さよならを告げる悪しき魔女 05
(死ぬんだ。フォルに会えないまま、こんなところで、殺されるんだ)
目の前に燃え盛る火炎球が近づいてくる
恐怖に身がすくんだルーナの視界の端。
脇にあった階段を何かが飛び上がってきた。
「ルゥ!」
一番聞きたいと望んだ声が鼓膜を震わす。
驚く暇もなく階段を駆け上がってきたフォルモントは、ルーナの腕をひっぱって室内へと転がった。
さっきまでルーナが立っていた場所にぶつかった火炎球が爆発を起こす。
すんでのところで火炎球をかわすことができたルーナは、フォルモントの腕の中で生き残った喜びとフォルモントに会えた安堵に脱力する。
フォルモントに抱きしめられているルーナを見て、ソレイユは激昂した。
「どうして、フォルモント様がここにいるのよ……! 私はルーナへの復讐を完遂させようとしただけなのに!!」
「ルゥが何したってんだ。ルゥはただがんばってただけだろ。自分ができる仕事を一生懸命がんばってただけだ。あんたに邪魔される謂れはないはずだ」
フォルモントはソレイユが何に怒り、なぜルーナに攻撃しているのかを知らない。
そんな彼が、ルーナの努力を純粋に認めていたことがソレイユにとってはショックだったのだろう。
ふらっと後退したソレイユは頭を抱えた。
「ルーナは、私からすべてを奪ったじゃない。私は、ただ一番になりたかっただけなのに……!」
悔しげに表情を歪めたソレイユは小部屋の外へと歩み出る。
火炎球の延焼で炎がゆらめくそこに、ソレイユは恐れることなく踏み入った。
「階段は危ない! まだ燃えてるぞ!」
「黙りなさい! あなたたち二人はここで焼け死ぬのよ! 私は、助けに来たけれど救えなかったということにさせてもらうわ」
炎にまかれながら、ソレイユが室内に杖の先端を向ける。
また生み出された火炎球に、事態を察したフォルモントが舌を打った時にはもう遅かった。
射出された火炎球は室内の壁に激突して派手な爆発音をあげる。
ソレイユは高笑いしながら階段を転がり落ちていった。
「ちっ、しょうがねぇな」
「フォル、なんでここに……」
「外でステラが騒いでたろ? あれ頼んだのはオレだ。警備が手薄になったところで、ルゥを連れて国外逃亡するつもりだった」
「へ?」
「ま、こっから逃げだせりゃ、そんな必要もなくなるかもしれないけどな。オレが証言すりゃ、ソレイユの方が悪いってのも明らかになるはずだ」
部屋は炎に包まれている。
焼けるような熱さの中、へらりと笑うフォルモントは本気で罪人であるルーナを連れて国外逃亡するつもりだったらしい。
唖然としながらルーナは炎の中立ち上がった。
「……罪人連れて逃亡なんて、英雄騎士がなに考えてんのよ」
「英雄なんて肩書きも、騎士っていう仕事も、ルゥがいなけりゃ別にいらないよ。オレにとっての一番はルゥ。それ以外はなくても、どうとでもなる」
ふっと微笑んだフォルモントは「さて」と立ち上がる。
部屋の唯一の出入り口であるドアは炎にまかれて、すでに使い物にはならなかった。
「そんな大事な大事なルゥとオレは絶体絶命大ピンチってわけだ。どうする? このままじゃ、一足先に仲良く火刑だ」
「水の魔石も持ってないわ。脱出経路とかないの?」
「あるとしたら、あそこだな」
フォルモントが指さした先。
そこには格子がついた小窓があるのみだ。
ここは騎士団本部がある塔の最上階。
下で抗議をしていたステラが手のひらサイズに見えるほどの距離だ。
飛び降りて助かる高さではない。
「……本気で言ってんの?」
「できなきゃ死ぬだけだ。大丈夫。オレはまだルゥの花嫁姿を見てない。見るまで死なないって決めてるから、死なない。オレを信じて」
フォルモントは言いながらもすでに準備を進めている。
まだ火が燃え移っていないカーテンとシーツを縛って長くし、それを腰にまきつけると、ルーナに手を伸ばす。
ルーナは覚悟を決めて、フォルモントの手に手を重ねた。
「死ぬときは、絶対に一緒よ。じゃなきゃ、許さないから」
ルーナの言葉に口角をあげて頷いたフォルモントは、携えていた剣で小窓につけられていた鉄格子を破壊した。
カーテンの端を柱にまきつけ、フォルモントがルーナを抱えたころには、部屋の中は火の海と化していた。
もう外にしか逃げ場はない。
わかっていても、小窓の外にルーナを抱えたフォルモントが身を乗り出すと、恐怖が湧く。
下から見上げる人々が悲鳴をあげたのが聞こえた。
「ルゥ。ちゃんとつかまってろよ」
「うん」
「愛してるよ」
「あ、あたしも。大好き」
炎にせかされながら、ルーナはフォルモントと短く口づけた。
下から吹き上げる風がルーナとフォルモントの体を揺らす。
「行くぞ」
フォルモントの声にルーナが身構えた次の瞬間、ふたりの体は宙を舞った。
風の音が轟轟と耳元で鳴る。
ルーナがしがみついたフォルモントは片手で剣を取り出すと、塔の壁に突き立てた。
ギギギギと剣先が塔の壁を削る音がする。
落下の勢いは若干弱まったものの、上の方でシーツが焼き切れたのが体感でわかった。
命綱を失ったふたりの体は、一気に落下する。
「う、クッソ! とまれ!」
フォルモントのうめき声が聞こえ、ルーナは迫りくる地面へと手のひらを向けた。
「ルゥ!?」
「失敗したら、あたしもあんたも死ぬわ。でも、やらなかったらどっちも死ぬ! だから、やるわよ!」
攻撃魔術は通常、魔石を込めた術式に魔力を注ぐことで使用する。
それは使用者の身の安全を守るためだ。
魔石に術式を込めないまま、自身の体に術式を込めて射出することも可能ではある。
その際に魔力量を少しでも誤れば、人体が爆散するため、やる人はいないというだけの話だ。
そんな誰もやらない馬鹿げたことをルーナはやろうとしている。
地面に向けて風魔法を射出することで、落下の衝撃を弱めようと思ったのだ。
見上げたフォルモントはルーナの言葉に一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに頷いた。
「オレも、ルゥを信じるよ。やれ! ルゥ!」
「いけええええ!」
ルーナの手首にリング状に青白く輝く術式が浮かび上がる。
くるくるとその術式は回転し、ルーナは術式に魔力を込めて射出した。
ゴウッと音を立てて、塔の下に風が吹く。
人々が悲鳴をあげたが、被害はないはずだ。
上空に吹き上げる強風はふたりの落下を緩やかなものにする。
それでも落ちてしまった衝撃は、フォルモントが下になってかばってくれた。
ゴロゴロと地面を転がり、ゆっくり止まる。
フォルモントの上に乗る形で止まったルーナは、彼の頭の両脇に手をついて起き上がった。
「フォル! 大丈夫!?」
心配するルーナをよそに、フォルモントは深く息を吐く。
見下ろしたフォルモントの額には、汗で髪が張り付いている。
舌をちろりと出して、小首を傾げたフォルモントは余裕の表情で月色の瞳を細めた。
「ルゥのえっち」
そこで初めて、自分がフォルモントにのしかかっていたことに気が付いたルーナは慌てて立ち上がる。
恥ずかしすぎて「ばか!」と声をあげたルーナの元に、人々が続々と駆け付けていた。
騎士団本部である塔の最上部が爆破されたその夜。
逃げ出そうとしていたソレイユ・ライトがアイゼンの手によって捕縛された。