さよならを告げる悪しき魔女 01
(なにかあったの?)
突然のアイゼンの訪問にルーナは緊張しながら、ドアを開いた。
アイゼンはフォルモントに用事があるのだろう。
ルーナはてっきりそう思い込んでいた。
だからドアを開けた瞬間険しい表情をこちらに向けられたルーナは、困惑で目を見開いた。
「こんな夜中に、何かあったの? フォルに用事?」
「いえ、ルーナ・ニュクス女史。あなたを連行しに参りました」
「……は?」
ルーナは好き勝手研究をしてきたが、法に触れるようなことはしていないはずだ。
思い返しても、逮捕されるようなことなど全く検討がつかない。
ぽかんとするルーナに、アイゼンは胸元から書類を取りだした。
「ある方からの報告で、魔力暴走の原因になった薬をつくったのがあなたであることが判明しました。こちらの薬をつくったのは、ニュクス女史。あなたですね?」
言いながらアイゼンが見せてきたのは、小瓶の中で揺れる虹色の液体だ。
その薬をルーナは知っている。
ルーナが独自の製法でつくった魔力増幅薬をソレイユが強化してしまったものだ。
この薬はソレイユにしか渡していないし、薬を強化したのはソレイユで間違いない。
罪に問われるのはソレイユのはずなのだが、ルーナは驚きすぎて声が出なかった。
その驚愕に染まった表情は、アイゼンからすれば自白に見えたことだろう。
アイゼンが控えていた騎士たちに目配せすると、彼らはあっという間にルーナの周囲を取り囲む。
逃げられない状況をつくられたところで、やっとルーナは声が出た。
「これは確かに人に頼まれてつくったものよ。でも、あたしがつくったものはこんなに効果が高いものじゃなかったわ」
「この魔力増幅薬を、あなたに脅されて配らされたと言っている人がいます。その方が魔力抑制薬をつくって、事態を密やかに収拾したことを報告してくれました」
この虚偽の報告しているのは、間違いなくソレイユだ。
彼女はどこまでもルーナを引きずり下ろしてやりたいらしい。
ソレイユの思惑通り、幸せからどん底へと引きずり下ろされかけているルーナは、足掻くためにアイゼンを睨み上げた。
「……あたしの方が実は脅されてたって言ったところで、信じてくれる?」
アイゼンの表情が一瞬揺らぐ。
悲しげに一瞬伏せられた瞳は次の瞬間には、真面目すぎるくらいに堅い騎士の瞳になっていた。
「告発人が脅されていたという証拠は、今のところその人の証言しかありません。
ですが、この魔力増幅薬については当たれる魔術師にはすべて当たってみました。魔力増幅薬は精製が難しく、これは完成度が高すぎるとのことです。こんな薬をつくることができるのは、金剛級魔術師のあなたしかいないのではないかと」
「そうでしょうね……」
「ニュクス女史が、この薬を脅されて作ったかどうかは定かではありません。ですが、この薬はあなたがつくったもので間違いはない。まずはお話を伺いたいのですが、同行してはいただけませんか」
アイゼンはここまで言って、小さく息を吐く。
彼は騎士の表情を崩して、悔しそうに唇を噛んだ。
「申し訳ない。フォルの婚約者であるあなたをこんな目に遭わせるしかない自分が情けない」
呻くように言う彼に、ルーナは察した。
ソレイユ・ライトは公爵令嬢であり、父は現国王の弟だ。
アイゼンも公爵家ではあるが、彼は現国王からは血筋も遠く、更に彼は次男であるために発言権は薄い。
本意ではなくとも、ソレイユからの訴えがあった以上、アイゼンはルーナを連行するしかなかったのだ。
「ルゥ?」
戸惑っている声がして、ルーナは背後を振り返る。
取り囲む騎士の隙間から見えたのは、階段から降りてきたフォルモントだった。
「なにやってんだ?」
「ノックス隊長。ルーナ・ニュクス女史がつくった薬により魔力暴走が起きたという訴えがありました。彼女は連行させて頂きます」
「は? そんなわけないだろ。ステラの魔力暴走を命懸けで止めたのはルゥなんだぞ?」
不快そうに眉を寄せるフォルモントに淡々と説明していたアイゼンは、ちらりとルーナを見下ろす。
アイゼンは小さく唇を噛んでから、フォルモントの問いに答えた。
「訴えた方はニュクス女史がエーゲリアに受け入れられるために、あえて魔力暴走を引き起こし、自ら解決したことで英雄になったのだと訴えています。英雄騎士である隊長の心を射止めるために」
「……アイゼン。本気で言ってんのか?」
低く唸るようなフォルモントの声に、アイゼンは黙る。
しかし、体の脇で両方の拳を握りしめている彼は引き下がるわけにはいかないのだろう。
アイゼンはエーゲリア防衛隊副隊長だ。
ソレイユの訴えを無碍にできる立場にはない。
それでもフォルモントのことを大事に思っていてくれる彼は、この任務を遂行することに罪悪感を覚えている。
それを傍で見て察していたルーナは、フォルモントを静かに振り返った。
「ちょっと行ってくるわ」
「は? 冤罪なのに行く必要ないだろ! ルゥがそんな茶番をするわけが……」
「そんな馬鹿げた茶番はしてないけど、魔力暴走の原因になったこの薬をつくったのは事実よ」
アイゼンが持っていた魔力増幅薬を指さすと、フォルモントが絶句する。
嫌われてしまっただろうか。
胸がズキズキ痛んだが、ルーナはあえて微笑んだ。
脅されていたという証拠がルーナにはない。
ソレイユにもルーナに脅されていたという証拠はないのだろうが、どちらも同じように証拠がなければ立場の強いソレイユの意見が通るだろう。
恐らく、ルーナはもうフォルモントの元には戻ってこられない。
何らかの罰を受けることは確かだ。
怖いし辛い。
苦しくて仕方なかったが、ルーナは行くことを選んだ。
これはエーゲリア防衛隊隊長であるフォルモントを守るためでもあった。
身内だからと言ってフォルモントがルーナを庇えば、彼の信頼は地の底へと落ちるだろう。
ルーナのためにフォルモントが犠牲になることは避けたかった。
「ちゃんと話してくるわ。あたしは、薬はつくった。でも、魔力暴走を起こすためなんかじゃない。話せばわかってくれるでしょ」
「それは……っ」
訴えた相手をフォルモントはまだ知らない。
だが訴えた相手によって話せばわかってもらえるかが決まってくることを、フォルモントは知っている。
言いよどむ彼に、ルーナは「安心して」と続けた。
「星空の泉の管理方法と心臓の術式については、その本棚の左端にある赤い本に挟んであるわ。かなりややこしいけど、金剛級魔術師の誰かならわかるかもしれない。手当たり次第に当たってみて」
「そんな言い方……。帰ってこないみたいじゃんかよ」
フォルモントが泣きそうに歪んだ表情を浮かべる。
彼もなんとなくはわかっていたのだろう。
ルーナを訴えている相手が誰なのか。
「またね」
声が震えた。
泣いてはいけないのに、視界が滲んでしまった。
今にも飛び出しそうなフォルモントに、ルーナは静かに首を横に振る。
騎士の数名にも「隊長、こらえてください」と苦しげに声をかけられて、フォルモントは震えながらうつむいた。
「絶対。帰って来いよ」
フォルモントの呻くような声に、ルーナは笑顔で頷く。
目を細めた拍子に頬を転がってしまった涙はあわてて拭った。
「行くわ、アイゼン。ちゃんと話しするから、しっかり聞いてよね」
「……ありがとうございます」
深く頭をさげたアイゼンは、ルーナを連れて歩き出す。
家の外にまで出てきたフォルモントを、複数の騎士が押しとどめていた。
振り返ると、小さくなったフォルモントが見える。
彼が見る最期の自分の姿は凜としていたい。
ルーナは、すっと背筋をただし、できる限りしっかりとした足取りでアイゼンの後に続いた。
そして、ルーナは騎士団本部がある塔の最上階にある小さな部屋へと閉じ込められてしまったのだった。