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魚雷屋と天使

 提督は若いころは魚雷屋だったが、魚雷を放てる艇に乗っているあいだ、ついに実戦を経験することはなかった。


 そのため、ディネガランドの後ろを幽霊船が追いかけてきているときいたとき、提督はよろこんで調査を志願した。

 テュルは提督の真の狙いが幽霊船に容赦なく魚雷をぶち込むことだと気づいたので、沈めるにしても調査をしてから沈めることを約束させた。


 海は少々波が立ち、魚雷を撃つには難しかったが、もっとひどい天候でシンガポールの華僑から買った標的用のポンコツ船を沈めたことがあるから、外すなどとは少しも考えなかった。


 船は旅客船だった。

 二千年前のテクノロジーでも、提督が生きていた二十世紀初頭と比べれば、はるかに高度なテクノロジーだ。劇場やプール、マラソンコース、ゲームセンターなど乗客のために途方もない便宜を図るための工夫がされていて、専門の日刊新聞だってあったのだ。


「まさか、これはQボートではないだろうな」


「旦那さま。Qボートとは?」


「ドイツのUボートに悩まされた我が大英帝国海軍が出した答えだ。漁船そっくりの船を浮かべて、Uボートが拿捕のために浮かび上がったら、隠しておいた艦砲で吹き飛ばす。勝率は、まあ、五分五分だった。この幽霊船がQボートではないという確証はない。急に舷側に砲口を見せて、こちらを狙い撃ちにされるかもしれない」


 しかし、フレデリクが見た限り、提督は砲撃されることを望んでいた。

 それならば、魚雷で沈めても文句は出ない。


 しかし、幽霊船は静かに浮いている。


 結局、下がりっぱなしのタラップまで近づいても攻撃はされなかったので、船内に入ることになった。


 そこはかつてウェルカム・ホールと呼ばれていたところで、船の模型を中心に案内用の端末が並んでいて、フレデリクとヴィクトリアが端末を作動させると、船長の挨拶がホログラムで始まった。


 この船長が言うことを信じれば、この船は、あの流氷にぶち当たって壮絶な最期を遂げたタイタニック号の百倍快適な豪華客船ということになっていた。


 ウェルカム・ホールの吹き抜けだけでも五階分の高さがあり、二千年の風化に負けず、マスコット・キャラクターのロボットがレストランで注文を取ろうとバッテリー接続地点にずらりと並んでいた。


「こんちは、おじさん」


 半透明の少女がポンと浮かび上がる。


「こんにちは、お嬢さん」


「船、案内してあげよっか?」


「おや、それはご親切に」


「あのー」


 ヴィクトリアがそっと提督に近づく。


「どうしました、リトル・レディ?」


「その子、投影磁気反応がゼロなんですけど」


「つまり?」


「その子はホログラムじゃなくて、なんていうかなあ、幽霊、みたいです」


「おや。お嬢さんは幽霊なのかな?」


「あー、バレちゃった」


「旦那さま。除霊されますか?」


「除霊?」


 フレデリクはこんなこともあろうかと、〈誰でも簡単除霊グッズ〉なるオレンジ色の非常用バックを買っていた。なかには霊を封じるお守り札から幽霊が嫌う波長の光を出すペンライト、それに幽霊検出グレネードと除霊端末と予備のバッテリー、そして、なぜか本物のニンニクもひとつ入っていた。


「まあ、待ちたまえ。フレデリク。こちらのお嬢さんがわたしたちに害意があるとは思えない」


「おじさん、話分かる。実は助けてほしいんだ」


「というと?」


「この船、実はお客さん以外のものも運んでたの。武器ってことね」


「この世界でもそんなことを。女性と子どもを巻き込むことになるから、客船でピクリン酸を運ぶなとあれほど――」


「でね、わたし、本当はとっくに天国に行ってるはずなんだけど、ちょっと困ったことになってて」


 つまり、こういうことだった。

 その兵器は二千年前、休眠モードでこの船に乗っていたが、休眠モードのまま世界が破滅して、この船は乗員乗客が死に絶えた幽霊船となった。


 ただ、その兵器をつくった兵器会社の重役たちは万が一、その兵器が作動するまえに船がやられたら、代金を返金しなければいけないことを考え、バックアップ機能を持たせることにした。


 簡単に言うと、乗客に予防接種とか何とか言って、ナノマシンを打ち、たとえ、船がやられて、兵器が休眠状態のまま誰も起動できない状態になっても、あらかじめ打ち込んだナノマシンがその宿主の精神をデータ化して、兵器を起動させるまで、亡霊みたいに彷徨うことになるようにしたのだ。


「知っているかね、フレデリク。ドイツ皇帝主催の食事会に大砲成金のクルップ社の社長が呼ばれても、その席は近衛少尉よりも低い。これがその理由だ」


「パパもママも、あっちに行っちゃってて、わたしだけ行けないんだ。わたし、その武器を目覚めさせないといけないんだけど、でも、わたし、そんな難しいことわかんない。二千年もずっと考えてたんだけど、分かんなくて、ここにいるの。もう、うんざりしたから、何とかしたいけど、何もできなくて」


「ふむ。それをきいて、何もしないようでは紳士失格であるな。よろしい。フレデリク、その除霊セットはしまってくれていい。こちらのお嬢さんが両親と再会できるよう、尽力しようではないか」


「かしこまりました。旦那さま」


「おっとっと。このヴィクトリアさんも忘れてはいけません。頑張りますよー」


「ふむ。協商勢力に明確な目的ができた。問答無用で雷撃しなかったことを神に感謝だ」


     ――†――†――†――


 兵器保管室の、気密性と殺菌作用が抜群に働いたのであろう、腐敗に関するバクテリアはその兵器会社の重役を食いつくすことができなかった。

 死体はしわしわに縮れて、骨は形をはっきり見せている。だが、なかなか良い仕立てのスーツらしいものを着ているのが分かり、口ひげもたくわえているのが、二千年のときを越えて分かった。


 おそらく重役はこの社運をかけた兵器の輸送に関わる人間全員を信じず、知らないあいだにカモフラージュに使われた数千の乗客たちも信じていなかった。


 そして、世界滅亡の日がやってきて、彼は自身に注入したナノマシンで彼女の休眠モードを解除しようとしたが、残念。彼の血液はナノマシンと相性が悪かったらしい。ウイスキーの壜らしいものが五つくらい転がっていたから、過度の飲酒が祟ったのかもしれない。ピストルの弾痕が死体のどこにも残っていないのを考えると、このウイスキーは自殺のためにも使われたようだ。


「フレデリク、これはなかなか考えた精神攻撃だぞ。政府の戦時国債購入奨励ポスターで神は我らとともにありと刷り込まれてきた兵士たちがこの少女型の兵器に襲われたら、本物の天使が襲ってきたと思うだろう。そうなれば、この世の終わり。神は相手側の大義に入れ込んでいると思うわけだ」


 兵器はイギリス赤十字社婦人部の白衣に似たものを着て、作り物の翼を折りたたんで、薄青色のガラスのカプセルのなかで眠っていた。


「ただ、フランス人は関係ないな。天使が空から降りてこようが、キリストがスパイク付き兜ピッケルハオベをかぶって銃剣突撃してきようが、関係ない。エラン・ヴィタールを合言葉に街ひとつ分の若者を敵の要塞に突っ込ませて使い切る。一体そんなことを可能とするエラン・ヴィタールとは何なのだときいたが、意味がさっぱり分からなかったよ。直訳すると『躍動する生命』だが、部下をいたずらに消費することの何が躍動で何が生命なのか。フレンチやヘイグみたいな将軍どもの悪いところはひとつの作戦を成功させるのに数十万人単位の兵隊をチリ紙みたいに消費してしまうことだ。海軍はその百分の一で済む。どんなに大きな艦でも乗組員が千人を越えることはない。どんなに大きな艦隊でも乗組員は二万人を越えるかどうかだ。二万人なんて、陸軍は二日か三日で使い切る。しかし、ひとつ不安なことがある」


「なんでございましょう。旦那さま」


「わたしが参加したあの世界大戦が、第一次世界大戦なんて名前で呼ばれることだ。第一次ということは第二次世界大戦もあるし、第三次世界大戦もある。どうも、この世界も世界大戦を何度か行っているのではないかという気がしてくる。そうなると、我々人間は文明の全てをチンパンジーに明け渡して、今日のバナナのことだけを考えたほうが幸せになれるというものだ。チンパンジーが縄張りや配偶者をめぐる以上の争いをするとは思えないし、世界大戦をするとしても武器はバナナの皮くらいだ」


 このガラスのカプセルの左右に大きなジェネレータ―が低く唸るような音を鳴らしていて、二千年分の分厚い埃を取っ払うと、その下から出てきたスクリーンに休眠モード解除データ体を指定してくださいというメッセージが流れていたので、ヴィクトリアが少女の幽霊を指定すると、コマンドが受けつけられた。


「じゃ、わたしはいなくなるかな。ありがとねー」


 少女の幽霊はどこからともなく差してきた斜めの淡い光のなかを昇っていった。


 しかし、肝心の兵器は目を覚ます気配がない。


 提督はこの船を調査したら魚雷で沈めたいと思っていたので、この少女型兵器が目を覚まさないのは少々不都合だった。

 少女は機械であり、生物ではないが、しかし、ヴィクトリアやフレデリクを見ている限り、機械が人間並みの知性と感情を有している。


 そういう少女を魚雷で客船もろとも沈めるのは、あらためて考えると少々どころかかなり不都合だった。


「そもそも、この世界の機械と人間の差は何なのでしょうなあ、リトル・レディ」


「わたしたち、インプットされたことしか分からないんですよ」


「それはわたしも一緒ですよ。新しい自動車を発明しろと言われても、自働車産業について何もインプットされていません。教えられた範囲から外に出て考えられないのは人間も同じ、いや人間のほうがひどいかもしれないのですよ、リトル・レディ」


「それ、考え始めると止まらなくなるやつですよ」


「じゃあ、やめましょう。しかし、この天使の少女、目覚める気配がないですな」


 提督はスネークウッドのステッキでジェネレータ―をコツコツつつき始めた。

 すると、何か押したらしく、ジェネレータ―が火花を散らしながら震え始め、ブツンという音をさせると、カプセルの左右のシリンダーから白煙が出て、機械音声が「ステータス・チェック……システムテスト:グリーン、動力源テスト:グリーン、センサーチェック:グリーン」と何かを総点検し始め、それが終わると、ステータス:オールグリーンの言葉とともにカプセルが上に開いた。


 天使型兵器はパチリとまぶたを開けた。


 さらに半身を起こすと、


「先任指揮官はどなたですか?」


 と、きいてきた。


 このなかで軍人なのは提督だけなので、


「先任指揮官はわたしだな。大英帝国海軍中将アンドリュー・ホクスティム三世」


「識別情報を取得。識別子承認完了。指揮系統再構築中……構築完了。司令官。ご命令を」


「おお。わたしの指揮下に入ったのか。ふむ。では、まず、貴殿を臨時の海軍中佐に任ずる」


「了解いたしました。司令官」


「わたしのことは提督と呼んでくれたまえ」


「了解いたしました。提督。攻撃目標を指定してください」


「うむ。その敢闘精神やよし。だが、敵はいないのだから、そう張り切らなくてもよいぞ」


「了解いたしました。提督。攻撃目標を指定してください」


「だが、いまは特に攻撃目標はないのだ、中佐」


「了解いたしました。提督。攻撃目標を指定してください」


「いや、だから、攻撃する相手はいないのだが」


「了解いたしました。提督。攻撃目標を指定してください」


 提督が生きていた時代、バグという言葉は〈虫けら〉という意味でのみ使われていた。


「旦那さま。これはバグではないでしょうか?」


「そうですよ。彼女、バグってます」


「きみたちは随分辛辣なことを言う。そうだなあ。カレイジャスを攻撃目標に指定したら、彼はかわしきれるだろうか?」


「しかし、旦那さま。彼女の攻撃能力がどれだけのものか分からない以上、ユウキさまにご負担をおかけするのも、どうかと」


「どうかなあ。ふむ」


「旦那さま。ここはいったん魚雷艇に戻って、この船を攻撃させるのはどうでしょう?」


「名案だ、フレデリク。実にいい案だ。ただ、わたしはいいと思うのだが、18インチ・ホワイトヘッド魚雷がそれに反対するのだ。だから、ここはカレイジャスにひと肌脱いでもらって――」


「旦那さま」


「提督っ」


「分かっている。冗談だ。では、中佐。安全な位置まで離脱後、この船を攻撃してよろしい」


「了解いたしました。提督」


 まあ、二千年前の兵装である。

 これだけ大きな船なら一発くらいは耐えるのでは?

 それに喫水線より上を攻撃するよう指定しておけば、船がまだ浮かんでいる可能性はある。

 なに、まだ魚雷にも出番があるぞ。


 結論からいうと、天使型兵器の放った超高温の球体は船に命中後、その半径百五十メートル以内にあるもの全てを蒸発させた。


 つまり、船の下の海水が半径百五十メートルの球形の下半分だけ蒸発し、大きな穴が海に開いた。

 マクロな考え方では極めてわずかに海水面が下がっただけだが、ミクロな考え方――たとえば、そのそばに浮いている魚雷艇にとっては大変なことになった。

 海に開いた半円の穴を埋めるべく、まわりの海水が渦を巻いて流れ込み、魚雷艇はそれに巻き込まれて宙返りを一回して、紅海を割ったモーゼを追いかけたエジプトの兵士たちみたいに海の藻屑となるところだった。


「協商勢力は極めて高い火力を得た」


 海がもとのように静かになったとき、提督は放り出された外側から、舷側をよじ登りながら言った。


「これは勝利への近道だ。そして、我々は彼女の火力を制御できない。これは滅亡へのオリエント急行だ。諸君。たとえ滅亡への道をゆこうとも、紳士らしくいこうではないか」

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