感謝はいらない悪しき魔女 01
体中が熱くて、ルーナは目を覚ました。
寝かされているベッドがいつもと違う。
見える天井も見慣れたものではない。
ガバッと起き上がったところで、頭にひどい痛みが走った。
魔力を大量に浴びると、魔力暴走は起こさずとも体への負担は大きい。
処理能力の限界寸前まで魔力を摂取した体は、耐えきれずに高熱を出しているのがわかった。
だが、ルーナには行かなければならない場所がある。
ここがどこだかはわからないが、エーゲリアであることは確かだろう。
痛む頭を支えながらベッドから起き上がると、ドアが開いた。
「ルゥ? なにしてんだ。もう大丈夫なのか?」
ドアの隙間から差し込んだ光を後光のように背負って現れたのは、フォルモントだった。
月色の目を心配そうに歪めて、フォルモントは水桶を抱えてこちらに歩み寄ってくる。
そっと額に触れてきた彼は、ルーナの体温を知って更に表情を歪めた。
「めちゃくちゃ熱いぞ。まだ寝てた方がいい」
「行かなきゃ」
「こんな状態でどこにだよ」
「星空の泉」
心配しすぎて苛立っている様子のフォルモントが呆気にとられた様子で口をぽかんと開く。
だが、ルーナは真剣だ。
壁にかけられたローブを手に取り羽織りながら、ルーナは茫然としているフォルモントに訊ねた。
「ステラって子は、もう大丈夫なの?」
「ステラも寝てはいるが、熱もない。ルゥよりずっと大丈夫そうだよ。ルゥのおかげだ」
「そう。よかった」
「だから、今はちょっと休んだっていいんじゃないのか? ルゥはがんばったんだ。熱だってある。星空の泉は今朝見に行ったばっかりだ。今行かなきゃいけないのか?」
心配そうに眉を寄せるフォルモントが、ルーナのために言ってくれていることはよくわかる。
だが、ルーナは星空の泉の管理者として譲るわけにはいかなかった。
「今朝は大丈夫だったけど、そのあと濾過装置に異常が起きたのかもしれないじゃない。あたしはあたしの仕事をきちんとこなしたいの」
魔力転移装置と魔力濾過装置ができるまでのエーゲリアは、竜群がいつ襲ってくるかわからない恐怖と度重なる魔力暴走の被害により、壊滅的な状況にあった。
ルーナは故郷を自分が開発した装置が救い、守っていることに誇りを感じていたのだ。
エーゲリアのために、魔力転移装置も魔力濾過装置も常に完璧な状態を保っていなければならない。
それはルーナの体調がいかに悪いときであってもだ。
ルーナの強い意志を感じたのだろう。
まだ何か言いたそうだったフォルモントは溜息をこぼしつつ頭を抱える。
彼に謝罪と感謝の気持ちをこめて小さく礼をしてから部屋を出ようとしたところで、ルーナはフォルモントに肩をつかまれた。
「フォル……?」
「いいよ、行こう。仕事を全うしたいんだろう? でもひとりで行かせるわけにはいかないし、こんなにフラフラな子を歩かせるわけにもいかない。少し恥ずかしくても我慢してもらう」
真剣な声音で言われて、ルーナが首を傾げた直後。
膝裏に手が差し込まれて、背中に手が回される。
驚いている暇もなく、ルーナの体は浮遊感に包まれ、気が付けばフォルモントに抱えあげられていた。
「なっ、は!?」
「嫌がっても、これだけは譲れないからな。横抱きの方がよければそうするけど、どっちがいい? いわゆるお姫様抱っこになっちまうんだけど」
「こ、これでいい!」
「はい、それじゃ行こう」
にこりと微笑むフォルモントの顔が、いつもは見上げているのに今は下にある。
こちらを見上げる彼の笑顔が眩しくて、ルーナは胸の奥を締め付けられる感覚がした。
フォルモントは軽々とルーナを抱えたまま部屋の外に出る。
廊下を歩いていた騎士がギョッとした顔でこちらを見ていて、ルーナは絶望すると共にここが騎士団本部なのだということを悟った。
「こんなの……誤解されるわ」
「誤解じゃないって言っただろ。オレはルゥが好きで、一緒に暮らしてる。あ、それともルゥはオレとの仲を誤解されると困る相手がいるのか?」
「困るのはあんただけでしょっ。あたしは悪しき魔女で、あんたは英雄なんだから」
若干のショックを含んだフォルモントの声に眉を寄せながら答えると、彼は嬉しそうに相好を崩す。
「ルゥが困らないならそれでいい。オレは絶対に困らないから」
熱がある頭では、フォルモントの言っている意味がまったく理解できない。
疑問符ばかり浮かべているルーナなんか気にもとめずフォルモントは、さっさと騎士団本部を出て行く。
門番をしていた騎士が「え!? 隊長、まさかその子が例の、心に決めた……!?」と何か口走りかけたが、フォルモントが彼の口を塞いで「それはオレの口から言うことだからな。な?」と笑顔で圧をかけている姿が印象的だった。
フォルモントは人通りの少ない道を選んで夜の森へと向かってくれた。
それでも時折すれ違う人たちが、気まずそうに足下に視線を落としていることが不思議だった。
今までみたいに誰もがルーナを嫌そうに避けているわけではない。
何故か、みんな一様にルーナを見てはふいっと視線をそらすのだ。
「……なんか、あったの?」
「何が?」
「街の人たちの雰囲気が違う気がする」
夜の森に入った辺りでぽつりと訊ねると、フォルモントは「ああ」と冷たい視線を横に流す。
「思うところがあったんじゃないか? ルゥが命を張って、エーゲリアの危機に立ち向かってくれた姿に」
ルーナとしては仕事を全うしただけのつもりだが、人々の心証が変わったというのならば、それは嬉しいことだった。
きょとんとしてしまってから、ルーナは表情を綻ばせる。
それがバレないように、フォルモントからはぷいっと顔をそらしたが、彼がふっと脱力したように笑ったのが視界の端に見えた。
星空の泉にたどり着くと、フォルモントはルーナをようやく下ろしてくれる。
魔力濾過装置の術式を展開、内部の損傷がないことも確認したところでルーナは、全身の力が抜けてしまった。
「ルゥ!?」
「よかった……。この子たちのせいじゃなかった」
装置にすがりつくように、ずるずるとへたりこむルーナをフォルモントが抱え上げてくれる。
その後のルーナの記憶は曖昧なものだったが、フォルモントはルーナを家へと連れ帰り、彼女を懸命に介抱してくれた。