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三つの名所

 案内、と言われても、いろいろな案内がある。

 食い倒れ、名跡まわり、セックス旅行のお安いプラン。


 カータに、どんなとこを案内してもらいたいんだよ?とたずねられた提督は、


「きみが明日、死ぬと分かっていたら、行きたい場所がいい」


「この罪深い崖の?」


「罪深いとは言っても、サンフランシスコのバーバリーコーストほどではないだろう?」


「よく分かんねえな。でも、うーん、そうだなぁ。明日死ぬとしたら行っておきたい場所か。いくつかあるっちゃある。でも、言っておくけど、そんな面白いもんじゃないからな」


 まず、連れてこられたのは大きな茶館だった。

 崖の表面を五かける五の小店二十五か所分確保し、奥行きもある。大きなサイコロを埋め込んだようなものだった。このサイコロは赤いランプの心臓みたいに光を拍動させている。


 このヴーリィヴ茶館の入り口は四か所、正面の四つの角にあったので、窓際からの景色はしっかり見える。

 歯車が永久機関じみた威厳を持ってまわっているのを見るのが好きなものにとっては絶景と言える。


 ふたりは正面から見て左下の角にある入り口から入ったが、粘土で塞いだ水瓶をテーブル代わりにした廊下があって、縁起担ぎの象形文字が床に刻まれたホールにつながっていた。蟹、卵、食虫植物を煮て、焼いて、蒸して、一本足型、筆箱型、アンモニウム型のディネガがそれぞれの体型と習性と念力能力の有無にあわせてつくられた食器でパクパクムシャムシャ食べている。


 ふたつの頭があるディネガは注文をひとつに絞れず、給仕をまたせたまま、もうひとりの自分と戦いを繰り広げていた。

 死ぬほど苦いから耳かき一杯以上入れるなと言われていたお茶の粉をスプーン大盛り一杯入れたバカモノが臨死体験の真っ最中。


「おい、カータ。その猫耳ディネガはだれだ? お前のじいさんかよ?」


 提督が猫耳呼ばわりされるのはカータ自身が耳と尻尾以外は人間の少年みたいな格好をしていて、その連れだから。

 もうひとつは耳は帽子に、尻尾は外套に隠れていると思われたからだ。


「違う。おれ、捨て子だぜ? じいさんなんているわけない。こっちの旦那はヒト型ディネガだ」


 その給仕――大型爆弾と融合していた太鼓腹のディネガは驚いた拍子に起爆スイッチを作動させたが、信管が抜いてあったので何も起こらなかった。


「そりゃあ滅多に見れないディネガだな。楼門のそばのパン屋がヒト型ディネガだが、あいつらの親戚か?」


「いや、違いますな。でも、彼らとは会ったことがあります。素晴らしいパン屋にしてカフェでした」


「へえ。じゃあよ、カータ」


「あん?」


「原初の質問に戻るんだが、お前、ここでヒト型ディネガのじいさんを連れて、何してるんだ?」


「観光案内」


「観光案内? 崖の街で?」


「ああ」


「給料いいのか?」


 カータはストレイキャットの掟『カネは見せびらかしていい。それが贋金である限り』を破って、ポンド金貨を見せた。


「おいおい、それは本物の金か?」


「スキャンにもかけた」


 そう行って、左手の長い手袋の上につけた端末をコツコツ叩いた。


「いいなあ。おれも観光案内に転職しようかな。で、ここに案内に来たのは何でだ?」


「おれが明日死ぬとしたら見たいところを案内しろだとよ」


「そいつぁいい。お前みたいな筋金入りの崖生まれが最後の日に見たいところってのは、そりゃあ、崖の街らしいだろうさ。おれも明日死ぬとしたら、七年前のおれに『おい、やめろ。お前はとんでもない間違えを犯している!』って言って、結婚をやめさせる」


「それは『明日死ぬとしたら』じゃなくて『時間を巻き戻せたら』だろ」


「ああ、そういえば、そうだな」


 爆弾ディネガは蒸したハタスズキを持っていく途中なのを思い出して、さっさとその場を後にした。


「ここはなかなかの店らしい。上海の茶館もこんな感じだった。さて、我々はどこで食事するのかね?」


「言っておくけど、ここじゃないぞ」


「ほう」


 雷文模様の欄干の植物性エレベーターで宙吊りの個室のあいだを降りていく。一番下に降りたころには店の喧騒は遠のいた。薄暗い道にぼんやりと赤い花が光っている。


 食虫植物の苗を並べた棚、壁にかけられた絨毯(だがよく見ると、それは密集した植物だった)。


 その行き止まりには鉄格子をかぶった扉があり、その脇に小さな店が開いていた。天井のフックにぶら下がったオイル・ランタンが煌々と照る店には椅子がふたつ、カウンターがひとつ。


「おっちゃん。蟹ある?」


 おっちゃん、と呼ばれたディネガはライオンの顔を持つアンモニウムのディネガだった。ウネウネした十本の足でカウンター内の調理場はいっぱいだ。


「……いくつだ?」


「ふたつ」


「座って待ってろ」


 軟体の足が泡の玉がボコボコ踊っているガラスの水槽に差し込まれ、二杯の蟹が引っぱりだされると、既に油が沸騰している鍋に放り込まれ、鍋は火柱の上でガタガタ揺らされ、そのあいだも熱い油を蟹にかけ続け、二本の足がネギとショウガとトウガラシを刻み、それを鍋にぶち込み、さらに秘密のタレがプラスチックの入れ物からちょろっと入ると、一気に蟹の色がこげ茶になり、たまらないにおいがしてきた。


 店主は何も言わずに二組の箸と一緒に二皿の蟹の丸揚げを出してきた。


 海軍の魔法でナイフとフォークを出してもよかったが、ローマにいるならローマの法に従うべきだし、明日死ぬとしたら行くべき場所を教えてくれたカータにも失礼だ。紳士らしくない。


 それに提督は箸を、かなりきれいに使うことができた。


 キーワードはアドミラル・東郷トーゴーだ。


 東郷平八郎は世界じゅうの海軍軍人の羨望の的だった。

 海軍というのは陸軍と違って、実戦がごく少ない。本当に本当に少ない。

 その本当に本当に少ない機会でさえ、最新の戦艦が清国の帆掛け船ジャンクを吹き飛ばすだけであり、主力艦隊同士の激突など五十年に一度あるかどうかなのだ。


 東郷平八郎はその五十年に一度の機会に恵まれ、しかも、圧勝したというわけだから、誰もが羨ましがる。


 そんな東郷提督が来るということで海軍の高級将校たちが箸の使い方を練習したのだが、そのとき教師を仰せつかったのが、アンドリュー・ホクスティム三世だった。


 若いころシンガポール艦隊の魚雷艇の艦長をしていたことがあり、地元の華僑と食事をする際に覚えた技が、いまや同僚から望まれたわけだ。


 提督は、仕方がないなあ、と言いながら、嬉々として箸スクールを立ち上げ、日本のどこの軍港にぶち込んでも恥ずかしくないくらい、きれいに箸を使えるようにさせた。


 もっとも、東郷提督は完璧なマナーでナイフとフォークを使えたので、無駄な授業となったのだが。

 まあ、予想はできたことだ。


 さて、華麗な箸さばきで殻を剥こうかと思っていたとき、横のカータが箸で甲羅を切って、なかのミソをタレのようにして、ハサミをガツガツ食べ始めた。


「ああ、なるほどソフトシェルクラブか」


 ソフトシェルクラブ。つまり、脱皮したばかりの蟹だ。


 脱皮したばかりの蟹はとても柔らかく、人間の歯でも簡単に食べられる。

 その独特の歯ごたえ。そして、殻が醸し出す旨味。


 本当のグルメの食べ物だ。


 しかし、これは脱皮したばかりのタイミングの蟹だけしか食べることができない。

 しかも、ぐずぐずしていると、どんどん殻が固くなる。

 タイミングは限られているし、数取れず、海辺で消費される。

 脱皮した蟹は網で傷がつき、いたみやすいので、本当に上質なソフトシェルクラブはロンドンまでだって持ち込むのが難しい。


「カータくん」


「なんだよ?」


 食いちぎった蟹の足をもぐもぐしながら、カータが言った。


「きみの趣味の良さに、紳士として心からの讃辞を送りたい」


「サンジ? なんだそれ? 鋼鉄貫通弾とかじゃないよな?」


「感動して褒めたたえることだ」


「あー。そういうこと。つまり、それだけ美味いってことか。まあ、ここの蟹は確かにうまい。信じられねえほどうまい。でも、このとおり、店主は不愛想だから、店は入りづらいし、それになんたって脱皮した蟹ってのはいつも獲れるとは限らない。よお、どうだい?って来ても、今日はいい蟹がなかったってぶすっと言われたらそれまで。当たりはだいたい六回に一回だな。でも、無駄足踏んでタレとなれ。そこまでしないと本当にうまいものは食べられない。まあ、次はもっとスゲエから期待していてくれよな」


     ――†――†――†――


 二番目の名所は少々微妙だった。


 彼ら猫ディネガたちが神と崇めるカツオマタタビ神の祠で、イワシの魚の骨を焼いて砕いたものをお供えするのだが、ご利益があるのかは少々微妙だった。


 カータは明らかに同年代の少年よりも背が低い。

 そのことは本人も気にしていて、カツオマタタビ神に何度もイワシの骨をお供えしているのだが、いまだに効き目はなさそうである。


「なあ、じいさん。背ってどうやったら伸びるんだ?」


「最初に言っておくが、錘か何かを足首に結びつけて、鉄棒にぶら下がるのはやめたまえ。母方の伯父のポールがそれをやり、むしろ十センチ以上縮んてしまった」


「なんてこった。おれの最後の希望が」


「病院にその手のことを扱っているクリニックがあるのではないのかね?」


「それやって、この身長なんだよ」


「ふむ」


「やっぱりマグロの骨をお供えすべきかなぁ」


 こういうときナポレオンがチビだったことを引き合いに出すものもいるが、英国の海軍に籍を置くものとしてはネルソン提督がそのナポレオンをエジプトに閉じ込め、英国本土への侵攻を夢に終わらせたことにも言及したい。

 それにナポレオンも最終的にはワーテルローでウェリントン公に負かされている。

 そして、ウェリントン公は背が高かった。


 これは三番目に過度の期待をするものではないなと思っていた。


 三度目に見たものは夕日だった。


 崖の街の果てにある錆びた梯子を上った先に外へ出るバルコニーがあったのだ。


 赤いランプに見慣れた光よりもずっとまぶしく、他のどの場所で見た夕日よりも美しかった。


 ほのかな紫の影に縁取られた光る雲の群れと黄金のうねりとなった海。

 そのあいだにドレッドノート級戦艦を数万隻動かしてもまだ余る熱量が輝くオレンジとなって西の果てに溶けていく。


 その壮大な景色に鳥型ディネガたちの黒い影が急降下しては海面スレスレを飛んでいる。


 提督もカータも空を自由に飛べない。

 その不足がいま見ている景色をよりかけがえのないものにしている。

 この展望のみが彼らに許された自由なのだ。


「赤ランプの崖の街じゃあ、夕日なんて絶対に見られないと思ってるが、まあ、そいつらはバカなんだ。ここを知らない。つーか、誰にも教えたことなかったのに、なんで、おれ、教えちゃってるんだ?」


     ――†――†――†――


「散歩はいかがでしたか、旦那さま?」


「悪くなかった。小さな友人もできた」


「旦那さまのご友人ですか」


「いずれ、ここに連れてきてみたいものだ」


「そのときは腕によりをかけて、おもてなしさせていただきます」


「ぜひとも頼むぞ」


「はい、旦那さま」

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