死にたがり英雄と悪しき魔女 02
「……どこに運べばいいだろうか」
ルーナは片付けをあまり必要だと感じていない。
そんな彼女の一人暮らしの家は、本と薬草と魔石にあふれている。
アイゼンは足の踏み場もないような部屋に一瞬引いたような表情をしたが、すぐにお堅い無表情に戻った。紳士的である。
「その向こうにベッドがあるから、そこに寝かせて」
ルーナは先程持って帰ってきたリュックの中身を漁りながら、部屋の奥を指さす。
その指の先には、薬草がいくつもひっかけて干されているパーテーションがあった。
天井に吊されている資料やら布やらを回避しながら、背の高いアイゼンが奥へと進んでいくと、「うう」といううめき声があがる。
その声はルーナのものでも、アイゼンのものでもない。
フォルモントの声だと理解した瞬間、ルーナは弾かれたように顔を上げた。
「ん、ああ。アイゼン? ここは……?」
「ニュクス女史の家です。あなたの心臓は彼女に診せるのが一番でしょう」
「あー、ってことは心臓のこと話したな? 秘密にしたかったのに」
苦情じみた声を出すフォルモントが、アイゼンの背から降りる。
柱にもたれかかった彼の色気に、ルーナは心臓が止まるかと思った。
うなじまでの群青色の髪は、満天の星がきらめく夜空から糸を紡いだかのよう。
苦しげに細められた瞳は、月の輝きを閉じ込めたかのような色をしている。
すらりとした体躯は引き締まっており、髪の色とよく似た群青色の騎士服は彼のためにあつらえられたかのような似合いっぷりだ。
(やっぱり、綺麗な人……)
一瞬呆けてしまったルーナは自身の頬をたたいて、気合いを入れる。
彼は死にかけているのだ。
見惚れている場合ではない。
リュックから薬草を取りだしたルーナは、鍋に張った水にそれを放り込んで火にかける。
そうしている間にも、フォルモントはアイゼンによってベッドに運び込まれたようだった。
「アイゼン。ここまで助かった。大丈夫だから、本部に戻れ」
「しかし……」
「ここに居ても、アイゼンにできることなんてないよ。隊長も副隊長もいなくて、なんかあったらどうすんだ。迷惑かけてすまん」
パーテーションの向こうでの会話は、盗み聞きしようと思わなくても聞こえてしまう。
ルーナは薬湯を煮た鍋を放置して、とりあえずフォルモントの様子を見ることにする。
パーテーションの影から顔を出したルーナに、アイゼンは困り顔を向けた。
「ニュクス女史。私は何か手伝えることはありますでしょうか」
「ないわね」
フォルモントの心臓を動かしている心臓代替術式は、ルーナが考案した術式だ。
金剛級の国家魔術師ならば術式を見れば理解できるかもしれないが、エーゲリアにいる金剛級の国家魔術師はルーナただ一人。
フォルモントを救えるのは、ルーナしかいない。
アイゼンは「そうですか」と嫌な顔もせずに頷いて、ベッドで胸を押さえて苦しげにしているフォルモントを見下ろした。
「隊長。それでは、私は本部に戻ります。……ニュクス女史にご迷惑をおかけしないでくださいね」
「あいよ」
ベッドに寝たまま、フォルモントは気だるげにアイゼンに手を振る。
小さくため息をこぼしたアイゼンは、律儀に「よろしくお願いいたします」とルーナに頭を下げて出て行った。
「はあっ。すみませんね。見苦しくて」
冷や汗を滲ませた顔でフォルモントが苦く笑う。
ルーナは彼の寝ているベッドに歩み寄ると、淡々と彼の上着のボタンを外し始めた。
シャツをくつろげたフォルモントの胸の真ん中には、大きな古傷に六角形の赤い魔石が埋まっている。
その魔石に軽く触れて術式を展開させると、古代語による術式がルーナの周囲をぐるりと囲うように青白く表示された。
「心臓代替術式を考案したのはあたしだけど、実際に使ってる人がいるのは知らなかったわ」
自身を囲う術式を指先で滑らせながら、ルーナは呟く。
心臓代替術式は、その術式を入力した魔石を胸に埋め込むと、心臓の代わりに体内の血液を循環させるというものだ。
ルーナはこの術式を考案したことで、歴史上最年少である13歳で、最上級の魔術師と国に認められた金剛級国家魔術師になった。
それほど優秀な術式であることは確かだが、死ぬ運命にある人間を無理矢理に蘇らせることになるのではないかという倫理的な価値観から、使用は恐れられているという話だ。
そんな術式が英雄であるフォルモントになぜ適用されているのか。
考えながらも、ルーナは目の前を流れる術式に目を凝らす。
そして、膨大な術式の一点、いや複数の箇所に綻びを見つけた。
「……なにこれ。ボロボロじゃない」
この術式は緻密すぎる故に、使用者が激しく動き回ったり、過剰な魔力を取り込んでしまったりした場合に綻びが生じる。
その綻びが彼を苦しめているのだろうということはわかったが、その多さにルーナは顔をしかめた。
1日2日でどうこうなった綻びではない。
この状態では、何年も前から胸に苦しさがあったはずだ。
戸惑いながらも綻びというより、もう巨大な穴のようになってしまっている術式を修正すると、フォルモントの全身にこもっていた力がゆっくりと抜ける。
楽になったのかと安堵したところで、ルーナは術式展開をやめた。
「痛みは?」
「いや、大丈夫。楽になった」
まだ荒い息をしているが、フォルモントの表情はさっきより柔らかくなっている。
覗き込んだ目をまっすぐに見つめ返されて微笑まれると、居心地が悪くて仕方が無かった。
フォルモントが命の危機を脱したことで、少し冷静になったルーナは現状を把握する。
そして、今がどれだけとんでもない状況なのかを理解した。
いつもルーナが寝ているベッドで、憧れのフォルモントが横になっている。シャツのボタンを全開にして。
額に浮かんだ脂汗を手の甲で拭い、呼吸を落ち着けているフォルモントのたくましい胸が上下している。
その胸や脇腹に刻まれた古傷も、胸の真ん中に埋まっている魔石も。すべてが色っぽい。
思わず、ぽやんと見つめてしまっていると、フォルモントがふっと笑ってシャツの合わせを閉じるように握りこんだ。
「えっち」
からかう声で言われた言葉は、聞き慣れないものだ。
ルーナの脳内でその言葉が処理されると、彼女は爆発したように赤くなった。
「ばか! そんなんじゃないわ! 患者の容態を確認してただけよ!!」
床に転がっていた毛布を拾い上げたルーナは、それをフォルモントの腹に投げつけると、慌てて薬湯を煮ている鍋へと飛びつく。
吹きこぼれそうになっていたわけではないが、とにかくフォルモントから距離をとりたかった。
初対面でその綺麗な顔に憧れた。
一生見ても飽きないと思える顔だった。
そんな顔を持つ彼が転がり込んできて、冷静でいられるわけがない。
(落ち着きなさい、ルーナ。顔面に憧れているなんて気持ちがバレたら、引かれるわ)
スーハー深呼吸をしてから、薬湯をカップに移す。
熱いそれを片手に、そろりとパーテーションの向こうを覗くと、フォルモントは寝息を立てていた。
ルーナが投げつけた毛布を体に巻き付けて、すやすや眠る無防備な姿は英雄とは思えない。
その綺麗すぎる寝顔をじっくりと堪能してから、ルーナは薬湯をとりあえずテーブルに置いて、定位置である部屋の隅に移動する。
ぎゅっと膝を抱え、買ってきたばかりの魔導書を開き、彼が起きるまで読むことにした。