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音楽家

 二千年前、そこには都市があり、生活があった。

 都市とは強度不足のコンクリート、渋滞を頻発させる道路、スラム街、マフィアや汚職政治家たちの邸宅。

 生活とは発覚した不倫、自働車事故、顔面神経痛、報酬の二重取り、医療費の水増し、判事の買収。


 人類が自分たちにうんざりしたときにディネガ・エネルギーがやってきて、何もかもがひっくり返ってしまった。

 数億丁の銃火器がいっせいに発射され、阿鼻叫喚の果てにテラリアに逃げた以外の人類は滅んだ。


 テラリアに逃れた人類は人類の粋であり、そこには鉄筋が入っていないコンクリートも違法なキックバックもなくなり、人類が精製されたと思っても、無理はない。


 その一方で人間っぽい思考を失わなかったディネガもいて、彼らがディネガランドをつくって、あちこちの海でガラクタを拾いつつ、棲み処を大きくしていったが、ディネガランドにはちんけな裏取引もあったし、美的感覚の欠片もない建物もあった。


 ディネガランドは旧人類の保管庫と言われてもおかしくないかもしれない。


 ただ、ディネガランドは人間時代の悪習を継承していたが、ひとつだけ継承しなかったものがある。

 人種差別だ。


 ユウキとヴィクトリアがいたのは、二千年前、サンヴィセンテ・ハイウェイと呼ばれていた道路だった。

 様々なスクラップが集まっていて、家庭向きのワゴン、流線形のロードスター、違法移民を乗せたバス、特徴がないことが特徴だったセダン、政府高官のリムジンがぶつかって、ひしゃげて、横転していた。


 何台かは内側から破裂していたが、これはなかに乗っていた人間がディネガ化してしまったのだろう。


 こうしてギチギチに詰まった車列を人間もディネガも潰して、吹き飛ばそうとしたのか、戦車が何台かこの立往生のなかで錆びた装甲をさらしていた。


「みんな逃げようとして、死んでしまったんでしょうか?」


「そうだろう」


「こういうのを見ると、何とも言えない気持ちになりますね」


「別に」


「目標は同じ、人数は多い、でも、最悪の結果を招いてしまう。AIにとって、大勢の人間がパニックに陥る過程はすごく不思議なんですよ。意思疎通の不足と効率化の失敗が原因だって言えば、そこまでですけど」


「みんな我が身がかわいいだけだ」


「そんなもんですかねぇ。エゴの問題ってことですか」


 エゴ。

 その言葉をきくと、ユウキは心を締めつけられる。


 シン兄さん……。


「そんなことより、観測装置はどうだ?」


 テラリアの調査部隊は例の観測機を大きなすり鉢状の穴の底に設置していた。

 どうも二千年前の空軍はこの車列を爆撃したらしい。


「うーん。データを持ち帰るのは厳しいですね。パスなしで外部デバイスに対するセッティングをすると、全てが消去されます。結構容赦なくて、認識されていない通信端子がちょっと触れただけでもアウトですし、わたしがつなげようかなーって小細工考えただけでもアウトです」


「それだけの情報があるってことか。パスは分かるか?」


「テラリアの現役防衛パスですよ? 解除構成の組み合わせだけでもどのくらいあるか考えただけでうんざりしますよ。まあ、正攻法で五十年ですね。裏技使うなら、いつオーバーヒート起こすかびくびくしながら十か月」


「じゃあ、何を観測していたかは分からないか」


「データをアウトプットできないだけで、観測装置内を経由すれば、観測内容を見ることはできます」


「わかった。ツールをバイパスでつないでくれ」


「了解です」



 ――やつはいたか?


 ――いや、どのデバイスにも引っかからない。もう、ここにはいないんじゃないか?


 ――お偉方はどうしておれたちまで投入した? ただの廃棄体だろう?


 ――そのただの廃棄体がディネガどもを率いて、え、おい、あれ――ぎゃああああ!


 ――くそっ、交戦開始コンタクト! やつを見つけた! 場所は、ぐ、げぇ。



 まもなく、きくのも耐えがたいノイズが走り、ユウキは自身の通信を観測装置から引き抜いた。


「映像はない。音声だけか」


「データは中央管理システムとリンクしていて、この音声データは座標G8A3の観測装置のようです。そして、彼らが追っていた廃棄体ですが、意外にも、その行方は全部拾いきれていないんですね。それでも絞り込むことはできそうです。ちょっと、待ってくださいね。……これで、1繰り上がって、それで……ユウキさん、7かける6っていくつでしたっけ?」


「42」


「そうでした。そうでした。で、ここに4足して、……ユウキさん、6かける7っていくつでしたっけ?」


「42」


「なるほど、42。4と2。簡単なことだろう、カレイジャス?」


「ふざけてるなら、ぶつぞ」


「わかりましたよ。すぐ暴力に訴えようとしないでください。ほら、いま、できました。この謎の廃棄体のいると思われる場所です。マップを送ります」


「……これは、劇場、か」


「スコア座劇場。最初の通信記録の近くですね。兵士たちが安っぽい軍用ウォールを使っていたから突破できたんでログを読んでみたんですが、この作戦区域で活動していた部隊全てが救援要請を受け、この劇場に急行し、通信を絶っています」


「全滅か」


「かもしれません。どうします? 結構、強敵みたいですよ?」


「行くぞ。見つけた以上は、け――あ」


「見敵必戦、ですね」


「言うな。口にしかけて後悔してるんだから」


「素直じゃないですねー」


「ふん」


     ――†――†――†――


 スコア座劇場は二千三百年前に建築された歴史的建造物だった。

 神々のフレスコ画、〈浮かぶ宝石商〉と呼ばれたシャンデリア、四千年前の古代文明をモチーフにしたファサード。


 建築された直後からスコア座は音楽と演劇の聖地と呼ばれ、支配階級のための歓楽と社交の場として機能していた。二千年前のディネガ前夜でも、それは変わりなかった。

 上院議員、外交官、大学教授、メディア王、映画スター、陸軍参謀総長、外国の王族。

 観客の一部はディネガ・エネルギーが意図的に放射されることを知っていたかもしれない。


「太古の観劇作法では、こういうとき、観客はポップコーンを買っていったそうです」


 ヴィクトリアの言うことが本当であれば、上院議員、外交官、大学教授、メディア王、映画スター、陸軍参謀総長、外国の王族はオペラを見ながら、ポップコーンを食べていたことになる。


「テラリアって娯楽がホントーに少なかったですもんね」


「クトラ=カトラは?」


「あー、クトラ=カトラ。ありましたね。でも、あれってクトラ!って言われたらカトラ!ってこたえて、カトラ!って言われたらカトラ!ってこたえるルールですけど、これだとなんて呼ばれてもカトラ!って言えば、絶対に負けないじゃないですか」


「あれは持久力を競うゲームだ」


「ユウキさんは最高記録何分ですか?」


「四十二時間」


「頭がおかしくなりますよ。って、え、ユウキさん、クトラ=カトラやったことあるんですか? 四十二時間も? ……相手はひょっとしてシン司令?」


「とっとと行くぞ、AI」


 人像柱に支えられた扉からメインホールへ。


「ユウキさん、これって……」


「ああ」


 むせるような血のにおい。

 切断された四肢や内臓ははるか頭上のシャンデリアまで飛び散り、引っかかっている。

 元の形状も残らぬ骸をばらまいた舞台の上で、片膝を抱えて座る青年は蓄音機から流れる音楽に聴き入って碧い瞳をうるませている。


「音は美しく重なり心を満たしていく」


 音楽と同じ、滑らかできき心地のよい声が静かに通る。


「世界はなんて素晴らしいんだ。レコードがまわっているあいだだけだけどね」


 テラリア特務兵用の戦闘スーツ。そして生体を少しでも残酷に切り裂くための設計がされた禍々しい死神の鎌。


「どこの隊だ?」


 青年は首をふった。長く編んだ髪が頭の動きに少し遅れて揺れる。


「そうそう。自己紹介がまだだった」


 立ち上がり、芝居がかったお辞儀をする。


「お初にお目にかかる。わたしはパトリシオ・パトリオパッツィ。昔は粛清中隊にいたんだけどね。いまは廃棄されて、この通りさ」


 そのとき、足元にいた腕を両腕を斬り落とされたテラリア兵が呻いた。


「た、すけ、て……」


 顔に浮かべた微笑みをそのままに黒い大鎌が閃き、両足の膝から先が斬り飛ぶ。


「ぎゃあああああ!」


 ヘルメットのバイザーに隠れているせいで断末魔のゆがみは見えない。

 だが、青年の目的は声なのだ。


「音楽は陶酔を、悲鳴は覚醒をもたらす」


 ククク、と笑い、今度は肩に刃を軽く刺す。


「ウアアアアアァ……」


 ユウキは一気に距離を詰め、舞台へと飛び上がり、拷問者の頸を狙う。

 だが、ブレードが大鎌の柄で受け止められ、ユウキはすぐ手のうちで刃を回転させ逆手持ちで切り上げながらオーケストラ・ピットへ跳ぶ。


「なぜ、こんな虫けらに同情する?」


「別に」


「気に入らないのかい? きみはディネガたちをもっと残酷に屠ってきただろう? わたしと同じさ。きみたちがテラリアの任務とは関係なくここにいる理由、つまり、きみたちは廃棄されたわけだ。こいつらにしても、もし、わたしが切り刻んでいなければ、きみたちに襲いかかる。もちろん殺す目的でね」


「……」


 歪な刃を宙に投げ、人差し指だけでそれを受け、くるくるまわすと、突然、刃がテラリア兵の頭に突き刺さった。バイザーが吐き出された血液でどす黒く汚れる。


「趣味は違えど、わたしたちは手を組める」


 夜色に鮮血が滑る刃をゆっくりねじると、死者から腐りかけのロープがじわじわ切れていくような音がした。


「だって、どちらも追放されたのだから。あの独善的で虫の好かないテラリアから」


 殺戮に酔ったパトリオパッツィが手を差し出す。


 だが、ユウキはその手を握ろうとせず、兵装の迎撃モードを解かない。


「おれが、お手々つないで仲良くしよう、なんて言ってくるようなやつに見えるか?」


 パトリオパッツィがため息をついた。


 突然、刃が頭上から降るのを風で感じ、左にかわす。だが、かわした先にも刃があって、きわどいところで身を入れ替え、どこまでが間合いのなかなのか分からないまま、バックステップで透明の斬撃を斬り防ぎ、距離を開ける。


 パトリオパッツィはまったく動かず、武器を持つ手をただ垂らしていた。


「見えたか、AI」


「いえ。これは――」


 興が冷めた、と言って、元粛清中隊の虐殺者は肩をすくめる。


「今日はこのくらいにしておこう。さようなら。それと――」


 赤い刃の形をした高密度エネルギー体が降り注ぎ、それをかわして、迎撃モードの構えフォームに戻るころにはパトリオパッツィも蓄音機も消えてなくなったいた。


 そして、残響。


「――提督によろしく。お会いできる日を楽しみにしているよ」


     ――†――†――†――


「その若者だが、大きな丸い眼鏡をかけ、毎日ネクタイを結ぶのに苦労しそうな頬髯を生やしていて、参謀大尉の階級章をつけていなかったかね? ならば、その御仁はアシュバートンくんだ」


「その特徴のひとつも当たらない」


「じゃあ、あの湖のコロシアムでわたしたちのことを見ていた、仕立て屋に払いをケチったみたいな黒い衣装に、銀の髪を長く編んでいた若者か」


 は?と思わず言ってしまう。


「あのとき、やつはいたのか?」


「わたしも気づきませんでした」


「なに、自慢するわけではないが、ちょっと双眼鏡でね。砲弾が一万メートル先の敵艦に命中したかどうか確かめるよりはずっと簡単だった。ただ、性別は分からなかった。背は高かったが、顔立ちは美女でもありうる特徴をいくらか有していた。髪を長く編んでいたのが判断をさらに難しくしていた。これはなかなか微妙な問題だ。女性だと思っていた人物が男だったら決闘を申し込まれる。逆に男だと思っていた人物が女性だったら、これは大変失礼だし、決闘とは比べものにならない生命の危機が伴う。甥のアーサーはこの過ちのために、その女性に腕を折られそうになった。しかし、そうか。向こうも気づいていたか。他に特徴は?」


「いま、あんたがきいていたような音楽をきいていた。声を楽器にしたような、そんな感じで、その古ぼけた機械も同じだ」


 いま流れているのはドニゼッティのランメルモールのルチアの六重唄『いま、このとき、誰が我を止められよう』だった。


「二千年前のこの世界にもオペラがあったわけだ。 別にわたしは特別オペラが好きというワケではないが、エンリコ・カルーソが来英したときにもらったサイン入りブロマイドがある。ほら、これだ。それに従兄弟のローレンスは父親から盗んだアデリーナ・パッティのサイン入りブロマイドを後生大事にもっていて、やつの父親は命の次に大事なパッティのブロマイドを盗んだのが実の息子であることを知らぬまま1887年に死んだ。だが、考えてみると一番大事なものが自分の命で二番目がブロマイド、三番目が息子のローレンスだったわけだから、盗んだこともこれはこれで良かったのかもしれん。それと、〈ヨークシャーの無鉄砲野郎〉のあだ名で知られていた大叔父のカールはジュセッペ・ヴェルディのヒゲを三本持っていたが、というのも、それは1871年にカイロで『アイーダ』が初演された際、自分の人差し指と中指で本人の顎から引っこ抜いたものだと言っていた。まあ、わたしは嘘だと思っている。身内の恥を晒すことになるが、しかし、どんな優れた一族でも、厄介者のほら吹きはいるものだ。まあ、わたしはあまりオペラが好きというわけではないが、このように一族には好きなものがいる。まあ、わたしはさほどオペラに関心はないが、ジェニー・リンドが弾いたピアノのレとラとシの鍵盤キーが三つほどあったのだが、これはいま持ってないから見せることはできない。まあ、わたしはあまりオペラが好きというわけではないのだがね」

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