命を懸ける悪しき魔女 02
玄関を出ると、ポストの下にはバスケットが置いてあった。
誰かさんはまだ回収しに来ていないのだろうか。
かけてある布をそっと外して、その予想が外れていたことを知る。
バスケットの中には、まだ暖かいスコーンと手紙が入っていた。
フォルモントは、支度をしてくると言って2階にあがっていった。
まだ彼は来ていないことを、玄関を振り返って確認してから手紙を開く。
『あなたの幸福をいつでも願っています。同居人には我慢せず、たくさんわがままを言ってくださいね』
誰かさんの優しい言葉が嬉しい。
自然にあがってしまう口角を感じながら、ルーナはバスケットに手紙を戻して玄関に戻る。
ドアを開けてバスケットを部屋の中に入れていると、2階からフォルモントが駆け下りてきた。
「すまん。待たせたな」
「行くわよ」
肩からサコッシュをさげたフォルモントは、星空の泉を見た後に買い物にでも行くつもりなのだろう。
ルーナはフォルモントを先導して星空の泉へと歩き出した。
「初めて会ったときは、星空の泉は見せてくれなかったよな」
「信用できない人間に装置の場所を知られたくなかったから」
「今は信用してくれてる、と」
嬉しそうに弾むフォルモントの声には答えない。
信用していることは確かだが、「ええ、信用してるわ。とても」なんて恥ずかしくて言えるはずもなかった。
ちらっと隣を歩くフォルモントの様子を窺うと、彼は「うん?」と月色の目を細めて優しくこちらを覗き込んでくる。
なんだか愛しげに見つめられている気がしたが、そんな風に思う自分の自惚れっぷりの方が恥ずかしくてうつむいてしまった。
ほぼ無言で星空の泉へと向かうことになってしまったが、不思議と気まずさはなかった。
ルーナが毎日歩いているため、草が生えてこなくなってしまった道を少し歩くと星空の泉が現れる。
濃い藍色の湖面に魔力の輝きがきらめく美しい泉だ。
「こりゃ綺麗な泉だな……。名前にも納得だ」
「こっちが魔力転移装置。あっちが魔力濾過装置よ。毎日点検してるからたぶん問題はないと思うんだけど……」
「毎日。ルーナは真面目だな」
「あんただって、街の見回り毎日やってるでしょ。同じよ」
「え? 知ってたの?」
泉を覗き込んでいたフォルモントが、驚いたような声を出す。
草葉をつるでつなげて作った、装置を隠している網を外していたルーナは、ばっと彼を振り返った。
今のは完全に失言だった。
ルーナはフォルモントが初めて会いに来たときに、クールに対応しつつも彼のその顔面の美しさに胸を打ち抜かれていた。
そんなルーナが町中でフォルモントを見かけて、忘れてしまうわけがない。
たまに買い物にいくエーゲリアの市街でフォルモントを見かけては、「今日も綺麗だわ。ありがとう」と遠目に彼の美しさに感謝を捧げていたのだ。
だが、そんなことを本人に知られるわけにはいかない。
ルーナは平静を装って、表面だけの事実を伝えた。
「……街で時々見かけたから」
「マジでか。オレもルゥのこと見かけてたらわかったと思うんだけどな」
遠くで見ていたことは事実だが、フォルモントには見つからないように身を潜めていた。
悪しき魔女と嫌われる姿を、憧れている彼には見られたくなかったのだ。
フォルモントに見守られながら、ルーナは転移装置の術式を展開して異常がないことを確認する。
外部損傷がないことも確認していると、傍にしゃがんで見守っていたフォルモントは感心した様子で頷いていた。
「ルゥがこれを開発してくれたから、エーゲリアは守られてるんだよな。ありがとう」
ルーナは魔力転移装置が星空の泉の膨大すぎる魔力を遠方に送ることで、エーゲリアは竜群から守られている。
だがそんな事実は、あまり知られていない。
魔力転移装置の存在そのものも知らない人々が多いのは、そんな重要な装置があることを知られれば悪用されることも考えられたからだ。
だから、人々はルーナの努力も知らずに彼女を悪しき魔女と呼ぶ。
感謝され慣れていないルーナは、頬を赤く染めて小さく頷くことしかできなかった。
魔力転移装置に問題がないことを確認し終えたら、次は問題の魔力濾過装置だ。
魔力転移装置と同様に装置を隠している草葉の網を取り払うと、ルーナは術式を展開して、筐体の内部へと頭を突っ込む。
普段はここまですることはあまりないのだが、エーゲリアでの魔力暴走の原因が魔力濾過装置にあるのだとしたら、内部の損傷も考えられるからだ。
「ルゥ? 大丈夫か?」
地に足がつかないほどに筐体に上半身を突っ込んでいるルーナに、フォルモントが困惑の声をあげている。
術式を込めた光る魔石で明かりをともして内部の細かい部分まで確認したが、損傷は何も無い。
地に足をつけ、上半身を起こしたルーナは軽い立ちくらみを感じながらも「ええ」と返事をした。
「濾過装置はなんの問題もないわ。魔力暴走の原因はこれじゃないみたいね」
「まあ、たまたま魔力が増幅しちまっただけってことも考えられるからな。昨日暴走したのは子どもだったんだ。成長過程で増える魔力が処理能力を上回っちまうこともあるだろう」
人の持つ魔力は、成長と共に増えていくものだ。
フォルモントの言っていることは間違っていない。
ルーナが「そうかもね」と頷いて、装置を再び隠しているとフォルモントが「さて」と弾んだ声をあげた。
「これでルゥの仕事は一段落だな」
「そうだけど、なに? 掃除?」
掃除は好きではない。
思わず嫌そうな表情をしてしまうルーナに、フォルモントはくっくと笑った。
「違う違う。街に行こうと思ってな」
「いってらっしゃい」
「ルゥも行くんだっての」
「は? 嫌よ」
ルーナは悪しき魔女として嫌われている。
そんな姿を見られないために、ルーナは見回り中のフォルモントから身を隠してきたのだ。
今更醜態を晒したくはない。
はっきり拒絶したルーナに、フォルモントは唇を尖らせる。
「オレはルゥが嫌がることはしないよ、絶対。だから、マジで死ぬほど嫌なんだったら仕方がない。けど、一緒に来てくれるとめちゃくちゃ嬉しい」
「なんでよ。ひとりで行けるでしょ」
「ルゥの家で暮らすための物も買わなきゃだし、食材もなーんもないから買わなくちゃいけないんだよ。ひとりじゃ、大変だろうなぁ」
フォルモントが苦悩したような深い深いため息を吐く。
しばらく買い物には行っていなかったし、そろそろ行かなければとも考えていた。
彼が言うとおり、ひとりで荷物を抱えて帰ってくる大変さも知っている。
だが、フォルモントと街に行くことには抵抗がある。
「ルゥが来てくれないと、しんどいな……。荷物は重いし、心臓にも負担がかかるかも……」
「そんなわけ、ないと思うけど」
激しい運動は確かにフォルモントの心臓に負担をかける。
だが、買い物ごときで……?
ルーナは迷ったが、自分の分の食材もあるだろうにフォルモントに任せるのは申し訳ない気がしてきた。
ただでさえ、食事も用意してもらって、掃除もほとんどやってもらっているのだ。
このままでは、フォルモントはルーナの家政夫のようになってしまう。
手伝わないわけにもいかない気がしてしまった。
「……わかった。わかったわよ、行くわよ」
「お! よっし! 行こう行こう! 買い物デートだな!」
「デェ!? 浮かれないでよね! っていうか、あんた後悔することになると思うわよ。あたしを連れて行ったこと」
嫌われるルーナの隣をフォルモントが歩いていて、いい効果があるとは思えない。
そう言われたら嫌になるのではないだろうかと軽く脅してみたが、フォルモントはカラカラ笑うだけだった。
「後悔なんてするかよ。楽しみだな」
笑った彼の口元に見えた白い歯が眩しかった。