幸福な悪しき魔女 03
豊満な胸を押し付け、ソレイユは涙目でフォルモントを見上げてくる。
困惑して顔をあげたフォルモントは自分が今どこにいるのかを悟った。
ここはソレイユの家の前だ。
抱き着いてきているソレイユは、フォルモントの腕を引いて家へと連れ込もうとしている。
「いや、婚約したんですよ、オレは。オレが愛してるのは、ルゥだけです」
「大丈夫です。すぐに私のことが好きになるはずですから」
「は?」
「体が火照っていますでしょう?」
ぐっとソレイユの体を引きはがすと、彼女は熱っぽいまなざしでフォルモントを見上げてくる。
顎をそっと指先でなぞられると、背筋をゾワリとした快感が走った。
「あんた……酒になんか入れたな?」
フォルモントは苦い表情で、ソレイユを見下ろす。
ソレイユは恍惚とした表情でフォルモントの頬を手で包み込んだ。
「そんな。なにも入れてなんかいませんよ。顔色が悪いですから、うちで寝ていった方よいのではありませんか?」
「結構だ」
ソレイユの手を振り払い、フォルモントは彼女に背を向ける。
前に出す足がぐらついたが、なんとか歩を進めた。
「よいのですか!? 私を敵に回して!」
背中にかけられたソレイユの声に、フォルモントはゆっくりと振り返る。
鬼のような形相だ。
いつもの砂糖菓子のようなかわいらしい女の子はそこには居なかった。
他者を脅し慣れているその表情をフォルモントは鼻で笑う。
「構わない。ルゥのためにもなるかとあんたに媚びへつらってやったが、よくよく考えりゃあんたなんかよりルゥの方が立派な魔術師だ。あの子なら、あんたに何かされたとしてもどうにかするだろうよ」
「パパに頼めば、あなたの地位を剥奪することだってできるのよ」
「だから、あんたを抱けって? すごい脅しだな、お嬢様。別にいいよ。騎士でいられないなら、他の職に就く。英雄の名に執着はない。ルゥがいりゃ、オレはあとはなんにもいらん」
「なんで、あの子なのよ!?」
ソレイユの怒りの形相が深まる。
激情に燃える桃色の瞳は揺らいでおり、彼女の背からは黒い炎が立ち上がっているかのような殺気だった。
しかし、そんなものにひるむようでは古代竜を倒した英雄なんて名乗れない。
フォルモントは涼しい表情で微笑んだ。
「こんなまやかしの薬じゃ、どうにもならんくらいにあの子のことが好きなんだ。仕方ないだろ?」
「まやかしの薬、ですって? この薬は私がつくった……」
怒りを通り越したのだろう。
茫然とした表情を見せるソレイユに、フォルモントはふっと息を吐く。
効果は薄いとはいえ、おそらく盛られたのは媚薬だろう。
鼓動は速まっているし、どう考えても心臓に悪い。
今までいつ死んだってかまわないと思っていたが、今死ねばルーナは泣いて悲しむだろう。
それは避けたい未来だ。
フォルモントはソレイユに向き直る。
これは彼女への最後の情けのつもりだった。
「おやすみなさい、ライト女史。今日は体調がすぐれませんので、失礼いたします。……今夜のことは酔ってて忘れたってことにしてやる。おとなしく帰れよ」
ソレイユが薬を配ってエーゲリアに貢献してくれていたのは確かだ。
その功績に免じて、エーゲリア防衛隊隊長として見逃してやることにした。
フォルモントが背を向けて、夜の森へと去っていったあと。
ソレイユは拳を強く握りしめて、低くうめいていた。
「なんでよ。なんで。なんでなんでなんでよ。許さない。絶対に、許さないわ。もう終わりよ、ルーナ・ニュクス……!」
血の涙でも流しそうな形相で、ソレイユは唸る。
そして彼女は、そのままアイゼンが詰めている騎士団本部へと向かって行った。
夜の森にたどり着いたころには痛みだした胸を押さえ、這うように自宅にたどり着いたフォルモントがソレイユの動きを知る由もなかった。