死にたがり英雄と悪しき魔女 03
フォルモントが目覚めたのは、日も暮れかけた頃だった。
薄暗い部屋の隅で魔導書に視線を落としていたルーナは、顔をあげてベッドを見る。
室内に視線を走らせていたフォルモントは、ルーナを見つけて目を瞬かせた。
「具合は?」
「ああ、ありがとう。お陰でもうなんともない。……ルーナは、なんでそんな隅っこにいるんだ?」
窺うように訊ねられて、ルーナはビクリと肩を揺らす。
今、彼はルーナの名前を呼んだだろうか。
「隅っこは、右にも左にも後ろにも寄りかかれるからよ」
「ははあ、なるほど」
「それより、その。あたしの名前、知ってるの?」
魔導書で口元を隠して訊ねる。
推しに名を呼ばれた喜びで、つい怒っているような言い方になってしまった。
我ながら可愛くないなと内心落ち込んでいるルーナに、フォルモントは「うん?」と首を傾げて当然のように答えた。
「オレはエーゲリア防衛隊隊長だぞ? 街の人間の顔と名前は大概覚えてる」
「そんなことできるの?」
「特技だ。特に、ルーナみたいな子は覚えるに決まってる」
ふっと微笑むフォルモントの言葉に納得する。
フォルモントはエーゲリアに配属されている騎士の隊長だ。
悪しき魔女と呼ばれている女の顔と名前くらい知っていて当然だろう。
特別に覚えていてくれたのかと期待してしまったが、恐らく悪い意味での特別だ。
「一応、薬もあるから飲んでって」
しょげた気持ちを顔に出さないように注意しつつ、ルーナは冷えた薬湯をもう一度温めるために立ち上がる。
カップに入れていた薬湯を鍋に戻し、もう一度火にかけていると、背中から声をかけられた。
「オレの心臓、どうだ?」
諦念を感じさせる声に振り返る。
はだけていたシャツのボタンは閉めたらしい彼は、肩に騎士服の上着をひっかけていた。
柱に寄りかかり、ルーナを見ているフォルモントの表情は憂いげだ。
「ボロボロ。どんだけ無理してんのよって呆れるレベル」
「オレはあとどのくらいで死ねる?」
まるで死にたがっているような言葉に、ルーナは眉をぴくりと反応させる。
温まった薬湯を再びカップへと移し、フォルモントにずいっと差し出しながら、ルーナは胸を張って答えた。
「あたしが死んだら死ねるわ」
「……は?」
力強いルーナの答えに、フォルモントがぽかんとする。
カップを受け取らないフォルモントに焦れて、その手に無理矢理握らせながら、ルーナは彼の月色の瞳を見上げた。
「使い方が悪すぎて、今のまま放置すれば心臓代替術式は1年も保たないわ。でも、あたしがどうやってでもメンテしてやるんだから、壊れることはない。あんたにとっては残念な話みたいだけど」
カップを受け取ったまま固まっていたフォルモントは数秒の間を置いて、自嘲するような息を吐き出す。
それから困ったように自身の髪をくしゃりと乱した。
「残念だな、そりゃ。やぁっと死ねるかと思ったのに」
「はーあ」とため息をこぼしなら、フォルモントは傍らにあった椅子に腰掛ける。
自身の膝に肘を乗せてうなだれた彼は、立ったままのルーナを見上げて苦笑した。
「心臓代替術式を使ってる奴がいて、びっくりしたろ? 知ってんのは一部のお偉いさんとアイゼンだけだ。秘密にしておいてくれ」
「秘密も何も、話す相手なんかいないわよ」
「おっと。そりゃ失礼」
「それより、心臓代替術式は倫理に反するって意見があったわ。それで量産はしなかったから、あたしが城に提出したものしかこの世には存在しないはず。それをあんたが使ってるってことよね?」
「そ。いざというときに騎士団で使えるだろってことで宝物庫に預かってたのを、いざというときにオレが使ったってわけ」
自身を指さして、フォルモントは笑う。
その笑顔には痛々しさがあった。
英雄騎士フォルモント。
彼が経験した『いざというとき』なんて、ルーナにはひとつしか考えられなかった。
「……古代竜を倒したときに、使ったの?」
古代竜は竜の中でも最も巨大で最も強い種族だ。
土地に宿る魔力を求めて人里を襲うこともある竜たちは、古代竜を先頭にして襲いかかってくる場合が多く、それを竜群と呼んでいる。
その竜群が王都を襲ったのは5年前のことだ。
王都を襲った竜群を率いる古代竜は、記録に残る中でも最大で最強だった。
王都を覆う魔力結界は現存する中で一番強固なものを使用していたにも関わらず、その古代竜はガラスでも割るかのように破壊してしまったらしい。
なだれこんできた竜の蹂躙に、王都は断末魔が響く血の海と化した。
地獄のような状況に絶望する人々を、古代竜を倒すことで救ったのが英雄騎士フォルモント・ノックスだ。
その英雄騎士である彼は、ルーナの問いに覇気の無い表情で頷く。
とても彼があの伝説の英雄騎士のようには見えなかった。
「そ。オレが仲間を犠牲にして古代竜を倒したあの日。胸をザックリやられて、死にかけながら竜に投げ込まれたのが宝物庫だった。死にそうなときに救われる魔法の石があることは噂で知ってたからな。仲間も全滅寸前だったし、無我夢中で使ったよ。それでオレだけ生き残った結果、オレがひとりで古代竜を倒したみたいな話になった」
「本当は仲間と倒したの?」
「古代竜はこの家の数倍でかいんだぞ? さすがのオレもひとりじゃ無理。当時所属してた小隊で食い止めろって無茶を命じられてな。死に物狂いで戦って、たまたまオレがとどめをさした」
「仲間はみんな死んじゃったから、あんたも早く死にたかったってわけ?」
ルーナはフォルモントのことが好きだ。
彼より美しい男はいないと思っているし、彼に死んでほしくない。
だからこそ、厳しい声音になってしまう。
フォルモントは「うーん」と唸って、背もたれに寄りかかってルーナに訊ねた。
「死んじゃだめ?」