ヴィクトリア十字
口にルイス機関銃を突っ込んで、体を内側からズタズタにする。
〈天使〉が青い血反吐を吐いて、ゆっくり倒れると、フレデリクは銃を手落とし、肩で息をしながら、二連式の猟銃を壁から外した。
提督は静かに寝息を立てている。
ひとまず敵の攻撃の第三波はしのいだ。
この貴重な休み時間のあいだに屋敷への侵入者でまだ生きているものを探す。
「ああ、何て惨いことを」
イングリッシュ・ガーデンはメチャクチャだった。
バラの植え込みが倒れ、季節の花々を植えた花壇は踏み荒らされ、鳳凰木は根元から掘り返されていた。
レイピアで胴を穴だらけにされた〈天使〉がまだ息をしていた。
頸に銃を押しつけて、花を愛せぬ罰として引き金を引く。
見上げれば、提督がつくった空が赤く燃えていた。
釣り糸みたいに垂れ下がる〈天使〉はここにも干渉ができるのだ。
もはや屋敷全体を守ることは不可能だった。
寝室の最終防衛ラインまで戻らないといけない。
「旦那さまには指一本触れさせない」
絵画室に寄って、寝室へ戻ろう。
まだ替えの弾倉があるはずだ。
円盤型の弾倉を手に下げて、寝室に戻る。
「おはよう、フレデリク」
「旦那さま……」
「外からする音から察するにディネガの本体がやってきたようだ」
「お体の調子は?」
「なんだか、体の節々が痛い。ずっと寝続けていたせいだな。それより、フレデリク。着替えるのを手伝ってくれないかね? 腕がないからネクタイが結べない」
「かしこまりました。御召し物は勤務用の制服でよろしいでしょうか?」
「もちろんだよ、フレデリク」
提督はパジャマを脱ぎ、お湯を張った洗面器を持ってこさせて、体を拭い、少し伸びすぎた髭を整え、オーデコロンをつけ、シャツにウィング・カラーをつけた。ネクタイを結び、フロックコートに袖を通し、勲章をつけ、銀の短剣をベルトで吊るし、そして、白い制帽をかぶる。
「フレデリク。少し出かける。すぐに戻る」
提督はそう言って、寝室のドアを開けた。
その先に会ったのは灰色のグリッド座標の世界。
「提督。やっと会えたね」
子どもの声がする。
〈林檎〉がいた。
「世界の終わりがやってきた感想は?」
「さあ。わたしはさっきまで寝ていたのでね」
〈林檎〉はクスクス笑った。
「あれが見える?」
「あの、小さなカエルみたいのものかね?」
「胎児、と言ってほしい。提督、こちらはディネガの本体。本体さん、こちらは提督です」
「よろしく」
「提督。どうしてあなたがここに呼び出されたか、分かる?」
「さあね。わたしときみたちで全宇宙の神になろうと勧めに来たのかもしれないし、わたしにカレイジャスたちを見限って、そちらにつけと言われているのかもしれない」
「提督。あなたの海軍の魔法は万能だったけど、でも、まだ強力になる可能性がある。僕みたいに」
「それが目的かね? 二千年前にわずかな人類が発達したあれをディネガ本体で繰り返すことが」
「弱いものには興味がない。僕は夢と希望が好きなんです」
「そもそも、夢と希望は身勝手なものだ。実現できないから、存在を許される」
提督はディネガへと歩いていく。
頭の大きすぎる、小さな胎児。
人の手のひらに収まりそうなくらいのくらいの大きさだ。
提督の前にはチャンスがあった。
神とでも、全宇宙の精神とでも呼ばれる存在になるチャンスが。
「なるほど。神になるためには簡単だ。対空砲の弾を使い果たし、敵に殺される前に自決できるようリヴォルヴァーの弾を一発だけ残したリスの親子や体を武術で限界まで酷使し、大きなガールフレンドとともに追いつめられたカータ、ヒビの入った水槽でいまにも干上がりそうになっているギウイ・フィッシュとふたりの元テラリア人、楼門の屋根まで追いつめられた中佐とテュル、そして、空で絶望的な戦いに挑み続け、もうじき体が動かなくなるであろうカレイジャスたち。彼らをひとり残らず見捨てれば、わたしは神になれるわけだ」
「よい条件でしょう?」
提督は笑った。
「素晴らしいですな。ただ――見敵必戦のモットーに反する」
提督は左手で小さなディネガの本体を握りつぶした。
〈林檎〉が悲鳴を上げた。
正確には悲鳴によく似た緊急事態の発生を知らせるブザーがなったのだ。
すでにディネガ本体とシステムの連結をしていた〈林檎〉は崩壊を始め、グリッド座標は大きな穴をつくり、そこに全てを引きずり込んだ。
〈林檎〉は全てを超克する存在になれるチャンスを潰した提督に何か叫んでいたが、そもそも、提督はなぜ〈林檎〉がそんな取引を持ちかけたのか不思議だった。
提督は座標のブラックホールに吸い込まれた。
制服がバタつき、勲章を落とさないよう、あちこち手で押さえながら、落ちた先は――ディネガランドの頂上。
空を見上げると、これ以上ないほどのすっきりとした快晴があった。
――†――†――†――
全ての〈天使〉が動きを止め、叫び消滅し、空が青くなった時点で、ユウキは提督が目覚めたのだと知った。
あの海軍の魔法は自分たちの苦労を一撃で吹き飛ばしたわけだ。
先日、シンと出会ったディネガランドのてっぺんで、提督は望遠鏡の集金箱にコインを入れて、遠い水平線に揺れる一本の椰子を見ていた。
「やあ、カレイジャス。どうやら、協商勢力はまたまた勝利したようだ」
「あんたは、――本当に分からないな」
「なに、大英帝国海軍があのようなよく分からない化け物にひけを取るわけがないのだよ」
「……」
黙っているユウキを提督がにやにや笑っている。
ユウキは恥ずかしくて顔を見られないよう、提督に背中を向けた。
「まあ。今回は、いいか、今回だけだぞ。今回は礼を言っておく。助かった」
ドサッと何かが倒れる音がする。
提督が仰向けになって、空を見上げている。
「AI! 救護班を!」
提督は倒れたまま、首をふった。
「いい。ただ、そのときがきただけだ」
「馬鹿を言うな。おれたちは勝ったんだぞ?」
「その通り。我々は勝った。海軍の魔法はそのためにわたしをここに遣わしたのだ。わたしはコロネル沖で死んでいたはずだった。そのわたしが、この世界に呼び出されたのはわたしにしかできないことがあったからだ。それが、終わった。わたしはすべき仕事を終わらせた。なかなかいい出来だと思う」
「頼む。死ぬな」
「カレイジャス。わたしの胸を飾る勲章のうち、最も位の高い勲章の話をしたことがあったね? それはきみから見て左端の勲章。ヴィクトリア十字だ。この勲章は司令部にいるだけでは絶対にもらうことはできない。戦場で最高の勇気を示したものにしか与えられない。まさに勇気の証なのだ。赤いリボンと青銅。見た目の派手さはない。だが、この青銅は敵から鹵獲した大砲でつくられる。そこで、わたしも真似をした。ディネガ本体を海軍の魔法で、ちょっと、変えて――」
左手のなかにあるものをユウキの手に握らせる。
「カレイジャス。これはきみたちの勇気の証だ。わたしは、この世界に……来られたこと……きみたちとともにと戦えたことは……わたしの誇りだ」
提督は目を閉じて、安息の地を見出して、長く安堵のため息を吐いて、旅立った。
ユウキの手に押しつけられたヴィクトリア十字。
熱きブロンズ色の魂に大粒の涙が落ちた。




