剣舞
提督はカータの貯金の目的は背を伸ばすためだろうと思っていたが、本当は武術の学校を開くためだった。
背を伸ばす施療はとっくにやっていて効果がないことが分かっているので、第二の目的に絞ったのだ。
学校を開くとなると、提督の想像以上に資金が必要なので、そこでシルクハットの出番になる。
ひっくり返して、コインを投げ入れさせるのにシルクハットよりも素晴らしい帽子は存在しなかった。
まず、てっぺんが平らだからひっくり返しても安定している。
そして、帽子が高いから、たくさんコインが入る。
もちろん、そこまでコインが入ることはないが、しかし、男子たるもの夢は大きくなければならない。
いつもの広場で訓練をするとき、カータはシルクハットと青龍刀を持っていった。
「本質的な解決になっていないぞ」
「は? なに言ってんだ?」
「つまり、高い帽子をかぶったからといって、あんたの背が伸びたことにはならない」
「テメー、ふざけんなよ!」
カータが螺旋打ちにした青龍刀を咄嗟に〈漆黒の猟騎士〉で弾く。
「へえ。それなりに基礎はあるんだな。まあ、その基礎、全部捨てさせるんだけど」
「今日は剣の訓練か」
「いんや。正確に言うと、剣舞の訓練だ」
「剣舞?」
「剣持って踊るんだよ」
「……」
「おい、憐みの視線を浴びせるな。いいか、剣舞ってのは敵を意識せず、身をさばく最大の方法だ。これをマスターすりゃ、剣を手に舞ってるだけなのに、相手がズタズタになってるってワケよ。まず、おれが手本を見せてやる」
カータは曲げた右膝を体に引きつけて上げ、伸ばした左腕のすぐ上に青龍刀がなぞるように動く構えから始め、それから滑らかに、そして優雅に刀身をめぐらせ、閃かせ、また、最初の型に戻って、膝を体にひきつけて、片足立ちになり、左腕の上に青龍刀がぴたりとなぞるように動き、止まった。
確かに見ていて、時間を忘れて見入ってしまうものだったが、カータはシルクハットを置くのを忘れて、己が不明を激しくなじり、すっかりしょげてしまった。
「たかが、二、三枚のコインだ」
「じゃあ、きくけどよ、おれが武術学校をつくらせて、出来上がって、さあ、いざ代金を払おうとしたら、その二、三枚のコインが足りなくて、建物が受け取れないってことになって、それでも、たかが、なんて言ってられるか?」
「ひどく神経がすり減りそうな考え方だな」
「今度はあんたが舞うんだ。おれがやったようにやれるよな。録画機能がキューンって鳴ってるのがきこえてたんだ。猫の聴覚なめんなよ」
まだ敵を意識してしまうところはあったが、カータの動きを自身の視覚に再生して、それに自分の動きをなぞると、思ったよりも忘我の境地に入って、舞うことができた。
「まだまだだけど、さっきのおれよりはマシだな」
というのも、今度はカータもしっかりシルクハットを逆さまにして、置いておいたからだ。
〈今月の優秀コイン〉は入っていなかったが、大衆食堂でオイル・ライスと本物のニラ玉と安物の粉スープのセットが食べられるくらいのコインは入っていた。
「純粋に技術面でどうだったか教えてくれ」
「八割は完成してる。あんた、覚えはやいぜ。ここまできたら、おれの速成コースが終わった後でも自己鍛錬でどうにかできる。ほら」
そう言って、カータが見せたのはユウキが夢中で舞っていたときに置いた、巻き藁でどれも袈裟懸けにばっさり斬られていた。
「剣舞のいいところは複数の敵に囲まれたとき、相手の首を片っ端から刎ねられるところだ。動きに見惚れているあいだに、ポーンと飛ぶ。ポーンとな。じゃあ、後は型式を教える。それが終わったら大衆食堂に繰り出そうぜ」
――†――†――†――
それからみっちり八時間、剣舞を繰り返したユウキがへとへとになるのは道理だが、シルクハットを逆さまにして、客から見物料をいただいていたカートもへとへとになるのは経済的な問題と交渉技術の問題に起因していた。
素晴らしいものを見ることができても、チップは誰かが払うだろうと思い、自分は支払わない。
全員が同じように考えたら、それは破産であり、見事な剣舞を好きなときに見る機会を失うことになる。事実、空中バスはそういう考え方で無銭乗車が相次いで潰れてしまったのだ。
カータはタダより怖いものはないことを根気よく観客たちに教え、基本的なニラ玉に培養工場製レバーを追加し、さらに焼き魚までつくだけのおひねりを集めた。
財務大臣としての職務を全うし、ふたりでへとへとになりながら、広場から二ブロック先にある大衆食堂〈タラレバ〉に入った。
白い蛍光灯の光。布のテーブルクロスの上に分厚い透明シートをかけたテーブルがいくつか並んでいて、山盛りのニラ玉を念力か十本以上の手で食べている先客たちもいる。
そこは食券システムを導入していた。
注文すれば、その音声が保存され、注文した客の細かいデータと一緒に献立が調理人の記憶アプリにアップされるこの現代において、硬貨を入れて、わざわざ紙でできた食券を買うのは、店主がシステム考古学にハマっているからだろう。
それだけではなく、客は食べ終わったら、食器の乗ったトレイを〈返却口〉に自分で返しに行かなければならない。食器回収ロボットは中古なら〈今月の優秀コイン〉一枚半で買えるのだが、わざわざこの方式を採用するのは、やはり店主がシステム考古学にハマっているからに他ならない。
カータは慣れた手つきで投入口にコインを入れて、三十種類以上あるプラスチックのボタンからレバニラ定食をノールックで選び、出てきた頼りない小さな紙切れを調理場カウンターに出した。
すると、すぐにレバニラ定食に焼いたサンマがついて、返ってきた。食堂コンピューターが食欲増幅の最大効果が選べるよう計算された配膳で。
食券販売機に動じないプロの大衆食堂利用者たちにまじって、ユウキも食事を始める。
「おれたちの剣舞はこのまま鍛錬すれば曲芸になれる」
「武術の教師として、その発言はどうなんだ?」
「曲芸はたくさんのカネを呼ぶ」
「身体のさばき方が離れていきそうな考え方だな」
「問題はこの技を見せる場所が、あの赤錆びだらけの広場しかないってことだ」
「それが妥当だからだろう」
「んなことはない。これを見ろ」
「これって、どれだ?」
「ちょっと待ってろ」
小さな指輪型プロジェクターをテーブルの角でガンガン叩くと、ようやく画像が浮かび上がった。
「これは――新聞記事か?」
「二千年前のな。剣舞の公演があるってニュースだ。この魯宝座ってのが劇場の名前だ。二千年前の動画アーカイヴにこの剣舞が残ってたけど、おれたちのほうが断然上だぜ。おれたちの剣舞が劇場にかけられれば、家でも本物のニラ玉が食べられる。もちろん武術学校もな。でも、どうやって劇場に食い込むかなあ。たいていの劇場はマフィアが興行を仕切ってる。あいつら、とんでもないピンハネを平気でやるからな」
「殴り倒せばいい」
「それをやると、全ての劇場がおれの分身を主役にしたネガティブ・キャンペーンを打ってくる。情報戦じゃあ、おれに勝ち目はない――そうだ! じいさんに劇場を作ってもらおう!」
「おい、やめろ」
「なぁんだ。解決策は射程距離内にあったな」
「絶対に、やめろ」
「なんでだよ」
「絶対に後悔する」
――†――†――†――
提督に話を持ちかけると、やはり好感触であった。
「劇場。オペラ座。わたしは特にオペラが好きというわけではないのだが、いいアイディアだと思う。最近、我が家に何か足りないと思っていたが、そうか、劇場か」
「見ろよ、ユウキ。じいさん、話がはやいぜ」
「おれは知らない。関わりたくない」
「なぜだね、カレイジャス? 劇場があれば、文化的生活が促進され、みなが文化的になれる。食事のとき、ナイフとフォークをきちんと使うようになり、手づかみでリブを食べることなぞ、及びもつかなくなる」
「あんた、まさか、潜水艦での食事をまだ根に持っているのか?」
「わたしはそんなに執念深い男に見えるのかね?」
「見える」
「ともあれ、劇場をつくろう。広さは?」
「でっかいのがいい」
「席の数は?」
「死ぬほどたくさん」
「シャンデリアは?」
「よく分かんないが、でっかく行こう」
「舞台の大きさは?」
「もちろん、でっかいの!」
「では、早速見に行ってみよう」
「もう作ったのかよ!? はえー!」
廊下に大きな扉がひとつでき、そこを開けると、五千人収容可能な劇場ができていた。電気のスイッチは数千個。シャンデリアは落ちれば土間席の観客の三分の一が犠牲になるほどの大きさ。
「よし、ユウキ! 訓練だ」
「ここでか?」
「このでかい舞台に見合った激しい剣舞ができないとな」
カータが早速舞台に上ろうとすると、見えない壁がカータを弾き飛ばし、普段から絶対に言わないよう注意していた猫っぽい「にゃ!」という驚きの声を上げて、オーケストラ・ピットに突っ込んだ。
「どうなってんだよ、これ!」
「ふむ、ちょっと待ちたまえ」
提督は見えない壁のそばまで寄ると、「ふむふむ」と別の場所なら病院送り待ったなしの会話をし、「わかった。そう伝えよう」と言って、みなを集めた。
「彼女が言うには、この劇場には支配人がいない。だから、まだ劇場を開けるわけにはいかないのだそうだ」
「じゃあ、その見えない壁をあんたの力でぶっ潰してくれ」
「レディに対して、そんなことはできん」
「女なのか? この壁?」
「そのようだ。まあ、支配人が務まりそうなものが出てくれば、力を貸してくれるそうだ」
「よし、ユウキ。最終試験だ。支配人になりそうなやつを探すぞ」
「真面目に試験をしろ」
「ちぇっ。堅えなあ」




