エゴ
シンは全てを教えた。
ディネガ・エネルギーがもたらされた意味。
ディネガ全てが〈本体〉を呼び込む信号となっていること。
ディネガランド全体にそれは知らされ、住民は迎撃を決定。
集団自殺よりはマシな選択肢だが、相手はどれだけの強さか分からない。
不安はあるが、戦わざるを得ない。
ユウキは日暮れに戻ってきた。
今日も何も見つからなかった。
家に戻ると、頭巾をかぶってマスクをしてフレデリクが食堂の塵を払っている。
「執事として、旦那さまがいつ戻られてもいいようにお屋敷をきれいにしておかないといけません」
「生きている、と思うか?」
「ええ。たとえ亡くなられていても、旦那さまは幽霊になって戻ってきそうです。そうしたら、旦那さまがお好きなガンギエイのヒレのソテーを用意するのです。……ユウキさま。ヴィクトリアさまをお連れしないで飛ぶのはなぜでしょうか?」
「別に。意味はない。あいつを探すのだって、ディネガ本体の来襲に備えてだ。たぶん次の戦いには海軍の魔法が必要になる。もちろん、状況が許さないなら、あいつなしでも戦う。それだけだ」
「それだけじゃあないだろう?」
銀食器の棚にパトリオパッツィがよりかかっている。
「我が劇場はパトロンを失って大損害だ。このままでは次の興行もままならない」
肩をすくめて、首をふる。
「もちろん海の真ん中に落ちたのだ。ひょっとするとサメにかじられて、半分になっているかもしれないが、ともあれ見つけないといけない。半分でも残っていれば、劇場に胸像として飾れるわけだし」
「パトリオパッツィ殿。相変わらずよい趣味をしていますな。中佐の攻撃目標にならないよう、ご注意を――おや、ユウキさま。いずこへ?」
「散歩だ」
「そうですか。ああ、お庭に忘れ物をいたしました。ユウキさま。非常に申し訳ないのですが、散歩のついでに取りに行っていただいてもよろしいでしょうか?」
「構わないが、あの庭のどこにある?」
「園亭です」
――†――†――†――
鮮やかな夕空に紫に陰った薄い雲たち。
芽分けと切り戻しで花を増やしたシマカンギクや薄紫の花をつけるアスターが切り出した石のまわりを埋めている。
園亭には鉢植えがふたつ。
それにホログラムのヴィクトリアがいた。
「ユウキさん。ユウキさん。ちょっとお話をしましょう」
そう言って、手をちょいちょい差招く。
「ここにはフレデリクの忘れ物を取りに来ただけだ」
そう言って、ふたつの鉢植えを持とうとする。
「ユウキさん。花言葉って知ってますか?」
「知らん」
「つれないですねー。いいですか。花には花ごとに願いや意味が込められているんです。たとえば、バラは『愛』と『美』です。『愛』と『美』ですよ、ユウキさん。まいっちゃいますよねー。たはー」
ヴィクトリアは手で頭の後ろを掻いて、笑う。
「『黙ってろ、AI』って花言葉の花はあるのか?」
「いやですね。そんなのあるわけないじゃないですか」
はあ、とため息、
「下らない。話が終わったら、もう行くぞ」
鉢植えをふたつ持ち上げて、背を向けようとする。
「待ってください」
ヴィクトリアが止める。
ひどく不安げな声で。
「いま、ユウキさんが手にしてる花、なんて花言葉だと思いますか?」
白く細い花と五枚の花びらがある紫の花。
「白いほうはセンニンソウって言って花言葉は『無事』。紫の花はエキザカム。花言葉は『復帰』なんです」
震えて、しゃくりあげる。
ヴィクトリアの大きな瞳が潤み、涙がボトボト落ちていた。
「わたしが、もっとスキャンしていれば、分析して、要塞の崩壊速度を出していれば――わたしのせいです。わたしがもっとちゃんとしていれば、提督は腕を失ったりしなかったし、あんなふうにいなくなることもなかったんです。今さら、何をしても遅いのにわたしの演算機能は提督の生存率を計算するんです。でも、わたし、――」
「ヴィクトリア……」
ユウキの手がヴィクトリアの透き通った肩を通り過ぎる。
震える彼女を慰めることもできない。
おれは無力だ。あのときだって――
「――なーんちゃって!」
「は?」
「ユウキさん、だまされました? だまされましたよね? いやですね。ユウキさん、ちょっと純なところがあるから、女の人の涙に弱いんじゃないかなって思ってましたけど、やっぱりですねえ。ふっふっふ。涙は女の武器なんですよ」
「遺言はそれだけか? AIにも天国があるといいな」
「わー、待って! 撃たないで! ヴィクトリア、退散モード!」
ホログラムのヴィクトリアに戦闘機の翼が生え、サーっと飛んで逃げていく。
追っていく気にもならず、放っておくと、ヴィクトリアは庭園の出口でぴたりと止まり、
「ユウキさん。明日、提督を探しに行くときはわたしも連れていってくださいよ。ぜったいですからね」
ホントの涙を見せないよう、素早く温室のなかへと入っていった。
ひとり、園亭に残ると、鉢植えを置き、つぶやく。
「責任なら、おれにだって――」
「うわ。ホントにすげえ庭だな。あのじいさん、リミットってもんを知らねえんじゃねえかな」
カータの声だ。
「おー、いたいた。師匠のカータさまが来てやったぞ、誇れ!」
「何しに来た?」
「小遣い稼ぎだよ。前金でもらっててな、伝言を頼まれた」
「伝言?」
「ああ。あんたの兄貴、だっけ。そいつからだ。このディネガランドのてっぺんにいるから来てくれって」
――†――†――†――
ディネガランドのてっぺん。
テュル提督たちがいるブリッジの上にくっついた細工のマズいブリキの塔の屋上。
そこは半径四メートルの円天井で、滑り止めの刻み目がある鉄板が張ってある。
コインを入れる望遠鏡が東西南北を向いていて、強化ボードの星座早見表が欄干に鎖でつないであった。
そこにシンがいた。
「ユウキ」
「シン……」
「猫耳ディネガが言っていたのだ。前金をお前からもらっていて、言伝を頼まれたと」
「おれにも同じこと――チッ、あいつ、そういうことか」
「どうも、我々はいろいろな人たちに気を遣わせてしまっているようだな」
「……」
「わたしはお前に謝りたい。どうしても。わたしはこの地上の、ディネガランドを殲滅するために出撃した」
「宇宙からディネガ本体がやってくるなんて事情があったのではしょうがない。テラリアの動きは?」
「最大の攻撃兵器を失った。現在、テラリアはバリアを張っている。ディネガ本体の襲撃をしのごうとしているようだ」
「それならいい。ここを守るときにやつらにも攻撃されては困る」
「……ユウキ。提督は――」
「気にすることはない。あいつだって軍人だ。戦死するのはあり得ることだと分かっていたはずだ」
「だが、まだ探しているのだろう?」
「これからやってくる戦いはたぶん最大最悪だ。少しでも戦力は欲しいからな」
「それだけか?」
「それだけだ」
紫や青の雲のあいだを白い光の筋を引きながら、残照が空の底に沈む。
朱色の水平線の上に深い藍の空。星々が針の穴ほどの光を輝かせていた。
「……ユウキ、エゴの話を覚えているか?」
「……忘れたよ」
「……エゴがお前のなかに形づくられた。そのきっかけは提督だ」
「……」
「そして、いま提督はいない。お前のなかのエゴが発揮されることがあるとしたら、いまだ。わたしでは不足かもしれないが――」
「……おれのせいだ」
提督がいなくなってから、これまでかかえていたものが涙となってあふれ出す。
「あのとき、下らない話をせず、戦艦に帰っていれば、あいつは死なずに済んだ。あと、少しだ。あと少しで、あいつの手に届いたんだ。でも、おれは――間に合わなかった。ユニットの自己保存機能が働いて、おれはあいつから離れるように飛んだんだ。おれは、――おれはあいつを見捨てたんだ! おれはあいつに憎まれるべきだった、失望されるべきだった、蔑まれるべきだった。それなのに!」
拳を握りしめる。涙は止まらず、落ちていく。
「……それなのに、あいつはおれに笑いかけた。笑いながら落ちていったんだ。こんなことはよくあることなのだと言うように。気にすることはないと言うように」
シンがユウキの手を取った。
優しく引いて、抱きしめる。
「兄さん」
ユウキは提督からもらった返しきれないほどのエゴをシンの胸へつぶやいた。




