脅迫のネタ
ヴィクトリアは新しくできたイングリッシュ・ガーデンを早速気にいった。
左右の石垣からムラサキナズナの花が流れ落ちる小道から七色の花のクッションで間隙を埋めたロック・ガーデンを飛び越えて、まったりとリンゴの木を回り込むと、
「あらあら」
園亭のブロンズのテーブルにユウキが突っ伏して静かに寝息を立てているのを見つけた。
「すー、すー」
いつか脅迫に使えるかもしれないと、これを撮影してみる。
「後は何か面白い寝言を言ってくれると、脅迫効果が指数関数的に上がるんですけどね」
「何をなさっているんですか?」
「わっ。びっくりした。フレデリクさんじゃないですか」
やってきたフレデリクは麦わら帽子にデニム地のオーバーオール、手には鍬とバケツを手にしている。
「お庭のお手入れに来たのですが、――おや、ユウキさま。お休みですか? ヴィクトリアさまはなぜユウキさまを撮影しているんですか?」
「いつかユウキさんに恐喝を食らわせたくなる日が来るだろうと思って」
「紳士お傍付き紳士のヒューマノイドとしてはあまり感心できませんね」
「そう言いながら、フレデリクさんも撮影してるじゃないですか。目から作動音鳴ってますよ」
「この映像は旦那さまがお喜びになるだろうと思いまして」
「提督に見られたら、恐喝の材料にならないじゃないですか」
「恐喝はあきらめていただきます」
「残念です」
「そのかわりと言っては何でございますが」
フレデリクはブロンズのテーブルにデータ投影装置を置いて、起動させた。
ひと口ケーキがのった三段ケーキスタンドと熱い紅茶のアフタヌーン・ティー・セットが映し出される。
「お、おいしそう。じゅるり」
「よろしければ、こちらのデータをお召し上がりください」
「じゃあ、お言葉に甘えて。ヴィクトリア。ホログラム・モード発動っ。とうっ!」
うっすら碧く透き通る少女の幻影があらわれた。
「おや、意外ですね」
「何がですか?」
「思ったよりも背が高い」
「フレデリクさん、わたしのこと、プランクトンか何かだと思っていたんですか?」
「そうではありませんが……」
ボブヘアに教育センター風のコスチューム、大きく青い二重の瞳は小作りな顔の印象を司り、子どもっぽい表情をすると、その姿を常に縁取る淡い碧の光と相まって消えてしまうのではないかとハラハラする。
「ヴィクトリアさま。自身のホログラムはコードが固定されているのですか?」
「されてますよ。だから、わたしの姿はこれだけです。(ちっちっち、と指をふりながら)フレデリクさん。今は質問するときではありません。食べるときです。では、いただきまーす」
プチ・ザッハトルテをフォークで刺して、口に含み、落ちそうになる頬を両手のひらで押さえ、至福の笑顔に目を細める。
ただデータを取り込むだけだから、こうして人の姿を見せる必要はないし、ケーキを映す必要はない。
「情緒の問題です」
「旦那さまのようなことを言いますね」
「人間ではないわたしたちが趣とか風情を大切にしていて、人間のユウキさんが情緒ゼロって、何かもう、どうなってんだよって話ですよ」
と、思っていたら、ユウキが、
「……落ちたら痛そう……」
と、つぶやいた。
「……フレデリクさん」
「……はい」
「……録音しました?」
「…………はい」
「あとで送ってください。心がくじけそうになったときにきいて、大笑いするために」
「からかってはいけませんよ」
「わかってますって……あ、来ました。受信19%完了、20%完了、20.5%。20.53%、100%完了。なんかフレデリクさんの送信、ムラがありますね」
「わたしもそう思います」
「……落ちたら絶対に痛い」
また寝言。
「いったいどんな夢を見ているのやらですね。テラリアの端っこに立ってる夢ですかね?」
「落ちたら痛いくらいでは済まないでしょうね。でも、背中の多目的ユニットに飛行モードはあるのでしょう?」
「それが、ユウキさん、ここぞというとき、自分が飛べること忘れるんですよね。それにしても――」
頭上を仰ぐ。
本来、そこにあるのは蜂の巣構造の上階の床があるはずだが、あるのは青い空だった。
ドームもなく、〈ディネガ〉に襲われる危険もなく見上げられる青空。
「提督って本当に何でもできるんでしょうか?」
「こんな素晴らしい庭園をご用意できるほどですから、そう思うのも無理はありませんね」
「……提督はどうして、この世界に来たんでしょうね」
「……」
「きいていると、提督はまったく違う別の世界線からきたみたいです。それって、この世界で提督がすべきことがあって、呼ばれたんじゃないかな?って思うんです」
「……わたしは、旦那さまの目的や使命が何であれ、従うのみです。この身は旦那さまに救われたのですから、また破壊されるまで、尽くせるだけ尽くしたいです」
また。
フレデリクにも過去がある。
それを今すぐきこうとするほど、自分は野暮ではないのです、なぜなら、わたしは機微に敏感なAIだから。
それに――
「こんなおいしいデータがあるのにあれこれ考えるのは野暮ですよねぇ」
淡く光るフォークでホワイトチョコの丸いケーキを口に運んで、とろけるおいしさに、んー、と頬をおさえた。