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アンソニーとヘレン

「海だ」


 ユウキが止める前に、提督は超(ドレッドノート)級戦艦『オライオン』『モナーク』『コンカラー』『サンダラー』の四隻、合計満載時積載量103,480トンを空中に生み出し、それが次々と海面に落ちて、巨大な波がユウキたちに襲いかかった。


 逃げるだけ逃げて、もうダメだと思ったところで水が止まって引いていった。


「ユウキさん。また飛べるのを忘れてますよ」


「うるさい……」


「カレイジャス。オライオン級戦艦の速度は?」


「知るか……」


「21.0ノット。2と10だよ。カレイジャス」


 任務として引き続き、指導者型〈ディネガ〉の捜索と捕獲が命じられたのだが、転移型軌道エレベーターは提督を海のそばに派遣したのだ。


「ヴィクトリア。敵性反応は?」


「消滅しました。さっきの波にのまれたみたいですね。〈ディネガ〉って泳げるんでしょうか?」


「水中戦闘に特化した〈ディネガ〉がいる。やつの警護についてると見て、間違いないだろう。レーダーで、この近海を調べてみろ」


「――。あ、本当だ。結構な数がいますね。水中に。マップによると、そこには海中都市があったようです。ただ、これは試験型で実際に人が住んでいたわけではないみたいですね」


 すると、フレデリクがたずねる。


「つまり、新たな都市の在り方を模索しているところで〈ディネガ〉たちがあらわれたと?」


「アーカイブの検索結果ではそうなっています。この沖合二キロですが。ドームが破壊されて沈没同然の状態みたいですよ」


「そのために潜水装備が支給されている。行くぞ」


 そう言いながら、ユウキは小型超圧縮エア・タンクが二本ついたマスクを装着する。


「行くとはどこに?」と、提督。


「話をきいていなかったのか? やつらが潜伏している都市に決まっているだろ」


「それは海のなかにあるのかね?」


「本当に話をきいていなかったんだな。そうだ。海のなかだ」


「あー。わたしは今回、後方支援にまわろう。どうも厄介な敵が我々の後背を狙っている気がする」


「……」


「カレイジャス。そのジト―っとした目つきはなんだね?」


「あんた、ひょっとして泳げないのか?」


「そんなわけがなかろう! わたしは海軍提督だぞ?」


「じゃあ、一緒に来い」


「いつもなら、邪険に遠ざけるのに、今日はずいぶん誘うじゃないか」


「ふん。ようやく弱点が見つかった」


「いいかね? 海軍提督にとって、泳ぎができるかどうかは問題じゃない。ドーバー海峡を泳いで渡るわけでもなし」


「船が沈んだらどうするつもりなんだ?」


「艦と運命を共にする。だから、泳げなくとも構わないのだ。まかり間違って助かったとしても、別に泳いでブリテン島まで戻る必要はない。何か浮かんでいるものにしがみついて、味方の駆逐艦が通りがかるまで〈ハート・オブ・オーク〉を唄っていればいい。フレデリクをわたしの名代として参加させよう。頼むぞ、フレデリク」


「かしこまりました。旦那さま」


 ということで、ユウキとヴィクトリア、そしてフレデリクは海に潜った。


 どこまでも透き通った海には美しい珊瑚の連なりに色鮮やかな熱帯魚。

 イワシの群れは目に見えぬ潮流の形を銀色に写し取り、ユウキの吐き出す泡は水面にぶつかる前にイルカたちにさんざんおもちゃにされて、細切れになっていた。

 

〈ディネガ〉はこうしたものを一切手をつけずに残していたのだ。


 やがて、推進ユニットで飛ぶように進むうちに放棄された海底の都市が見えてきた。


 都市へと集まるハイウェイに波が分散させた光が傾いた観覧車のゴンドラひとつひとつに軽やかに息づいていた。

 ビル街の尖塔は白く輝く貝に覆われていた。これらの貝が軋む音は、こずんだ深い藍色のなかからきこえてくるクジラの鳴き声に共鳴し、ひとつの音楽をつくっていたが、その曲には提督もきっと満足したことだろう。


 自分たちはここに〈ディネガ〉と戦うために来たのだと忘れてしまうほどの美しい光景だったが、一番最初に任務を思い出したのはヴィクトリアだった。


「あれ?〈ディネガ〉の反応が遠のいています」


「やつが逃げたのか? くそッ、こんなものに見惚れている場合じゃ――」


「いえ、そうじゃないんです。離れていくのはあの指導者型〈ディネガ〉以外の個体です。つまり、目的の〈ディネガ〉は一体だけでいるんです」


「――罠、でしょうか?」


「やつはどこに?」


「今、座標を送ります」


 座標B8F5――メトロポリタン博物館は海中の草原のなかに座していた。周囲数キロ平方メートルでエメラルド色がさざなみを打つと、細い葉の先端でクリスタルのような小さなエビがキラキラ輝いた。


 博物館の正面の柱廊からなかに入ると、かつて訪問者を見上げさせていた巨大な古代飛行生物の化石がアールデコ様式の模様のタイル床に落ち、不機嫌なウツボの棲み処となっていた。

 階段が二手に分かれて吹き抜けにDNAを意識した螺旋を描いている。


 その吹き抜けの上には巨大なエア・ポケットがあり、そこに顔を出すと、ユウキはマスクを外した。


 左の半ば水没していた回廊は図書室の廊下へつながっていて、ヴィクトリアが熱源を探して、光線を右へ左へと差していく。


「どうだ?」


「罠の類はないそうです。それどころか――」


「なんだ?」


「通信チャンネルに集中してもらってもいいですか? たぶん、ユウキさんとフレデリクさんにもきこえると思います」


 きこえたのはクジラと貝の歌だ。


 それは講演ホールと名づけられたドームからきこえてきていた。

 歌は頭のなかに直接きこえるようでもあり、耳元でささやかれているようでもあり、深さ五千メートルの穴底からきこえてくるようでもあった。


 講演ホールはミサイルのような回遊魚が泳ぎ続ける巨大な円筒水槽のなかにあった。


 埃ひとつない、完全なマホガニーの座席が並び、その講演台には総督がイエズス会士と名づけた指導者型〈ディネガ〉が肥大化した左腕を横に倒し、右腕をテーブルに乗せ、少し体を揺らしながら、クジラと貝の歌――いや、いまや〈ディネガ〉の歌を口ずさんでいた。


「唄うディネガを初めて見たようですネ」


 イエズス会士が低く穏やかな声で言ったが、歌は途切れなかった。くちばしのなかに口がふたつか三つあるのだ。


「どうか武器をおさめてくださイ。わたしは抵抗するつもりはありませン。わたしはあなたたちに真実を告げたいのでス」


「真実だと?」


「ええ、そうでス。ところで、提督がいらっしゃらないようですガ?」


「陸で待っている」


「そうですカ。見たところ、以前、彼にお伝えしたことをまだ知らされていないようですネ」


「なんのことだ?」


「ディネガの起源でス。ディネガは二千年前、普通の人間だったのでス。ですが、宇宙より照射された謎のエネルギーがこの星を覆いつくし、ほとんどの人間がそのエネルギーに耐え切れず、ディネガとなったのでス。そして、残った人類が科学力の粋をもって、天空都市テラリアをつくっタ」


「そんな……」


「……」


 動揺するヴィクトリアの横で、関係ない、とユウキがブレードを抜き、エネルギーを迸らせる。


「おれたちの任務はお前の確保だ。大人しくついてくるなら、危害は加えない」


「いま言った真実はテラリアの人間が知っている真実でス。それもあなたのお兄さんのような高官が知る真実でス。歪められた真実でス」


 歌が止まった。

 まるで醜い真相からその調べを保護するように。


「本当はディネガ・エネルギーは意図的に全人類に照射されたのでス。ディネガ・エネルギーが宇宙から照射されたのは事実でス。しかし、二千年前の人類は〈林檎〉によって、それを捕捉することに成功したのでス。そして、二千年前の人類はディネガ・エネルギーが人間をディネガに変えることを知りながら、それを全ての人間に照射したのでス。理由は簡単でス。ディネガ・エネルギーを浴びることで一部の人間は飛躍的な進歩を遂げることができるからでス。怪物になるか新人類になるカ。一部のおごった人間たちはそんな残酷な振り分けを行ったのでス」


「なぜ、……なぜ、お前がそんなことを知っている?」


「わたしもそのおごった人間のひとりだったからですヨ。わたしは自分のしでかした過ちに気づきましタ。わたしはテラリアへ行くことを拒み、自らをディネガとして、ディネガそのもののことを調べましタ。そして、わたしは知ったのでス。ディネガ・エネルギーそのものの本当の目的ヲ。それは――」


 真相を語ろうとした口からオイルが吐き出され、イエズス会士が講演台から転がり落ちた。肥大化した腕は胴体から離れてテーブルと椅子をいくつか巻き添えにして、床にヒビが入るほどの質量を叩きつけたところで、テラリアから派遣されたと思われる兵士たちが次々と光学迷彩を解き、講演ホールにあらわれた。


 黒い戦闘スーツとバイザー、それに小型パルスライフルと高水準の迷彩システム。


「〈掃除屋〉だと? なぜ、こいつを撃った!」ユウキが叫ぶ。「我々はこいつの確保を――」


「ロット・ナンバーCJ8。および、その協力リソース。元老院は貴様らの抹殺を決定した」


「なんだと……」


「これより貴様らを排除す――」


 最後まで言うことはなかった。

 フレデリクのレイピアが防弾バイザーを貫いて、頭部をふたつに斬り割ったからだ。


 すぐヴィクトリアと結びついたシステムが斜め後ろ二十度の位置からレーザーブレードを構えた隊員の接近を知らせた。だが、反応が遅れたユウキの体をブレードが貫く。


 だが、隊員のバイザーが吐血で黒く汚れ、その場で崩れた。


「悪いが迷彩で貴様らに劣るつもりはない」


 はるかに高度な迷彩サブ・デコイが消えてなくなり、二本のレーザーナイフを逆手にした本体は次の敵へ飛びかかる。


 ディネガたちのオイルとは比べものにならない鮮やかな血が飛び散った。

 あるものは切り離された腕から、あるものは切り裂かれた頸から。


 倒れたものはみな絶命し、まだ息のあるものはフレデリクが頸骨を踏み折る。


 ユウキはヴィクトリアとの連携であらゆる方向から襲いかかる暗殺者たちを刺しえぐるか、ハンドガンのゼロ距離射撃をバイザーで守られた頭部と胸部に二発ずつぶち込むかした。


「後方に四体!」


 ブレードとハンドガンで三体の心臓を次々と焼き切ったが、はるかに戦闘能力に優れる四体目――指揮官の攻撃がかわし切れない。


 グシャ!


 指揮官がイエズス会士の切り離された手のなかで紙細工みたいにつぶれる。

 腕は痙攣し、いくつかの機械部品を跳ね飛ばすと、獲物を握りつぶしたまま、動かなくなった。


「これで終わりか?」


「いえ、まだです!」


 両腕にガトリング砲を備えたアサルト・ウォーカーがあらわれると、乱射で水槽が割れた。

 奔流する水面から顔を出したユウキをウォーカーの二丁のガトリングがしつこく追尾して撃ちまくる。


 だが、コックピット内のパイロットが見たのはミートパイの中身みたいになるユウキではなく、自分の斜め上からドームを突き破って落ちてくるC級潜水艦(排水量320トン)だった。


     ――†――†――†――


「空ヲ、見せてくださイ」


 提督はフレデリクと一緒にイエズス会士を抱えて持ち、潜水艦の甲板に横たえた。


 美しく燃える杏の空が黒真珠のようなその目を満たす。


「美しイ。本当に美しイ」


 意識が混濁し始めていた。


「ディネガを救ってくださイ。ディネガは滅びなければいけないのでス。時間がないのでス。やつらが来ル。時間がなイ。彼らを助けてくださイ。滅ぼすしかなイ。みんなを滅ぼさないでくださイ。座標9400445。そこにみんなガ。助けてくださイ。時間がないのでス」


 ユウキがたずねる。


「お前は何を言おうとした。ディネガ・エネルギーの真の目的とはなんだ? おい!」


 胸倉をつかんで起こそうとしたユウキを提督が止めた。


「このまま、逝かせてやれ」


「だが、こいつは――」


 そのとき、優しい調べが流れだした。


 二千年前、彼をアンソニーと呼んでくれた女性がよく口ずさんでいた曲。

 二千年前、彼がディネガに変えてしまった女性。

 心から愛した女性。

 

「ヘレン」

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