命を懸ける悪しき魔女 03
「わっ、ツイてねぇなぁ」
「目を合わせちゃダメよ」
すれ違った若者が嫌な顔でため息を吐き、通りすがりの女が子どもの目を覆って足早に去って行く。
ルーナにとってはいつもの光景だ。
だが、フォルモントにとっては違うだろう。
ルーナはフォルモントが誘うのを断って断って断りまくって、彼の遙か後方にいる。
これだけ離れているから、誰もフォルモントとルーナが一緒に買い物に来たとは思っていないようだ。
悪しき魔女が英雄と一緒に歩いていて、なにか勘違いされでもしたら困る。
フォルモントに迷惑をかけたくなかったルーナは、まだ空っぽのリュックを背負って極力ゆっくり歩いていた。
エーゲリアをこんなにゆっくりとした歩調で歩くのは記憶上初めてのことだ。
周囲の声がいつもよりよく聞こえる。
悪しき魔女である自分は出歩いているだけで人々の迷惑になることを改めて認識して、ため息が出た。
ルーナはフードの下でうつむけていた顔を僅かにあげる。
フォルモントの位置を確認するためだ。
フォルモントが家具屋でベッドを発注している間もルーナは、建物の影でじっとしていた。
店主が「夜の森!?」「悪しき魔女の!?」と驚いている声が聞こえ、フォルモントは不機嫌そうに頷いていた。
それを影で見ていたルーナの胸はチクチクと痛んだ。
こんなにも嫌われている存在なのだと、今更ではあるかもしれないが彼に知られてしまうことは惨めだった。
ルーナが付いてきていることを、振り返って確認してくれていたフォルモントと目が合う。
彼が足を止めたためルーナも足を止めると、いつも微笑んでいるフォルモントの表情がなくなっていることに気がついた。
無感情な表情。
だが、月色の瞳に宿る感情が遠目にも見えて、ルーナは気がついた。
(あ、怒ってくれてるんだ)
フォルモントはルーナが置かれている現状に怒ってくれている。
月色の瞳が怒りに燃えていることがわかって、ルーナは泣きそうな思いがした。
惨めで惨めで仕方がない。
だけど、彼が怒ってくれていることがとても嬉しい。
ルーナがフードの下でゴシゴシと目元を拭うとフォルモントはルーナの元に駆け寄ってきた。
あまり近付かれると、悪しき魔女と英雄のおかしな噂が流れかねない。
ルーナが距離をとろうと踵を返すより早く、フォルモントはルーナの細い手首をつかんだ。
「な、なにしてんのよっ。勘違いされたらどうすんの!?」
「勘違いじゃないからいいだろ。オレはルゥが好きで、ルゥと一緒に暮らしてる」
「すっ!?」
「好き」というのは、たぶんおそらく絶対に、友情的な意味でだろう。
わかってはいるが、ルーナの頬はすぐにりんご色に染まってしまう。
こちらを見て悪口を言っていた井戸端会議中の主婦たちが、あんぐりと口を開けている。
彼女たちは、完全にルーナとフォルモントの仲を勘ぐっているだろう。
女の噂が回るのは早い。
ルーナが否定しようと大慌てでブンブン首を横に振ると、その勢いでローブのフードが外れてしまった。
「血濡れの悪しき魔女、意外に普通じゃない?」
「鬼みたいって聞いてたわよね……?」
「んなわけないだろう!? 奥様方よく見ろ。うちのルゥはかわいいんだ」
「『うち』とか言うな!」
思わず高い声をあげて否定してしまってから口を塞ぐ。
こんな大声を町中であげてしまったことなどなかった。
怯えさせてしまっただろうかとおずおずと主婦達の足下を見る。
目を合わせて「呪われた」なんて不安にさせたら、申し訳なかったからだ。
「ルゥはあんたらと目を合わせたことなんてないだろ? 奥様方はイヤなこと言ってんだ。ルゥが悪しき魔女なら、睨まれて呪われたって仕方ないと思わないか?」
「そんな……イヤなことなんて」
「私らは、ただ怖かっただけで……」
「なら、怖がるこたない。ルゥは、あんたらが怖がるから目も合わせないでくれてる優しい子なんだ。二度と聞こえるように悪口は言うな」
底冷えするような低い声を出したフォルモントに主婦たちが固まっている。
ルーナも固まっていると、フォルモントは「行くぞ」とルーナの手首を握ったまま歩き出した。
フードを被らなければと思うのに、フォルモントがあまりに早く歩くため引っ張られているルーナはフードをうまく被れない。
怒っている彼に手首を引っ張られ、必死に歩いていると彼は突然足を止めた。
ごつんとその背中に鼻先が当たってしまう。
「なんなのよ、ほんとにもう!」
「ごめん。嫌がることをする気はなかったんだけど、耐えられなかった」
背を向けていたフォルモントが振り返る。
彼の顔を崇拝しているルーナですら、その表情を情けないと感じた。
眉を下げて、申し訳なさそうにしているフォルモントが反省していることは見るからに明らかだった。
「ルゥに意地悪する連中を、ルゥが気遣って、それで傷ついてることが耐えられなかった」
「……あたしは、慣れっこなんだからいいのよ」
「良くないだろ。嫌われたくないから、ルゥは気を遣ってるんだろ。どうでもよかったら、呪われるって恐れられてるその綺麗な目で、片っ端から睨み付けてやりゃいいんだ」
ルーナは黙り込む。
平気なふりをして生きてきた。
自分自身にも「大丈夫」と嘘を吐いてきた。
フォルモントにそんな弱い部分を見つけられて、強いままではいられない。
ルーナは胸の苦しさに耐えきれず、手のひらを握りこみながら呻くように答えた。
「だって……仕方ないじゃない」
噂を払拭することはできない。
ルーナを恐れる人々に「怖くないよ」と言ったところで聞き入れられるとは思えない。
どうすることもできないのだ。
うつむくルーナにフォルモントが何か言おうと口を開く。
その間に割って入ってきたのは、駆け寄ってくる群靴の音だった。
「ノックス隊長!」
プラチナブロンドのひとつにくくった髪を風に流しながら駆けてきたのはアイゼンだ。
緊迫した表情の彼に、フォルモントは防衛隊長としての表情を見せる。
「何かあったのか?」
「魔力暴走が起こりました」
「また子どもか?」
「いえ……、ステラです」
アイゼンが苦々しく言うと、フォルモントの顔が真っ青に染まる。
ルーナは思わずアイゼンに訊ねていた。
「そのステラって子は、生まれつきの魔力量が多かったりするの?」
生まれついた魔力量が多い人間が魔力暴走を起こすと、その規模はそれだけ大きなものになってしまう。
魔力の器が大きい人間が魔力暴走を起こした結果、村が滅んでしまったという話もあったくらいだ。
アイゼンは渋い表情でルーナの問いに頷いた。
「ステラは王都でも稀なほどに魔力の器が大きい娘です。昨日の魔力暴走はライト女史が対処できていましたが、ステラの魔力量が凄まじく今回は難しいようで……。現在対応できる者を探しているところです」
魔力暴走を止めるためには、暴走を起こしている人間の傍に行かなければならない。
魔力暴走は大量の魔力を周囲に撒き散らし、他の者の魔力暴走を引き起こす。
つまり、魔力暴走は連鎖するのだ。
魔力暴走した人間の魔力の器が大きければ大きいほど、周囲に撒き散らす魔力量は増える。
そのため魔力暴走を起こしている人間の傍に行って対処する人間は、暴走中の人間より大きな魔力の器を持っている必要があるのだ。
ステラという娘の魔力の器は、ソレイユの魔力の器より大きいらしい。
ソレイユもかなりの魔力の器を持っているため、ステラは相当な大きさなのだろう。
ルーナは覚悟をもって頷いた。
「あたしが行くわ。あたしなら止められる」
「ダメだ、ルゥ。危険すぎる」
「危険なのは誰がやっても同じでしょう。あたしはエーゲリアの役に立ちたい」
「……ルゥをいじめる奴らの街なのにか?」
騒ぎに気付いたのか、ルーナを睨んでいた人々もじわじわと避難をはじめているのがわかる。
ルーナは彼らをぐるりと見まわしてから、泣きそうに微笑んだ。
「それでも、あたしの故郷だから」
ここはルーナの故郷だ。
亡き母との思い出はほとんど覚えていないが、ルーナはこの町で生まれ育った。
どんなに嫌われても、エーゲリアはルーナにとって守るべき場所だった。
「あたしは魔力の器が大きい方だから、きっと大丈夫よ。絶対に救ってみせるわ。案内して」
ルーナの赤い瞳に揺るぎない決意が宿る。
アイゼンがフォルモントの意思を確かめるように彼を見ると、フォルモントも覚悟を決めたように頷いた。
「無理はするなよ。オレが避難の指揮をとる。アイゼン、案内してくれ」
「了解」
騎士の敬礼をとったアイゼンが駆けだした背に、ルーナは続く。
駆けだした方角からは、人々が悲鳴をあげて逃げてきていた。