感謝はいらない悪しき魔女 03
「弟子!?」
いきなり飛び出してきた突拍子も無い単語にルーナはひっくり返りそうになる。
冗談なのかと様子を窺ったが、ステラはルーナの手を堅く握って真剣な表情でこちらを見ている。
どう見ても、冗談ではない気がするのだが、どうだろう。
他者とコミュニケーションをあまりとってこなかったルーナは、経験豊富なはずのフォルモントを振り返って助けを求める。
背後で黙って見守っていた彼は困ったように眉を下げた。
「ステラ。マジなのはわかるけど、現実的に無理だろ。魔術師なんて一朝一夕でなれるものじゃないぞ。第一、ステラはもうすぐ結婚するんだろが」
「結婚するの?」
ステラの話の展開が速すぎて理解が追いつかなかったのだが、よくよく思い出すと彼女はステラ・ハディードと名乗っていた気がする。
ということはステラはアイゼンの血縁者であり、公爵家の生まれということだ。
貴族社会では恋愛結婚はほとんどなく、政略結婚が主だと聞く。
ステラはそんな結婚から逃れるために、ルーナの弟子になりに来たのだろうか。
ルーナができる限りの想像を膨らませて訊ねると、ステラは「ええ」と晴れやかな表情で頷いた。
「幼い頃からの婚約者で愛しいお相手との結婚が決まっておりますの。彼は王都で騎士をしているのですが、体が弱くなかなか出世ができないことを悩んでいるのです。わたくしはそんなこと気にしていませんのよ。彼と共に生きられると思うと、それだけで幸せなのです。わかりますでしょう?」
ぐっとステラが顔を近づけてくる。
ルーナの予想は外れたようで、ステラは幸せな結婚を控えているらしい。
激しい勢いにルーナは、再びこくこく頷いた。
勢いに負けたのは事実だが、ステラの気持ちがわかることもまた事実だ。
フォルモントにはそんな気はないのだろうが、ルーナは彼と暮らせている今がとても幸せだ。
「ですが、彼の憂いは断ってあげたいと思うのが愛してしまった者の定め。なにか方法はないかと考えていたところで魔力暴走を起こしてしまい、あなたに救われたのです。そこでわたくし、ピンと来ましたのよ! あなたに弟子入りしたら、きっと素敵な方法を教えてくださるんじゃないのかしらって」
「……つまり、病弱な彼のために薬がつくれるようになりたいってこと?」
「ええ! 立派な魔術師がつくる薬は立派だと相場が決まっておりますわ。あなたのような優秀で素晴らしい魔術師に弟子入りすれば、すばらしい薬のつくりかたを学べるはずですわ」
ぐっと拳を握るステラの勢いは本当にすさまじい。
ステラはルーナが今までに会ったことのない人種だ。
おどおどしてしまいながらも、ルーナはステラを見つめる。
曇りない瞳でこちらを見る彼女は、ルーナがエーゲリアでなんと呼ばれているのかを知っているのだろうか。
「ステラはエーゲリアに住んでるわけじゃないわよね?」
「ええ。王都の屋敷が住まいですわ。エーゲリアには、結婚前にお兄様の仕事場を見ておきたくて参りましたのよ」
「じゃあ、あたしがエーゲリアでなんて呼ばれてるかは知ってる?」
ステラがきょとんと綺麗な目を丸めて首を傾げる。
何も知らない彼女に、ルーナの異名を告げたら彼女はどんな反応をするだろう。
ルーナは緊張しながら、嫌われ者の呼び名を口にした。
「血濡れの悪しき魔女。そう呼ばれてるの」
「血濡れの」とステラはルーナの呼び名を舌の上で転がす。
それから、きょとんとしていた表情に輝きを爆発させた。
「なんですの! そのかっこいい呼び名は!」
「へ?」
「わかりましたわ。なにかの比喩か物語の引用ですわね? まさか、その名の通りあなたが悪い魔女なわけありませんもの。あなたは魔力暴走を起こしているわたくしを、躊躇いなく助けに来てくださいましたもの」
ステラの綺麗すぎる言葉に、ルーナはフォルモントに救いを求める。
だが、彼は微笑むばかりで助けてはくれなかった。
こんな爆発するような好意をぶつけられることは、人生で初めてだ。
どう対処していいかわからず、ルーナは「落ち着いて」とステラに声をかける。
「あたしは、エーゲリアで嫌われてるの。そんなあたしに弟子入りする必要はないわ」
「まあ! あなたのような優秀な魔術師が嫌われているだなんて、おかしな話ですわ! あなたを嫌っている方というのは誰ですの!? わたくしがあなたに救われたという話を街中で一人ひとりに語ってまわってさしあげますわ!」
「いい! いい! やめて!」
本気で語ってまわりそうな勢いで踵を返すステラに、ルーナは追いすがる。
可憐な顔に不満を滲ませたステラは腰に手を当てて、足を止めた。
「わかりましたわ。あなたがそうおっしゃるのならやめておいてさしあげますわ。あなたの素晴らしさは、いつか絶対にエーゲリアの人々全員が知ることになりますもの。それまでは我慢してあげることにいたしますわ」
「あ、アリガトウゴザイマス」
ステラに振り回されるルーナがよっぽどおかしいのだろう。
くすくす笑うフォルモントを睨むと、彼は「おっと失礼」と両手を軽くあげて咳払いをする。
その間にもステラはルーナへ迫った。
「話がそれてしまいましたわね。あなたが街で嫌われていようとも、わたくしが結婚を控えていようとも、わたくしが弟子になりたいという気持ちは変わりませんわ。ぜひ、わたくしを弟子にしてくださいまし!」
「お断りします」
深々頭を下げてお断りすると、ステラがガーンという効果音にふさわしい表情を見せる。
じわじわと涙目になったステラに、ルーナはドキリとした。
いつもルーナを脅して言うことを聞かせるソレイユも公爵家だ。
もしかしてステラもそういう類いの人間なのか。
警戒していると、ステラは目元の涙を拭ってか細い声をあげた。
「どうして、ですの? わたくしが強引だったからでしょうか……?」
「強引ではあるけども、そんなんじゃないわよ。弟子になんかならなくたって薬のつくりかたくらい教えてあげられるからよ」
「本当ですの!? ソレイユさんにも薬のつくりかたを聞いたのですが、彼女は門外不出だとおっしゃっておりましたのよ」
ソレイユの場合は、薬のつくりかたをもうほとんど忘れてしまったのではないだろうか。
魔術師の技術が門外不出なんてことはない。
危険な術式を簡単に教えるわけにはいかないが、薬づくりなんて一般人でも行っていることだ。
「ソレイユの場合はそうなのかもしれないけど、あたしはそんな高尚な薬つくってないから問題ないわ。いい薬には術式をこめた魔石を砕いて入れるの。あんたは魔力量も多いし、勉強さえがんばれば、簡単な薬づくりくらいすぐに習得できるはずよ」
「本当ですの!?」
「ええ。王都に戻るのがいつかは知らないけど、それまでにいくつか薬のつくりかたを覚えて帰れば良いわ」
頼ってきてくれた人間を邪険にするつもりはない。
あっさりと薬の製法を伝授することをのんでくれたルーナに、ステラは感激の涙を流す。
人の涙は見慣れない。
ぎょっとしているルーナなんか気にもせず、ステラは号泣しながら感謝を口にした。
「感謝いたしますわ、師匠! これからよろしくお願いいたします……!」
「だから弟子じゃないんだってば! 師匠なんて呼ばないで!」
むずがゆい呼ばれ方にルーナが慌てていると、気配を消して行く末を微笑ましく見守っていたフォルモントが「ん?」と声をあげる。
彼の視線が夜の森のエーゲリア市街へと続く道に投げられていることに気がついて、ルーナもそちらに目を向ける。
そこにはエーゲリアの人々が大量の荷物を抱えて、こちらに迫ってきている姿が見えた。
ルーナは彼らを睨んで、堅い声で予想をもらした。
「まさか……魔女退治?」
「いや、違うだろ。魔女退治に来た連中が、あんな情けない顔するわけない」
フォルモントは彼らの意図がわかっているような口ぶりだ。
目をこらすと、確かに彼らの眉は一様に下がってしまっていた。