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紳士らしからぬ……

 腕が落ちている。

 ついさっきまで、自分の右肩からつながっていた腕だ。


 強化骨格と鋼材筋肉からなる半ば機械化した腕だが、それでも自分の腕だったことにはかわりがない。


 痛覚コードは封鎖したが、パトリオパッツィはユウキをハッキングして、そのコードを無効化しようとしている。

 徐々に痛みが、うずいて、刺すような痛みが切断面から全身へと広がっていく。


「う、ぐっ……」


「ユウキさん……待っててください……痛覚コードを再封鎖しますから……」


 パトリオパッツィは飛行機能停止寸前のヴィクトリアがユウキの体から痛みを抜いていくのを嘲笑った。


「ユウキくん。きみのAIはなかなかいい趣味をしているね。痛みは一度逃れてから、再度施すほうがずっと効き目があるんだ。ほら」


 封鎖が無効化する。


 ユウキが叫び、体を折り曲げて震えた。

 まるでいままで誤魔化してきた痛みが一度に襲ってきたようにユウキの身体を意識を苛む。


「ぐうぅッ!」


「今度はバイパスでつないだから、コードを封鎖しても無駄だよ」


 悲鳴。機能低下。


「全身引きちぎられるような痛みはどうだい? 痛みはきみが人間である証明だよ。たとえ、ロットごとの大量生産人間だとしてもね」


「く――」


「何か言いたいみたいだね」


「くた、ばれ……」


 パトリオパッツィの手がユウキの喉をつかんで持ち上げる。


「ぐっ……かは、ぁ……」


「命乞いとか、最期の言葉とか、いろいろあるだろうにきみが選択したのはくたばれのひと言なんだね」


 手が離れて、ユウキはコンクリートの塊に背中からぶつかった。


「ユウキさん!」


「さあて。簡単に始末するのはちょっと退屈だ。カーテンコールにはまだはやい。それに――」


 そこから何を言おうとしたのは分からない。


 というのも、常備排水量14,900トンの戦艦『マジェスティック』が満艦飾で落ちてきて、劇場の半分と一緒にパトリオパッツィをぺしゃんこに潰したからだ。


 空飛ぶ汽艇スチーム・ランチがゆっくり着地し、提督が降りてきた。


「フレデリクは連れてきていない。きみのプライドの高さを考えると、あまりこのザマを多くのものに見られたくないだろうからね。それよりもリトル・レディ、どうもお元気ではないようですな?」


「わたしは大丈夫です。先にユウキさんを」


 そう言われても、提督はパチパチと火花を散らすヴィクトリアをそのままにはしない。

 先にヴィクトリアを汽艇スチーム・ランチに乗せ、それから半ば意識を失ったユウキを引きずって――、


「まったく、そんな大柄でもないのに重いこと、この上ない」


 ユウキを舷側まで何とか持ち上げて、そこから船内に放り落とす。


「自分の実力を考えず、より強力な敵に単体でぶつかりに行く。他の人間ならば、その愚をけなすだろうが。わたしは違う。その見敵必戦の心構え。なかなかよいぞ。英国海軍にとって実力で劣ることは戦線離脱の理由にはならない」


 さて、行こうかと思ったが、ユウキの右腕が見つからない。


 ロイヤル・ソヴリンのそばにギリギリ潰されずに残っていたので、それを拾って、スタスタ帰る。


 マジェスティックがバラバラに切り飛ばされ、見えない斬撃が提督を襲うが、背中を見せて歩く提督のまわりをハーヴェイ・ニッケル鋼製の装甲板が生えてきて、斬撃をかわりに食らう。マジェスティック級戦艦に採用された、この装甲は厚さがロイヤル・ソヴリンの二分の一なのに同程度の防御力が期待できる。その期待の装甲板がパトリオパッツィの死神の鎌の前に板チョコレートみたいに簡単にバラバラになるが、提督は一切心配はしていなかった。


 提督が知る限り、マジェスティック級戦艦を倒すことができる戦艦はドレッドノートただひとつである。

 なにせ、ドレッドノートが就役するや否や、マジェスティック級はみな旧式扱いになり、輸送艦や砕氷船としか使われなくなった。


 そんな恥辱を受けるくらいなら、とっととスクラップにしてもらったほうがどれほど良いか。


 そんなマジェスティックがいま戦いに使われている。

 旧式と言われる彼女たちが戦場を最後の御奉公というわけで、つまり、斬れば斬るほど、マジェスティックは報われる。


「そういうわけなのだよ。名無しくん」


 提督はポイっとユウキの右腕を艇に放り込んだ。


 ふり返ると劇場どころか、周囲の建物、一ブロックが飛んできた装甲板の下敷きになり、見晴らしのよい瓦礫の野原となっていた。


 そして、その中心に――、


「大英帝国海軍中将アンドリュー・ホクスティム三世。名をうかがおう」


 パトリオパッツィは芝居がかったお辞儀をする。


「パトリシオ・パトリオパッツィ。あなたが来てくれるのを待っていたんだ」


「ふむ」


「ディネガでも、ウェポンでも、テラリアでもない。この不思議な存在がどんな音楽をもたらすのか。考えてはゾクゾクしていたところでね」


「では、いま、きみは海軍の魔法をご覧になったわけだ。ご感想は?」


「あなたを切り刻んで、どんな叫び声がするのか、試したい気分だよ。クックック」


「わたしは陸で死ぬつもりはないし、まずはカレイジャスを連れて帰らないといけない。我々のあいだでは交渉ができる。たとえば――」


『トスカ』がかかったヴィクトローラの蓄音機がマッチをすったにおいとともにあらわれる。


「――わたしが見敵必戦をしないことを秘密にしてくれることと引き換えに、この音楽をきみに」


 パトリオパッツィはわざと腕を組んで悩んでいるふりをしてから、微笑んで、


「ふふ、いいですよ。今度はもっと枷がないときに」


 劇場の座席のひとつに座り、歌唱に耳を傾けるパトリオパッツィの上を汽艇スチーム・ランチが飛んでいく。


 そして、十分な高度を稼いだところで、そのパトリオパッツィ目がけて、マジェスティック級戦艦『マグニフィセント』『ハンニバル』『プリンス・ジョージ』『ヴィクトリアス』『ジュピター』『マース』『シーザー』『イラストリアス』が縦に落ちていった。


 瓦礫の濃い霧から立ち上がる前弩級戦艦の墓標たち。


「いやはや。ここにフレデリクがいなくてよかった。こんな卑劣極まりないやり方を見られたりしたら。紳士失格だ。ただ、わたしとしても、何かしないと怒りで頭がおかしくなりそうだったのですよ。リトル・レディ。このことはどうかご内密に」


 提督は人差し指を口元に寄せ、片目をつむった。

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