりを潜め、大きな荷物をガサゴソと言わせて富義とケイノスの脇をすり抜け、扉に手をかけた。
随分と重そうな扉は、キィ、と音を立ててゆっくりと開く。
「あ、手伝います」
「ほっほ、すまんね」
手をかけると、お爺さんは富義を見上げて、眩しげに目を細めたあと「ありがとう」と礼を言い、中に入っていった。
中に入ると、木製の床がキシリと音を立てる。
外から見るよりも中は思いの外広く、リビングには大きくスペースを陣取った暖炉からはパチンパチンと火の粉が飛んではねてを繰り返している。まるで火がはしゃぎ遊んでいる様だ。
「そこに座りなさい」
「あ、お邪魔、します」
勧められたままに、暖炉の近くにあるソファに腰掛けた。ストンと腰をおろしてからどうにも落ち着かないのでケイノスに目をやれば、彼は慣れた様に部屋の端へ腰を下ろしていた。その視線は近くの窓に目が入っている。
「ほっほ、随分と礼儀正しいことだ。人間とは思えないほど大人しい。ケイノス、彼は誰だい?」
「森で拾ったのだ。死にそうだったから連れてきた」
「ほほぉ、なぜ森に?」
「あ、いや、実は……」
———ぎゅるるる
「うわっ」
「なんと、そうか腹が減っていたか」
あまりに大きな音がなった腹を大急ぎで隠してみたものの、すでに耳に入っているものを無くすことはできなかった。お爺さんは優しく微笑むと、そうかそうかと嬉しそうに呟いて奥にある台所に入って行った。
「そうだったな。腹が減って行き倒れていたのだったな」
「恥ずかしい……」
恥ずかしさで居た堪れなくなっているとケイノスは茶化すことはなく、静かに首を横に振った。
凛々しい目がゆっくりと瞬きを繰り返し、こちらを捉える。ひどく真面目な面持ちで、ケイノスは富義を瞳に捉えた。
「恥ずかしがらずとも良い。人の世は最近あまり情勢もよくない。行き倒れる者も多いのだ」
「情勢、ですか?」
「……知らないのか?」
「すみません……よく知らないくて……それにここは……死後の世界ではないんですか?」
「死後?」
パシ、とケイノスの馬のような下半身の尻尾が床を軽く叩いた。
「……何故そう思う?」
「結構高い階段から落ちたんです。それで、頭をぶつけて」
「目を覚ましたら森だったと?」
「そうです」
「生きていただろう」
黙りこくった富義を急かす様に、またパシりと揺れるケイノスの尻尾が床を叩いた。
「どうしてその様な顔をする。私には生きていた事に落胆している様に見える。まさか、死を望んでいたとでもいうのか?」
図星を突かれたと富義は少し俯いた。
森で目を覚ました時、もしかしたら父や母の姿を見られるのかもと思って期待をした。期待をして目を開けば、まるで現実の様な世界でがっかりした。事故だった。死ぬつもりなんて全くない。
痛いのは怖いし、怖いのは嫌いだ。
起こってしまったなら、もしかしたら。そんな小指の先ほどの想いが、胸をざわつかせていたのは本当だ。
その言葉の通り。
落胆していた。
「……その方が良かったのかもしれません」
ポツリと呟いた言葉に、沈黙が流れた。じくりと突き刺す様な視線に息が止まりそうなほどに空気は重くなった。
しまったと思ったが、撤回しようと口を開いた瞬間に、ケイノスが口を開いた。
「……気に入らんな」
重々しい言葉で殴りつけられた様だと、富義は思った。じとりと睨め上げた瞳にはしっかりと怒気が込められ、軽蔑の籠った視線が富義に容赦なく刺さる。
「それを……ここで言うなど、許されない無礼だ」
にじりにじりと、まるで首を絞められた様な息苦しさが、一気に襲いかかってくる。そう思うのは、彼の瞳に見覚えがあるせいか。
自分に真っ直ぐに向いた苛立たし気な視線は、会社の先輩によく似ていた。
ケイノスの姿に先輩の姿が重なって見える。
———ああまた怒らせてしまった
腕が痺れて、肺が縮こまる。
細まった目が、ついに富義から外れて、静かに家を出て行った。
地を強く蹴る足音が遠ざかっていく。
「許してやってくれ」
背後からかけられた声に、ぎくりと肩が飛び跳ねた。奥の台所から出てきたお爺さんが、お茶と大きなハムが挟まったサンドイッチをテーブルに並べ始めた。
「ケイノスはこの老いぼれを気遣ってくれているんだよ」
「……すみません」
かちゃかちゃと音を立てて並べられたティーカップからは薄紅色が波打ち、暖かな湯気が揺らめいている。ティーカップを三つ、ケイノスの分も並べたところで「ああ」と、一言漏らすとカップをずりずりと引きずって自身の手元に並べ直した。
「こっちは君が食べるといい」
「あ、すみません」
「ふむ……まずは腹を満たしなさい、空腹では幸せを逃す」
ふかふかと良い香りが鼻に辿り着いて、一層腹がぎゅうぎゅうと悲鳴を上げた。お爺さんは自分のカップに小さなスプーンふた匙ほど砂糖を放り込むと「お茶に砂糖はいるかい?」と小瓶を差し出した。頷けば、嬉しそうに同じ様にスプーンふた匙を富義のカップに流し入れ、くるくるとかき混ぜた。
カップに口をつければ、花の香りと甘い砂糖の香りが混ざり合い舌の上で溶けた。
体がじんわりと温まり、そこで肩の力が抜けていくのを感じた。
「さ、腹が減ってるのだろう? 遠慮せず食べなさい」
「はい、あの……いただきます」
サクサクに焼けている暖かなバケットには、たっぷりのバターが染み込んでいて、齧った瞬間にじゅわりと口の中で広がった。
バターの濃厚な甘味と、間に挟まった分厚いハムの塩味が口の中で混ざり合って、重厚な味を引き出していた。たまにシャリシャリとした粒の様なものが口の中で転げていたが、それを噛み砕けば、強いスパイスの香りが広がりまた食欲が増していく。
気がつくと用意されたサンドイッチはあっという間になくなっていた事に、富義は自分でも驚いた。
そして、ふと思った。
いただきますと手を合わせたのは随分と久しぶりだった。
こんなに夢中で食事をしたのはいつぶりだったか。
食事にはさほど興味もなく、腹に入ればなんでも良い。時間を取らず、片手間で食べられるものなら、固形でも液体でもなんでも良い。社会人になってからはより一層そんな生活になっていったものだから、温かい料理をゆっくりと腹一杯食べる事が随分と出来ていなかった。
何故だか、今は生きるための食事をした、そう感じたのだ。
「ごちそうさまでした」
「ほっほ、手を合わせるには君の国の作法かな?随分と丁寧で好ましい」
「はい、命をいただく挨拶です……あとは作ってくれた人への感謝も」
「ほほぉ、それは良い!」
お爺さんは嬉しそうにそう言うと、ティーカップのお茶を啜った後に同じ様に手を合わせて「ごちそうさまでした」と言うと、満足した様ににっこりと富義に微笑んだ。
「良い事だ。ここにふさわしい」
ここに。
何度も出てくる、『ここ』と言う言葉が頭に残る。
「あの、『ここ』にって、さっきも言ってましたが、ここってなんなんですか?」
「ああ、そうか……奇妙だとは思っていたが……なるほど」
「奇妙、ですか?」
「ああ、ああ。奇妙だとも」
深く頷いたお爺さんは、納得いったという様にそう言った。
「皆、自分がどこにいるかはわかっているものだ。それが君には全く感じない……まるで魂の迷い子のようだ」
魂の迷い子。
魂が迷っている、自分の居場所すらわからない、子供。
「ここは、どこなんです?」
「ここは輪廻の道標、魂の火葬場だよ、妖精や精霊達のね」