告げられる悪しき魔女 02
昨夜のルーナの働きっぷりといったら、尋常なものではなかった。
日の落ちた頃から魔力抑制薬をつくりはじめ、明け方手前に薬は完成。
早朝だろうと関係なくソレイユの家を訪ね、眠気眼で「何時だと思ってんのよ」と憤るソレイユに薬を押しつけて帰ってきた。
迅速に仕事を終わらせたのは、エーゲリアにとってそれが一番だと考えたからだ。
ソレイユが配っていた美容液が実は魔力暴走の原因だったなんて話が広まれば混乱は避けられない。
その間に、また魔力暴走を起こしてしまう者が出る可能性だって否定はしきれない。
それならば、ルーナが水面下で動いて問題を解決してしまった方が早い。
そのためには、フォルモントが夜勤で帰らない昨夜の間にすべての仕事をこなしておく必要があったのだ。
ソレイユの家から帰ってきたルーナは、部屋の隅っこに座り込むと壁に寄りかかってそのまま眠ってしまった。
ベッドにたどり着くまでの気力がなかったのだ。
部屋はひっちゃかめっちゃかしていたが、これはいつものこと。
ルーナが壁に寄りかかって眠ること数時間。
朝日が完全にのぼりきった頃に、フォルモントが帰宅した。
ドアの開いた音で目を覚ましたルーナは、部屋の隅っこでそのまま伸びをする。
室内に入ってきたフォルモントがルーナを見て小さくため息をこぼしたのが見えた。
「こら、ルゥ。ベッドで寝ないと、ちゃんと寝られないぞ。寝不足になると、また体調くずすだろ」
「大丈夫よ。隅っこ好きだから」
「昨夜も遅くまで仕事してたのか?」
「納期が厳しい薬があったから」
嘘は吐いていない。
「昨日は早く寝た」なんて嘘は、この壊滅的な状況になっている部屋が許さなかった。
「そっか」と心配そうに眉を下げた彼が、ルーナを大事にしてくれているのだということにむずむずした。
「片付けとくから、ちょっと寝たらどうだ?」
「フォルこそ夜勤だったのに何言ってんのよ。あたしが散らかしたんだから、あたしが片付けるわよ」
「じゃあ、ここはオレんちでもあるんだからオレは手伝おう。夜勤後すぐに寝ると、生活リズムが崩れるんだよ」
爽やかに笑って、フォルモントは当然のように片付けを手伝いはじめる。
フォルモントはルーナの百倍は掃除が得意だ。
彼の指示する手順通りに片付ければ、部屋はすぐにピカピカの状態に回復する。
せっせと片付けをしていたルーナは、いつの間にかフォルモントに席につくよう誘導されており、いつの間にか彼は今日もキッチンに立っていた。
なんだか毎回毎回申し訳なさすぎる。
「……あたしが、つくってもいいのよ」
キッチンに立つフォルモントのまっすぐな背中に、おずおずと声をかける。
声が自信なさげな響きになってしまったのは、ルーナにはつくる意思はあっても料理センスはなかったからだ。
つくってもいいけど、食べられるものが出せるかどうか……。
やらせてばかりで悪いなという気持ちでいるルーナに、フォルモントは振り返って微笑んだ。
「ルゥは料理あんまり得意じゃないだろ。座って待っててくれればいいよ。パンと簡単なスープだけだから、あっという間だ」
言いながら鍋を回すフォルモントに、こくんと頷いて彼の背を見つめる。
キッチンに立つフォルモントの背中を眺める時間がルーナは好きだ。
彼と一緒に暮らしていることを、最も実感できる時間だから。
フォルモントが同じ屋根の下にいる。
あの顔が良くて、優しくて、ルーナをとても大事にしてくれるフォルモントが。
ふふ、と小さく笑ってしまった声は彼に聞こえていたらしい。
器にスープを盛ったフォルモントはトレーに載せた朝食をこちらへ運びながら、「なんだ?」とおもしろそうに目を眇めた。
「そんなにオレが料理してる背中がおもしろかったか?」
「そんなんじゃないわよ」
「じゃあ、なに? 笑ってたよな?」
フォルモントとの日常に幸せを感じて、つい笑ってしまいました。
なんて言えるはずもない。
ルーナは「なんでもない」と視線をそらして、ついでに話題もそらすことにした。
「そういえば、帰ってきたときにポストの下にバスケット届いてなかった?」
何気ない問いかけのつもりだったが、フォルモントの眉がピクッと跳ね上がる。
「いや? なかったけど?」
なんだかフォルモントの声の調子が、いつもとは違う。
疑問に思ったルーナが不思議に思って首を傾げると、配膳を終えたフォルモントは席に着く。
ふたりは「いただきます」と手を合わせて、食事をしながら会話を続けた。
「フォルはバスケットの話になると、ちょっと微妙な反応するわよね」
「あー、まあなぁ」
「バスケットを届けてくれる誰かさんは悪い人じゃないわよ。あたしだって、最初っから100パーセントお菓子を信じて受け取ったわけじゃないわ。最初にもらったグミの実は薬液に漬けて、毒物が混入してないか確かめたくらいよ」
「そんなことしてたのか!?」
「当然でしょ。普通は誰かも知らない相手から受け取ったお菓子を、簡単に食べるわけないわ」
「なるほど。そりゃそうだ。で、今は誰かさんのことは信頼してると」
フォルモントが何かを探るような目でこちらを見ている。
ルーナは躊躇いなく頷いた。
「ええ。街で嫌われてたあたしをはじめて人間扱いしてくれた人よ。本当に感謝してる。手紙に書いてある言葉に励まされたことも、たくさんあったわ。手紙は全部とってあるくらいよ」
「マジか」
なぜかフォルモントが頬を僅かに赤く染めて、頬をぽりぽりと照れた様子で掻いている。
フォルモントの反応がいつもとは違う気がする。
なにかおかしなことを言っているだろうかと不安で、一生懸命気持ちを語っているのだが墓穴を掘っているだろうか。
誰かさんが悪い人ではないということが上手く伝わっているかが不安で、ルーナはパンをかじりながら次の言葉を思考する。
その思考を断ち切ったのは、フォルモントの唐突な問いだった。
「ルゥはさ。誰かさんのことが好きなのか?」
「好き?」
好きというのは、どういう意味でだろうか。
ステラに恋バナをしたときは誰かさんを片思いの相手として名前を出したが、ルーナは誰かさんの性別すら知らない。
どう答えれば良いか悩みはしたが、結論から言えばルーナは誰かさんが女性だろうが男性だろうが好きだ。感謝している。
迷った末にルーナは肯定した。
「ええ。す、好き」
「そ、っか」
ルーナが照れてしまったからだろうか。
フォルモントの顔は耳まで真っ赤に染まっている。
見開かれていた夜色の瞳は返事をしたあと、すぐに伏せられる。
下唇を甘く噛んだ彼は、なにやら悩んでいる様子だった。
「……フォル?」
「ルゥは、誰かさんに会いたい?」
「できれば、会ってお礼を伝えたいわね」
「……それが、誰であっても?」
「言ってる意味がよくわからないけど、どんな人であろうとあたしは恩があるわ。会いたい」
フォルモントがルーナの瞳をじっと見つめる。
誰かさんをフォルモントは知っているのだろうか。
もしかしたら、誰かさんに会えるのかもしれない。
期待に胸をふくらませるルーナに、フォルモントは観念したように肩を落とした。
「……たぶんルゥは照れ屋だから、これを伝えたらルゥは死ぬほど悶絶すると思う」
「なんの話よ」
「それでも、もう隠しとけない。今まで黙っててごめん」
突然立ち上がったフォルモントが深く頭をさげてくる。
スープのスプーンを手に持ったまま固まったルーナに、顔をあげたフォルモントは真っ赤な顔のままに告げた。
「オレが、誰かさんなんだ」