お酒はほどほどに
全ての幟はその象形文字を電球で縁取らせたので、夜ともなると、幟のある街は繁華街らしく黄色い光でにぎわった。
こうなると、ふたりの子連れの半透明浮遊ディネガの一家、丸っこいひとつ目のディネガのカップルと、ひとりで来る街ではなくなる。
みんなでおいしいものを食べて笑うための街になるのだ。
街の販売拠点には委託販売契約を交わした六輪小型車ディネガが列を作っていて、偽植物素材でつくった蒸し器にふかふかした具入りパンを入れてもらうのを待っていた。
一度、自らの健脚に驕った四足ディネガが代金を払わずに逃げたところ、車載のショック銃で背中を撃たれ、釣り上げられたばかりの魚みたいに震えている様を公衆の面前に披露した。以来、食い逃げはゼロである。
キヅキとリアムは、ユウキたちを黄色と赤の幟を伸ばしたレストランでの打ち上げに誘った。
「自警団の仕事が終わったら、一杯やる。これは決まりみたいなものだ」
「そういう決まりは大歓迎ですよ、レディ」
「その呼び方はなんとなくくすぐったいな」
にぎわう店内では剥き出しの照明器具の下、たれ漬け卵やウミウシが入ったプラスチック壺が並び、いくつもの料理を一度にたくさん持てるタコ足ディネガがウェイトレスの花形として活躍していた。
タコ足にふたつの目が飛び出た古風な宇宙人風ディネガが注文を取りに来たので、リアムが「いつもの」と言うと、まもなく揚げた魚にこってりとしたソースをかけたものや黄色い脂の玉と野菜が浮かぶスープ鉢、培養肉の薄切りと超小型コンロが運ばれてきた。
リアムが、スイゥプゥはユウキのパンチカードに対する嗅覚をべた褒めしていて、また機会があったら、ぜひ調査に同行してほしいと言っていたことを伝えた。
「ユウキさん、ツンとした態度を取る前に言っておきますね。アホ毛踊ってますよ」
「うるさいぞ、AI」
オホン、と提督。
「わたしについても、依頼人は何か言っていたのではないかね?」
「提督については手紙を預かってるよ。はい」
早速封を切って読んでみると、提督の頑張りは認めるが、結構怖かったので、次回は遠慮いたしますということが、提督の自尊心を傷つけないよう、細心の注意を払って書いてあった。
「なんて、書いてある?」と、ユウキが、まるで内容を知っているみたいな嘲笑とともにたずねる。
「近いうち、ドレッドノート級戦艦が世界の歴史に及ぼした影響について講義してもらいたいそうだ。快諾の返事を書くつもりだよ」
――†――†――†――
今回はユウキがつぶれた。
ユウキたちにはアルコールの作用を除外するコードが本来入っているが、そのコードは常にある処置をしないと無効化されてしまうものだった。
リアムとキヅキが一応忠告はしたが、ユウキは特に気にせず、運ばれてきた一杯の青いリキュールを飲んだ(グラスの底のファイバー製ホログラム装置によりリキュールのなかにギウィそっくりの魚が泳いでいた)。
「シン兄ちゃんがいい!」
その結果である。
「シン兄ちゃんじゃなきゃ、いや!」
先ほどからシン兄ちゃんに甘えていて、おんぶしてくれと駄々をこねていた。
このとき、シンと間違えられたのは、
「仕方ありません、旦那さま。ユウキさまの装備をお外しいたしますので――」
「別にわたしは構わないが、あとで知ったらカレイジャスが死を選ばないか心配だな」
――まさかの提督である。
「このことは内密にいたしましょう。……ということですので、ヴィクトリアさま。撮影はおやめください」
「えー。面白いのに。ぶー」
幟の街から不細工なブリキ像が左右を守る横町へと帰り道をとる。
狭い鉄板の道にビニールの幌をかぶったコンピューター屋台が並んでいた。
売り物の液晶ディスプレイに数枚のコインが高速で回転する動画が流れ続け、その下ではプラスチックの薄い籠に入ったチップやディスク、大型カートリッジ、集積回路の合金が可能性に輝いている。
他に組み立て業者やホログラムの改造屋、プラスチック・ハンターと呼ばれる素材屋などが屋台を出していて、その賃料は奇妙な話だが、仮想世界に住む大物に現物で払われていた。
ユウキには幸いなことにここにいるディネガたちは仮想現実の世界しか見ていなかったので、提督がユウキをおんぶして帰ったなどという些末なことは目に入らず、記憶にも残らない。
ただ、万が一記録に残った場合は数万年単位で残ってしまう。
むしろ注目されるのはヴィクトリアとフレデリクで、バラして売ったらどのくらいになるかとか、一目惚れしました改造させてくださいという申し出とかが三歩歩くごとに一回はある。
肉体を捨ててデータとして生きることを推奨するカルト教団が胴体や手のひらの目にまで仮装世界を見るためのゴーグルをつけて、現実世界を完全に無視した危なっかしい行進をしていた。提督たちは触手の先に取り付けられたゴーグルを避けながら、何とか前に進んだ。ゴーグルはどれもフランシス・ドレイクの時代の砲弾みたいに黒くて丸く、そして重そうだった。牛の角を持つディネガには腹を突き破られそうになったし、一本足のディネガも膝にある唯一の目にゴーグルをつけて意識を仮想世界に飛ばしていたので、危うく飛び膝蹴りを食らうとこだった。
「フレデリク。ここはいったい何を売り買いする通りなのだ? こんぴゅーたー? とは何なのだ?」
「非常によくできた計算機でございます。旦那さま。その計算があまりにも凄すぎて、意志を持ち、自分たちの世界をつくってしまったのです」
「わたしの所得税を計算したあの悪魔の機械がこうも発達するとはなあ」
「わたくしもその計算機の進化の派生でございます」
「ふむ。ひょっとすると、計算機たちは自分たちの海軍をつくり、自分たちの艦隊をも作っているのかもしれないな」
「左様でございます。旦那さま」
「ところで、先ほどからリトル・レディの姿が見えないが」
そのとき、ヴィクトリアの「ひえーっ」という声がきこえた。
先ほどのカルト教団の人混みからだ。
「……どうも、先ほどの団体は営利誘拐に手を出したようだな」
「旦那さま。これは危険でございます。あのように肉体よりもデータを優先し、仮想世界に最上を見出すものにとって、ヴィクトリアさまは非常に興味深い存在です」
「ふむ。では、姫を救うナイトと行こうではないか、フレデリク」
「はい、旦那さま。盾持ちとしてお供させていただきます」
「そういうことだ。カレイジャス。わたしの背から降りて、自分の足で立ちなさい」
だが、ユウキはそれをきかず、提督の右肩に顔をぎゅっと押しつけた。
「やだ」
「これこれ、わがままを言うでない」
「じゃあ――」
と、今度は額を提督の制帽にぶつけた。
「シン兄ちゃんの帽子、ちょうだい」
「仕方ない。この帽子に魅せられて海軍を目指す少年が多いことを考えると、まったくもって仕方がない」
提督はいやいやというふうを装って、自分の帽子をユウキにかぶせた。
「ほう。なかなか似合っているぞ。写真に撮ってディネガランドじゅうにばら撒きたいほど」
「旦那さま」
「分かっている、分かっている」
ユウキは顎を引き、両手を後ろにまわして握って、つま先で鉄板の継ぎ目をいじりながら、モジモジして言った。
「へへ。シン兄ちゃん、大好き」
「酒が人をここまで変えるとはな。得難い教訓だ。さて、こうしているあいだにもリトル・レディに悪の魔の手が。行くぞ、フレデリク」
「はい。旦那さま」
「待って。シン兄ちゃん! おれも行くっ」