脅しをかける悪しき魔女 04
「はあ!? 何を言ってるのよ。立場わかってるわけ!?」
ソレイユの怒鳴る声は僅かに震えている。
杖を突きつけられる経験なんて、今までなかったのだろう。
ルーナが魔力を込めれば、杖の先についている魔石は火球を発射する。
戦闘経験はとぼしいルーナだが、この至近距離では外しようがない。
命の危機に瀕していることを正しく理解したソレイユは狼狽している様子だったが、引き下がることは彼女のプライドが許さない。
化け物のように醜い形相で怒りながら、ソレイユはルーナの肩を押さえる力を強めた。
ルーナはぴくりと眉を寄せただけで、大きく表情は変えない。
「立場がわかってないのは、あんたよ。自分がなにしたかわかってんの?」
「わかってるわよ、大失敗よ。私がエーゲリアの救世主になるはずだったのに、ステラの魔力が強すぎたせいで台無しになった。私じゃなくて、あなたが救世主になっちゃったじゃない!」
「……救世主?」
魔力暴走は多くの人間の命を危機にさらす。
そんな危険な事象を、救世主になりたいというくだらない理由で引き起こしたのか。
呆気にとられているルーナを見て、ソレイユは自分が抱く崇高な理想をルーナが理解していないと勘違いして苛立っている様子だった。
「あなたが悪いのよ、ルーナ・ニュクス! あなたは私が9歳のときに最年少で国家魔術師になったっていうのに、次の日にその記録を簡単に打ち破った。その上、今度は私が手に入れるって決めてたフォルモント様を横から奪っていくだなんて! そんなの許されるわけないじゃない!」
「それで救世主になれば、あたしより偉大な功績を手に入れて、フォルも手に入るって思ったわけ?」
「そうよ! 英雄である彼には救世主になった私がふさわしいはずでしょう!? なのに、また! あなたが邪魔をした!」
「あたしがステラの暴走を止めてなきゃ、エーゲリアには大きな被害が出てたかもしれないのよ」
「うるさいわね! そうなろうとも、あなたがこの街に受け入れられてしまった現状より、ずっとずっとマシよ!」
ソレイユの目はルーナを射殺さんばかりに睨んでいる。
鋭い視線に晒されながらも、ルーナは表情を変えない。
ルーナは怒りを通り越した結果、凪いだような心境に達してしまっていただけなのだが、その表情がまたソレイユの怒りを逆なでしていく。
「ああああ、イライラするわ! せっかくみんながあなたを悪しき魔女と思うように先導したていうのに、なんなの? なんで、こんなにうまくいかないのよ……!」
「先導? どういう意味よ」
なにか他に薬でも盛っていたのか。
訝しむルーナに、ソレイユはかみつくように答えた。
「あなたと目が合えば呪われるだとか、触れたその場所から腐るだとか、そういう噂を流したのは私だって言ってるのよ! あなたがつくった薬をばらまいて、ちょっと優しくしてやればみんな私を信じたわ。全部うまくいってた。もうすぐで救世主になれそうだったのに、なんで邪魔するのよ!?」
狂ったような声をあげるソレイユに、ルーナは眉を寄せた。
ソレイユの腕を掴み、ぐっと押す。
怒り狂ったソレイユの体は、もううまい力の入れ方もわからない様子だった。
ぐっと押せば、体中に力が分散されていたようでソレイユは簡単に尻餅をついてしまう。
立ち上がろうとするソレイユの額に杖をつきつけて、ルーナは彼女を氷のまなざしで見下ろした。
「さっきからふざけないでよ、ソレイユ。あんたのわがままに、なんであたしとエーゲリアが利用されなきゃいけないわけ?」
絶対零度の声色に、ソレイユが怯む。
口をハクハクと開いては閉じているソレイユの額に、ルーナは杖の先を軽くぶつける。
「百歩譲ってあたしについては仕方がないわ。あんたの言うとおり。あんたのパパに告げ口されたら、あたしなんてすぐに首が飛ぶ存在よ。下手すりゃ冤罪で極刑だって免れない。
これからだって、あんたの望み通りに薬をつくってやるし、わけてやるわ。それであんたが良いのならね。でも、エーゲリアは別よ」
ソレイユがギリと奥歯を噛みしめる。
これ以上ソレイユの怒りを買うと、本当に冤罪で極刑に処される可能性もある。
それでも、ルーナは引き下がらなかった。
「エーゲリアはあたしの故郷。大事な人が住んでる場所でもある。この街の平和を脅かすことは、あたしが許さないわ。あんたがエーゲリアに手を出すなら、あたしはなんだってする。どんなことだってしてやるわ」
「あなた……。本当に自分の立場をわきまえなさいよ。パパに言いつければ、あなたなんて……!」
ソレイユのいつもの台詞を言う声は震えている。
ルーナは自分の立場をきちんとわきまえている。
だから、これまで通りに薬をわけてやると言ったのだ。
ソレイユはもう薬のつくりかたすら忘れてしまった国家魔術師だ。
彼女自身が国家魔術師でいるためには、薬の作り手であるルーナを失うわけにはいかない。
ソレイユがルーナの国家魔術師としての命を握っているのと同様。
ルーナもソレイユの国家魔術師としての命を握っている。
それが、ルーナが理解している自分の立場だ。
「ソレイユ。魔力抑制薬を明日にでも渡すわ。それを美容液と同じようにエーゲリアにばらまきなさい」
「なんで、あなたなんかに私が命令されなきゃいけないのよ!」
「言うことを聞かなければ、あたしはあんたに言うことを聞かせる手段を選ばないわよ。なんたって、あたしはあんたに言わせりゃ『血濡れの悪しき魔女』なんだから」
ソレイユの目と鼻の先で、杖の先端の魔石からパチリと火花を散らす。
ソレイユは「ひっ」と縮み上がって後ずさりし、転がるように立ち上がった。
「こ、今回の美容液の件は失敗よ。この収拾はあなたのつくる魔力抑制薬で対応することにします。だから、明日にでもあなたは私のとこに薬を持ってくるのよ! いいわね!?」
「だから、そう言ってんじゃない。しっかりばらまきなさいよ!」
「うるさい! あなたが私に命令したんじゃない! 私が、あなたに命令したのよ! とっとと森の奥へ帰れ!」
幼い捨て台詞を吐いて、ステラは逃げるように路地裏から出て行く。
杖を懐にしまい、小さくため息を吐いたルーナは湧き上がってしまった怒りを抑えるために、しばし深呼吸をしてからカフェへと戻った。
カフェ内ではステラがパンケーキを食べ終えたところだった。
目を輝かせて出迎えてくれた彼女と共に薬草屋に行き、ついでに魔力抑制薬の材料も購入した。
ステラと別れ、結局パンパンになってしまったリュックを背負ってルーナが家路についた頃には、もう日が傾いていた。
フォルモントは今日は仕事で帰ってこないと言っていたはずだ。
彼には秘密で、今夜中に魔力抑制薬を大量生産することは可能だろう。
忙しくなる夜を想像して、気合いを入れ直したルーナは家の前につくとポストの下に目をやる。
最近バスケットが届く頻度は明らかに減っている。
今日もポストの下にバスケットはない。
「……誰かさん。忙しいのかしら」
ぽつりと呟いてから、ルーナは家の中へと入っていったのだった。