ポムポムポム!
紫の空の下、世界は赤くこずんだ夕暮れの名残をかぶり始め、廃ホテルのラウンジをうろつく一体の〈ディネガ〉がギザギザした地平線に目を向けた。
建物の破壊の様々な段階が地上を覆い、夕暮れや残照の底は廃墟によってギザギザに食いちぎられている。
〈ディネガ〉に数瞬の夕焼けに動かされる心があるのかは分からなかったが、〈ディネガ〉はしばらく空を見ていた。
彼とも彼女とも分からない、この創造物は分厚い鱗に覆われた顔と殻の胴体のあいだに無防備で脆弱な首があった。進化の過程に意思があれば、間違いなく弱点と見なされ、絶滅を余儀なくされる。
大いなる進化の采配に変わって、冷たい刃が背後からその喉を滑り、絶滅に手を貸した。
切り裂かれた頸から赤みがかったオイルが噴き出したが、レイピアの刃を汚すよりも先にフレデリクは骸から離れ、暗号化された通信でユウキに伝える。
〈ラウンジ、敵、排除完了〉
すると、先ほどまで〈ディネガ〉の視界におさまっていたメインホール・エントランスにユウキがあらわれて、サイレンサー・モードのハンドガンでガンナー型三体の頭部に炸裂パルスを放つ。
ポンッ!
三つの弾頭に分かれた同時追尾弾はそれぞれカーブして同時に三体の頭部を音もなく弾けさせる。
ユウキから入電。
〈エントランス、排除完了。ヴィクトリア、敵性反応は?〉
〈この階はなし。二階には八体〉
〈ただ、集まっているというよりは警備しているような配置だ。やつはここにいる〉
〈破壊された〈ディネガ〉の記憶ジャックは精度が低いからうまくいくかどうかは微妙でしたけど、ここはあたりでしたね〉
〈敵二体、確認しました。処理しますので、バックアップをお願いいたします〉
〈了解した〉
この相互連携を円滑に行うための通信ツールは声を一切出さない。
つまり、提督には全く何もきこえていない。
「見敵必戦させてくれないことの退屈さがここまでとは」
崩れたホテルの外で、六十二歳、髭も髪も真っ白になったサー・アンドリュー・ホクスティム三世は子どもっぽく不貞腐れていた。
ターゲットを生け捕りにすることも予定しての隠密行動に四十センチ砲をバカスカぶち込む提督の戦い方は不向きである。
そこで、彼は戦略予備軍ということで後方に配置されていたが、
「つまり予備役編入か。……まあ、よろしい。わたしも大人になろうではないか。わたしに見敵必戦をさせなかったことを後悔するがよい、などと度量の狭いことは言わずに、若者たちの活躍を見守ろうではないか。決してわたしは、わたしを選ばなかったことで苦い涙を流せばいいなどとは思わないぞ。ああ、そうだとも。大人になろうではないか」
シガレットケースに煙草をトントンと軽く打って、マッチを擦る。
――アシュバートンくん。総員退避だ。ヴァルハラで会おう。
トントン。
「あれが最後の一服になると思っていたが――」
提督は暗闇のなかを手探りするように流れていく紫煙を見上げて、こぼした。
ドオォン!
爆音。グラグラと地面が揺れて、小さな瓦礫がころころと落ちる音がする。
「――わからないものだな。さて、戦闘も始まったことだ。わたしも参戦しよう」
ホテルの二階の、五百人くらいの会食ができたであろうホールに着くと、ランツクネヒト型〈ディネガ〉が暴れていた。
身長五メートルのディネガは長い鋼鉄材を両手持ちの剣のように握って振り回し、協商勢力を叩き潰そうとしている。
「フレデリク。両足をどこにやったのだね?」
「ちぎれて失いました。旦那さま」
「ふむ。だが、両手はまだ無事だな?」
「はい、旦那さま」
「では、ポムポムの操作を手伝ってくれたまえ」
「よろこんで」
ユウキとヴィクトリアはランツクネヒトがまとう瓦礫の鎧を貫くのに手こずっている。その装甲はただの瓦礫ではなく、生体と融合していた。
ランツクネヒト型はその巨体にもかかわらず、動きが素早い。
また、打撃を補う形で強酸らしいものを吐き出す。
酸は床を抜き、ユウキの行動可能範囲を減らしていく。
「ユウキさん! はやく飛行モードに!」
「ダメだ」
剣を使うなら空を飛ぶ敵よりも眼下の敵を狙うほうが難しい。
敵もそれが分かっている。
足場に困って、飛行モードに切り替えれば、たちまち横に払ってくる鋼鉄材の餌食だ。
(だが、このままでは――ぐっ!?)
気づけば、ユウキはコンクリートが剝き出しの床に倒れていた。
立ち上がろうとするが、視界にノイズが入って、体が痺れる。
「ユウキさん!」
ランツクネヒトが鋼鉄材を高々と振り上げる。
ポムッ!
緊張感が緩むまろやかな音が鳴り、ランツクネヒトの左肘が吹き飛ぶ、
ポムポムポムポムポムポムッ!
QF1ポンド砲が発射した37ミリ弾の嵐がランツクネヒトの体を鎧ごとちぎり取る。
ポムポムポムポムポムポムッ!
顔、胸、腿。最後の一連射が終わると、ランツクネヒトのボコボコと穴だらけになった体は真下へ崩れて重なり、鋼鉄材の剣が墓標がわりに突き立った。
「見よ、フレデリク。協商勢力の勝利だ」
提督は、どうだやっぱりわたしが必要だったろう?と誇らしげな顔をしていた。