釘とハンマー
ヴィクトリアの正式名称はXc-52p-AQUA#201208-VAだが、果たして砲火交わり、至近弾が黒く焦げた水柱をあげるなか、いちいちこの名前を呼んでいられるだろうか?
そこでヴィクトリアが採用されたわけである。もちろん、由来はヴィクトリア女王である。
軍務省からB階居住区に戻るなり、出撃命令が下った。
支援AIとの適応性を見るためのミッションだということだったが、提督の戦闘を見たいのだろう。ユウキはミッションに隠れた目的を受託した。
この天空の都市と地表を結ぶのは転移型軌道エレベーターの亜種だった。昔、三人の労働者が集まって製作が始まった軌道エレベーターはのちに三十万人の労働者によって物体を転移させる装置に改造された。
エレベーターは五つの壁がストーンヘンジのように立ち、その中央には円錐のへこみがある。転移対象をエネルギー化して、この円錐から照射すると、ほんの数秒で五千メートル下の地点に移動ができる。ただ、提督曰く、その移動の際、海藻でもかぶったような嫌な感触があり、この移動手段にはまだまだ改善の余地があるとのことだった。
ただ海藻の気持ち悪さが退いて消えるころには、彼らは転移座標にあてられた場所――打ち捨てられたデパートの屋上に立っていた。
様々な乗り物やフェンスで区切られた動物園、それに望遠鏡が四隅にある。丈が低いが茎が強く、ハッとするほど美しい花が広がる野生の花園を前に提督とヴィクトリアは息を呑んだ。
「廃墟ってどうして心を動かされるんでしょうね?」
「AIに心があるのか?」
「あなたよりも感度のいい心を持っているつもりですけど」
「ふん。だから、AIは嫌なんだ」
提督が、フォロ・ロマーノ、とひと言こぼす。
「残り続ける廃墟はそこに偉大な帝国が存在したのだと人びとに訴えるものだ。あのお空の王国だって、墜落すれば廃墟となり、何万年も先の人類に帝国の名残を感じさせる。真に偉大な帝国はたとえ滅び去っても、人に訴えかけずにはいられないものがある。もっとも我が大英帝国は滅びたりしないので別である」
「廃墟を見て、どうだっていうんだ」
「きみ、わたしの話をきいていなかったのかね? 廃墟がある程度、形を残し、悠久の歴史を感じさせ、それに壁に苔、床にシダなど籠らせていたら、人はそこに帝国を感じずにはいられないのだ」
「崩れた石と野放図な植物に感動することが論理的とは思えない」
「そう思うのはきみの自由だが、それをイタリア人に言うときは細心の注意を払わないといけない。イタリア人の、特にローマの人間やシチリア人たちは石を観光客に見せて、給料をもらっているのだ」
「もういい。ヴィクトリア。付近に敵性反応はあるか?」
ヴィクトリアはディスプレイに『↓』を映した。
「真下に五体。熱放射量からしてガンナー型二体とフライアー型三体」
「床に映してくれ」
ヴィクトリアが照射した草むらに二体の大きな〈ディネガ〉の影がちらついた。
「奇襲で行く。なにか支援ユニットは搭載しているか?」
「もちろんです……あれ。ドリルユニットが組めないですね。なぜでしょう?」
「故障か?」
「いえ。帰ればすぐにリミットを外せます。でも、いまは無理です」
ふむ、と提督。
「つまり、研究部門はどうあっても海軍の魔法を見たいわけだ。よろしいお見せしよう。ふたりとも下がっていてくれたまえ」
正直なところ、下がってどうにかなるものではなかった。
提督はデパートの上空五十メートルの位置にC級潜水艦(排水量320トン)を縦にして出現させ、落とした。
C級潜水艦は屋上に突き刺さり、屋内にいた〈ディネガ〉を質量にものを言わせて潰したのだが、提督は「いいことを思いついた」と言って、突き刺さったC級の上にさらにE級潜水艦(排水量807トン)が縦に出現。釘を打ち込むハンマーのごとく落ちてきた。
320トンの釘と807トンのハンマーは館内の〈ディネガ〉全てとコンクリート建築が立って存在するために必要な強度を破壊して、デパートはテラリアの非常食みたいにグニャグニャになって内側へ折りたたまれるように崩れていった。
ユウキは咄嗟のことだったので、多目的ユニットに飛行モードがあることを忘れ、崩れ落ちる建材を飛び継ぐという離れ業でノー・ダメージで地上に逃れることができた。
「し、死ぬかと思いました」
ヴィクトリアは空を飛んだが、それでも襲いかかるコンクリート片に破壊されかけること十七回。
「提督は……死んだようだな」
ユウキは感情が顔に出ないよう調整されている。だが、このときは潜水艦が二隻、墓標のように立つコンクリートの山の下にてぺちゃんこに潰されていることが好ましいかのように、ふ、と嘲笑した。ほんの少しだが。
だから、提督が空飛ぶ汽艇に乗って、悠々と降りてくるのを見ると、舌打ちしたし、ヴィクトリアは、
「あ、ずるい」
と、言って、ディスプレイにぷんすこマークを表示した。
「申し訳ありませんでした、リトル・レディ。敵を欺くにはまず味方から、と言います。ともあれ、我々は敵を撃破しました。それどころか敵の拠点となり得る建造物を完膚なきまでに破壊したのです。協商勢力の完全勝利です」
すると、背を向けていたユウキがボソッとつぶやく。
「……ものは言いようだな」
「何か言ったかね?」
「別に」