チューニの資質あり
カータの住処は赤錆びた壁にぶち開けられた横穴に電線と寝袋とビデオ・ゲーム、ドライアイスの入った発砲スチロールの箱を持ち込んだものだった。その後、ゲームのカートリッジと象形文字のペナントが加わったが、表紙がボロボロになった猫族ディネガ古代詩篇もこっそり持ち込まれたりしていた。
この家で最も価値があるものは、どこかに隠された秘密の貯金箱で、提督が以前支払ったボンド金貨三枚と今回支払ったデ・ビアスのダイヤモンドトークン三枚もその貯金箱に入っていた。その蓋には化学鉛筆で『盗んだらぶち殺す』と書いてある。
次に高価なものは壁にかけられた青龍刀。
分厚く幅も広い刀身を支える柄が金メッキの龍をかたどり、柄頭はリングになっていて赤い布切れが垂れていた。
街を歩いていたら、上から落ちてきて、カータの脳天に刺さりそうになった。
見上げても誰もいなかったので、驚かされた慰謝料として、そのままもらってしまった。
ちなみに三番目に高価だったのは中古のお掃除マシンだったが、スイッチを入れた途端、カータをゴミと認識して捨てようとしたので、バラバラにしてソフトウェア屋台に売り払ってしまった。
カータのもとでの修行が始まった初日、寝袋にもぞもぞ入ったカータに好きなとこで寝ろと言われ、ユウキはカータの枕元に座って、腕を組んで寝た。床一面が手榴弾や使い捨てカメラといったガラクタだらけだったので、そこで寝るしかなかったのだ。
そのため、ユウキはカータの叫び声で目を覚ますことになる。
「ヤバいやつが枕元に立ってる夢を見たけど、道理で。ったく」
ドライアイス入り冷蔵箱を開けると、自分には蟹ビールを、ユウキにはノン・アルコール・蟹ビールを放った。
「料理は何が作れるんだ?」
ユウキは考えてみたが、自分で料理をしたことがないという結論に至るまで、十分ほどかかった。
「はぁ。しゃあねえなあ」
カータはニラに似たニラでないものを細かく切り、卵に似た卵でないものを割って、フライパンに入れ、この料理で唯一本物の自家製甘辛あんにからめて、ニラ玉に似たニラ玉でないものを食べた。
「レバーに似たレバーでないものがあればよかったんだけどな。こいつを食い終わったら、カータ先生の速成武術講座一週間コースの始まりだ。ビシバシ行くからな」
「わかった。頼む」
カータの部屋から階段を二回上ったところに広場があり、模造の広葉樹が中央に立っている。
その木陰はもともと暗い崖の街でも特に暗く、そこにいるとカータの瞳孔は丸くなる。
「武術を極めるってのは、まあ、簡単だ。身体をさばくやり方を覚える。武術を極めたら、ただ身体をさばくだけで敵が勝手に倒れてる。その境地に行けばいい。で、まずやるのは、あんたの身体に染み込んだ戦闘技術をきれいさっぱり洗い落とすことだ」
「洗脳装置か?」
「そんなカネのかかるものは使わない。カータ先生の速成武術講座は利潤を追求する。やることは逆張りだ。おれがこれから、かかるから避けずにガードしろ。ただ、いつもなら足でガードするところでは手で、手でガードするときは足でガードしろ」
「顔に向かってくる攻撃を足でガードするのか?」
「そういうこと。慣れると面白くなる」
その日、一日、逆張りガードをした。理屈に合わない体の動き方をしているうちに、それまでに培った戦闘技術が少しずつ剥がれ落ちていく気がした。これが終わったら、素手による戦闘力が格段に落ちているのではないかと危惧し、その日、一日の逆張り訓練が終わった後、ユウキはカータにその懸念を話した。
「そら、弱くなる。当たり前だ。初めて覚えた体の動きがそんなすぐに馴染むわけがない」
「いま、やつに襲われたら、一撃で死ぬな」
ただ、この訓練も三日目に入ると、効果とまでは行かないが、理屈が追いついてきた。非効率的なガードを成立させるためにすべき動きを考えるようになったのだ。
「へぇ。筋がいいじゃねえか。これなら、じいさん、成功報酬もくれるかもな。じいさんのまわりで他に武術を習いたいやつはいないのか?」
――†――†――†――
四日目、睡眠学習のせいで慢性的な頭痛持ちになりそうだと思っているところで、外が騒がしくなった。
「間違いねえ。空中バスだ」
「ついに崖の街にも空中バスが復活するぜ」
赤いランプと崖の街ではその昔、空中バスが運航していたが、住民が無茶な要求を繰り返して、廃線になったという愚かな過去があった。あれから、街のディネガたちも利口になり、廃線にならない程度に無茶な要求をしようと思っていたのだが、残念。
空中バスだと思っていたのは提督の汽艇だった。
「訓練の成果を見に来たのだ」
「まあまあいい感じだ。筋がいい。前の戦い方をきれいに洗い流したから、もうそろそろ武器も考えてる。ただ、気功は無理だ。そうだ、じいさん。じいさんのまわりで他にも武術を習いたいやつ、いない? いまなら格安で教えるんだけどなあ」
「残念ながら、いまのところ、武術を習いたいというものはいない」
「そっちのヒューマノイドは?」
「フレデリク。武術を習いたいかね?」
「いえ。フレデリクは常に旦那さまのそばに」
「と、いうことだ」
提督は武器を買うときに使ってほしいとデ・ビアスのトークンを一枚置いていき、イングリッシュ・ガーデンのアフタヌーンティーに間に合うよう、急いで家に戻っていく。
ユウキは銃だけでなく、ブレードもアナログなものから見繕うことにしていた。
「この街で刀剣の専門店はあるか?」
「あるけど、たかが知れてる。ここは蟹を食うための街だ。刀が欲しいなら逆重力の街がいい」
市電を乗り継いで、降りた逆重力の街は夜のように暗かった。
赤いランプがないだけ、崖の街よりも暗い。
この街は崖の街のようにディネガランドの奥に封じ込められているわけではない。見上げた先に海がある。だが、街区全体が逆さまになっているがゆえ、太陽の光は何かの恨みを買ったみたいにちっとも当たらない。
逆重力の街はぴかぴかしたり騒々しいのが苦手なディネガたちの住処だったので、夜の街にある歓楽街のざわめきはなかった。
ときどき、拍子木を打つ音がきこえるくらいだが、狭い街路をはね返ってきこえてくるので、音源がどこにあるのか、逆算しても分からなかった。
ときどき、電気コードから剥がした被膜で編んだサムライ笠にボロボロのタオルをまとったディネガが腕の数の分だけ、刀を腰に差して、うろついているのを見ることがある。
この剣士たちのなかには辻斬りなる趣味を嗜むものがいて、新しく手に入れた刀の切れ味を知りたくて、生きたディネガを襲う。
腕に覚えのないディネガは滅多にうろつくことがないし、腕に覚えがあっても、避ける。
ただ、絶えず刀に対する需要があるため、他の街区に住む刀鍛冶は手持ちの刀を売れるだけ売って、すぐに逃げる。
その新品の切れ味を知りたくて、辻斬りが起こるので、刀鍛冶たちは殺人の共犯でもある。
暗く、しらじらとした海が空の代役を務める奇妙な街。
丸いディネガの老婆たちが曲がり角に集まってヒソヒソ話し合い、加工した流木と薄い紙でできた屋台のぼんやりとした灯りのなかで薄味な灰色のヌードルがゆで上がっている。
「たーしか、こっちに……あ、あった、あった。まだ、あった」
それは自動販売機だった。
かなり大きな自販機で、入力端末とコイン投入口、商品取り出し口と商品返却口があり、側面にはかなり旧式の脳波スキャンヘルメットが逆重力に引っかからず、海に向かって伸びてぶらぶらしている。
「こいつをかぶって、与えられた質問にこたえを入力すると、そいつにぴったりの刀が手に入る。あんまりぴったりなもんで体と同化しちまうやつもいるんだぜ」
頑固な鍛冶屋の老人も、強敵を倒して奪い取るイベントもなく、あるのは名刀が手に入るインフラストラクチャー。
ユウキがヘルメットをかぶって与えられた質問にこたえると、商品取り出し口から〈バールのようなもの〉が落ちてきた。
「おい、どうしてこの販売機は撤去されないんだ?」
「まあ、待てよ。一回までならやり直しがきくんだ。その〈バールのようなもの〉を返却口に押し込みな」
どう見ても、バターナイフしか入らない小さな返却口に無理やり〈バールのようなもの〉を押し込むと、またヘルメットをかぶる。
「さっきの質問の結果、凶器度ってのが上がってた。嘘でもいいからこたえを変えてみろ。ステータスが変化するかもしれない」
質問その一
あなたは学生です。あなたの学校がテロリストに占拠されてしまいました。
あなたはどうしますか?
「管轄の治安機関が制圧するまで待機だ」
「待った。ここで『ひとり学校内の設備やサバイバル知識をつかってテロリストに立ち向かう』を選ぶと違ったものになるらしい」
「なんだ、それは? そんなことしても犬死するだけだ。だいたい数で優った相手と無理やり戦うのはあいつみたいで嫌だ」
「いいから、こたえろって。また〈バールのようなもの〉が落ちてくるぞ」
「ハァ……『ひとり学校内の設備やサバイバル知識をつかってテロリストに立ち向かう』。これでいいか?」
「よし、返答が受けつけられた。次の質問は『あなたの腕は闇の力に呪われてしまいました。強力な力がありますが、使いすぎると闇に落ちます。あなたはどうしますか?』」
「切り落として、普通の腕を移植する」
「違うな。正しいこたえは『包帯を巻いて腕の呪いをクラスメートたちから隠し、この平穏な生活を守るため、同じ能力者の仲間とともに〈永遠の叛徒たち〉を結成し〈組織〉を相手に戦う』だ」
「おれはまだ学生なのか?」
「そうみたいだな」
「お前がさっきから読んでいるのは何だ?」
「これは攻略本ってんだよ。ほら、攻略本の通りにこたえろ」
「……包帯を巻いて腕の呪いをクラスメートたちから隠し、この平穏な生活を守るため、同じ能力者の仲間とともに〈永遠の叛徒たち〉を結成し〈組織〉を相手に戦う」
「ほら、また返答が受けつけられた。ステータスもどんどん変わってく。この調子で行こう」
その結果、〈漆黒の猟騎士〉という名の刀が取り出し口に落ちてきた。
「刃は赤いぞ」
「チューニ度ってのがカチ上げになってる」
「これは本当に斬れるのか?」
「辻斬りすっか?」
「いや、もう、帰ろう。なんだか疲れた」
「旧式のスキャンってのは遠慮なく人の家に立ち入って冷蔵庫を引っ掻きまわすみたいなやり方でスキャンするよな」
逆重力はなんだか生まれてからずっと体のなかで時計回りにまわっていたものが、反時計回りにまわっているみたいな気持ち悪さを感じるなと思い、はやいところ、ここから出たいものだと思っていたら、イエズス会士によく似た細長いクチバシにふっくらしたズボンを吐いたディネガの少女が、身長二メートルをはるかに超える辻斬りらしいディネガから逃げているのに出くわした。
遠くを見ると、故障したエレベーターがしゅうしゅう煙をあげていた。
少女は運悪くここに落ちたのだろう。
彼女を追う辻斬りディネガの腕は六本で、その六振りの得物はどれもノコギリのような刻みがされていた。
「漆黒の猟騎士、使うか?」
カータが柄のほうをズイッと差し出したが、ユウキは首をふった。
辻斬りディネガの前に立ち、ふーっと静かに息を吐き、力を抜く。
振り下ろされるノコギリ刀をほんの半歩身を引くだけで次々かわし、最後のひと振りをかわしたところで腰が自然と落ち、その位置から相手の顔の真ん中にごく短い動きの掌打を見舞った。パァン!と軽い炸裂音がして、辻斬りは来た道を吹っ飛んで倒れた。
「だいぶ、さばけてるが、まだ、敵を倒そうって意識が残ってる」
「そうか」
スタスタ去ろうとするふたりにクチバシ少女のディネガが、
「あ、あの。助かりました。ありがとうございます。命の恩人です」
ユウキは自分に向けられた言葉だと思っていないらしく、そのままスタスタ歩いていく。
「せめて、あの、お名前をいただけますか?」
と、たずね、それをやっぱり無視しているユウキの足をカータが軽く蹴った。
「ほら、名乗れよ」
「おれがか?」
はあ、とため息をつき、
「――ユウキだ」
そのまま、去っていく。
すると、一足違いで護衛のランツクネヒト型ディネガたちが三体あらわれた。
「お嬢さま、ご無事でしたか!」
「はい。親切な方に助けていただきました」
クチバシの半ばの軟骨部位をちょっと膨らませて(これがヒト型ディネガでいう頬を赤らめる行動なのだ)、つぶやいた。
「ユウキ、さま……」