脅しをかける悪しき魔女 01
ルーナの家に握手待機列ができた数日後。
フォルモントが仕事に行っている間に、ステラがルーナに薬づくりを教わりにやってきた。
人に教えたことなんてないが、とりあえず基礎の基礎から教えるべきだろう。
そう判断したルーナは、簡単な教本で基礎の術式を教えていたのだが、ステラの頭はそれだけでパンクしかけているのが見てとれた。
良き生徒であるステラは机に広げられた教本を睨んで眉間にしわを寄せているが、これは理解が追いついている人間の表情ではない。
勢いで突き進むタイプのステラは座学があまり得意ではないのだろう。
ルーナは術式の勉強は今日のところはこれで終えて、教本を理解することを宿題にした。
だが、これだけで帰らせてはステラはつまらないだろう。
良き教師でありたかったルーナは、行動派のステラに簡単な腹痛に効く薬のつくりかたを教えることにした。
「大抵の腹痛はこの赤い薬草と水色の薬草で治るわ。薬草屋に行って、腹痛止めの薬草って言えば、これを渡してくれるはずよ。よく乾燥させてから鍋に入れた方が、良い薬がつくれるわよ」
天井に蜘蛛の巣のように張っているひもにぶら下げた薬草を何枚かむしって、ステラに見せる。
赤色と水色の薬草がなんなのかは、今度の授業で教えた方がいいことは明白だ。
きっとステラの頭の中は現在、基礎の術式でパンパンになっている。
薬草の名前を覚える隙間なんて僅かだって存在していないだろう。
ルーナがステラの良き教師であろうとした努力は、ステラにとって良かった様子だ。
座学のときとは打って変わって、彼女はプラチナの瞳をキラキラと輝かせる。
「まあ、綺麗な葉っぱですわね。これをぐつぐつ茹でますの?」
「そう。その間に魔石をすりつぶすわ」
言いながらルーナは薬草を鍋に放り込み、棚の奥にしまってある瓶を取り出す。
中に入っているのは、周囲の光を反射して輝いている透明な魔石だ。
「これに腹痛止めの術式を組み込む。さっき渡した教本の37ページに全部載ってるから、帰ったら見といて。簡単な薬なら、魔石はなくても大丈夫。ある程度の腹痛だったら、薬草だけでもそれなりに効果はあるはずよ」
さらさらと説明するルーナの手は流れるように魔石の術式を展開し、彼女の体をぐるりと囲うように浮かんだ術式に、数値を迷うことなく入力していく。
ルーナが術式を閉じると、透明だった魔石は緑色に変色していた。
「色が変わりましたわよ!」
「入力された術式に応じて、魔石は少しずつ色を変えるわ。これは緑だけど、緑っていってもいろいろな緑がある。腹痛止めの魔石の色は、この緑よ。色が違ったら数値がどこか間違ってるわ」
魔石の色を光に透かして確認すると、ステラも感動した様子で魔石を観察する。
魔術師はみんなこの魔石の輝きに惚れるのだ。
ルーナも術式が合っているかを確認するために、こうして魔石を眺める時間が好きだ。
一頻りステラと観察をし終えたあとは、一緒に魔石を砕いてすり鉢で潰した。
この作業はなかなかに力のいる作業なのだが、ステラがパワーのあるご令嬢だったおかげであっという間に終わってしまった。
ぐつぐつ煮えた鍋の中にさらさらになった魔石の粉を入れれば、あとは鍋を混ぜ続けるだけだ。
ぐるぐるとかき混ぜている時間は存外暇なものである。
薬づくりとは地味な仕事だ。
「こうしてお薬はできているんですのね」
「つまんなかったんじゃない? 嫌ならやめたっていいのよ。婚約者への薬くらい、いくらか分けてあげるわ」
「ルーナ師匠の素晴らしいお薬を無料で譲り受けるなんてことできるはずがありませんわ! それにわたくし、魔石の美しさに惚れてしまいましたのよ。正直、術式の基礎を聞いたときはちんぷんかんぷんでしたが、あの輝きを自分で生み出せるようになるためなら頑張れそうですわ」
教本を抱えて微笑むステラが魔石の輝きに魅了されたのであれば、彼女はきっと魔術師に向いている。
いつかここを離れて嫁に行くことが決定しているステラは決して弟子ではないのだが、彼女がここで学んだことを王都で活かしてくれれば、それはルーナにとって幸せなことだ。
ちなみに、ルーナはステラに「ルーナ師匠」と呼ばれることを未だ承知したわけではないのだが半ば諦めて、適当にそう呼ばせている。
ステラとしては「ルゥ師匠」と呼びたがっていたのだが、それは何故かフォルモントが鉄の意志で許さなかったので、ステラの方が妥協した。
「こうやってかき混ぜてたら、色が変わってくるでしょ? これが透明感のある水色になったら完成よ。よく見てて、急に変わるから」
とろとろとしていた液体はやがてさらさらになり、緑っぽかった色は見る見るうちに水色へと姿を変える。
かき混ぜていたお玉ですくいあげて、その色を確認すると綺麗な水晶色をしていた。
これで、腹痛止めの薬は完成だ。
「こんな感じで薬づくりはおしまい。術式さえ覚えちゃえば簡単よ。教本通りの術式だけだと単調な薬しかつくれないけど、応用していけば症状にあった薬もつくれるわ」
「薬づくりの道は険しいのですわね……」
「家庭用の薬は簡単なのさえ覚えときゃいいのよ。難しいのはプロに任せとくのが一番よ」
鍋から取り出した薬を小瓶に移し替えたルーナは、お土産にその薬をステラへと渡した。
初授業で初めて自分が手を加えて一緒につくった薬だ。
ステラは嬉しそうに小瓶を胸に抱えて、微笑んだ。
「これで、わたくしも魔術師へ一歩踏み込んだようなものですわね!」
「まだつま先程度だけどね。基礎術式を理解すれば、一歩踏み込めるわよ」
「がんばりますわ!」
拳をぐっと握りこんで張り切るステラは、このまま帰るものだとばかり思っていた。
だが、彼女は一向に踵を返す様子がない。
ルーナが首を傾げていると、ステラは「ルーナ師匠?」と窺うようにルーナの顔を覗き込んできた。
「このあとお時間はありますこと?」
「あるけど……。もう今日は勉強はがんばったんだから、これ以上はいいと思うけど」
「わたくしもそれは同意ですわ! お勉強ではなくて、一緒にお買い物に行きたいんですの」
「お買い物……」
エーゲリアの人々が今までのようにルーナを邪険にするとは思えない。
なにせルーナは握手会までしたのだ。
だが、嫌な記憶はそうそう拭い去れるものではない。
あまり気乗りしない様子を見せるルーナの手をステラは、ぱっと握ってきた。
「薬草屋さんというのが、どんな感じなのか知りたいですわ。ぜひ、連れて行ってくださいませ! それにカフェで恋バナだってしたいですし、甘いものだって食べに行きたいですわっ」
「薬草屋はともかくとして、他のは友達と行きなさいよ」
「あら。ルーナ師匠は、わたくしの友達ではないんですの?」
感情豊かなステラの瞳に一気に涙がにじむ。
ルーナはステラの発言に驚いて、一瞬息が止まってしまった。
(友達? ステラとあたしが? 友達?)
脳内で「友達」という単語がぐるぐるする。
友達なんて未知の存在過ぎてわからなかったが、人とかかわった経験値が高いだろうステラが友達だと言うのだ。
この関係はきっと友達なのだろう。
照れくさい気持ちになったルーナは、唇を僅かに尖らせて「仕方ないわね」とぼそぼそ口にした。
「と、と友達、だから……、買い物行ってあげるわよ」
「本当ですの!? やりましたわ! ルーナ師匠とお買い物だなんて、わたくし今日が命日になってしまうかもしれませんわね……!」
「大げさでは……?」
「さ! そうと決まれば善は急げですわ! 行きましょう、ルーナ師匠!」
「ちょ、待ってローブ!」
ぐいぐい手を引くステラに、ルーナは壁にかけてあるローブに手を伸ばす。
しかしステラは不思議そうな表情を見せた。
「ローブ? 長旅でもありませんのよ。必要ですの?」
ローブに伸ばしていた手をルーナはぴたりと止める。
今までルーナは、エーゲリアの人々と顔を合わさないようにするためにローブのフードを深く被って買い物をしていた。
だが、受け入れられた今、これは必要なのだろうか。
少し迷ってから、握手してもらった手の感触を思い出したルーナはローブに伸ばした手を引っ込める。
その代わり、財布の入れてあるリュックを手に取ってルーナは首を横に振った。
「ローブは、もう必要ないかもしれないわ。行きましょう」