居候希望と悪しき魔女 06
髪を整えるために、フォルモントの手がルーナの長い髪と首筋の間をくぐる。
胸に掛かっている髪を背中に流す手つきが優しくて、心臓が爆発する思いがした。
髪に触れる彼の手が、時折ルーナの首筋や耳に触れる。
集中しているらしいフォルモントは何も言わなかったが、ルーナはドキドキしすぎて彼の肌が触れる度にドギマギしてしまっていた。
ショキ、と耳元で音がする。
それを最後にフォルモントはルーナの背後から離れた。
髪を切られている時間は永遠のようにも感じられた。
この緊張しかない時間はもう終わる。
ほっとして瞬きをした直後、眼前に迫ってきたフォルモントの顔にルーナは目を見開いた。
「ちょ!? ち、かい。近い!」
「はいはいお静かに~。前髪切るから」
なでなでと前髪を整えられる感触は、額を優しく撫でられている感触と何が違うのか。
月色の瞳にかかる群青色の睫の影まで、すべて見える。
近すぎる距離感は少しでも動けば何かが触れてしまいそうな気がして、ルーナは硬直しているしかなかった。
「目、閉じてて」
言われたとおりにギュッと堅く目を閉じる。
すると、髪と額の隙間にハサミが入り込んできた。
額にハサミの冷たい感触が触れて、肩が僅かに跳ねてしまう。
ハサミが何度か動いた後、フォルモントが小さく息を吐く音が聞こえた。
「開けていいよ」
言われて、そろりと目を開ける。
フォルモントはもう離れているものだと思っていたのだが、彼はさっきと変わらない距離感で傍に居た。
びっくりするくらいの近距離で、フォルモントはびっくりするくらいに美しい笑みを浮かべる。
そして、心の底から満足そうに頷いた。
「うん、やっぱ可愛い。ほら見てみろ。ルゥは最高最強に可愛いんだぞ」
至近距離で恥ずかしいことを言いながら、フォルモントはルーナに手鏡を渡してくる。
恐る恐る覗いた鏡に写る自分の見違えた姿に、ルーナは言葉を失った。
鎖骨の辺りで切りそろえられた赤い髪は細い首筋を際立たせている。
白い肌に赤い瞳が映えていて、見た目だけでは悪しき魔女にはとても見えない。
「ま、まともになってる……!」
健康そうな雰囲気のまともな少女。
それこそルーナがなりたかった存在だ。
フォルモントは「まとも……?」と怪訝そうにしていたが、少なくとも今のルーナはボッサボサの赤髪ではない。
他にもフォルモントに嫌われる要素はあるのかもしれないが、少しは安心できた。
「あ、ありがとう、フォル」
座り込んだまま、ちろりとフォルモントを見上げて礼を言う。
顔を見て言うのは恥ずかしすぎたからだ。
フォルモントは一瞬フリーズしてから、「あ゛~。うん」という、おっさんのような声をあげた。
何やら照れている様子のフォルモントを不思議に思いつつも、ルーナは髪の毛を払って立ち上がる。
髪の毛が大量に落ちている布を丸めていると、フォルモントが手伝ってくれた。
「今日は遅くなっちまってごめんな。いつも通り朝から来るつもりだったんだけどなぁ」
布は古かったし、何かの薬液の匂いも強いため、このまま捨ててしまうことにする。
燃やすためのゴミエリアへと丸めた布を置いて振り返ると、フォルモントが眉を下げていた。
「大丈夫よ。昼まで寝てたし」
「また昼夜逆転してたのか? まったく……」
困った子どもに呆れる保護者のような言い草に、ルーナは唇を尖らせる。
だって考えていた術式がうまくいきそうだったのだから仕方がない。
ドアをくぐると今日は寝坊してしまったために、ポストの下に置き忘れてしまっていたバスケットが目に入る。
この間はグミの実のゼリーを作ってくれた誰かさんに、「ぷるぷるでおいしかったです」という手紙を入れてある。
「ルゥ。そのバスケットなんだけど……」
誰かさんはいつ来るかわからない。
とりあえず外に置いておかなければならないだろうと思い、バスケットを持ち上げたルーナに声が掛かる。
もしやフォルモントは、ルーナがこのバスケットで怪しい取引をしていると勘ぐっているのか。
騎士の勘とやらが働いたのかもしれない。
その証拠に、彼はとてもとても言いづらそうな表情をしている。
「このバスケットは怪しい取引なんかに使っちゃないわよ。お菓子と手紙を交換してるだけ」
「だから、その相手は……」
「このバスケットでのやりとりは、あたしにとって大事なことなの。だから、同居することになっても口出しはしないで。安心しなさい、お菓子は分けてあげるから」
フォルモントは年上としてまたは騎士として、ルーナに知らない相手からもらったお菓子を食べるなと言いたいのかもしれない。
ルーナだって、最初にこのバスケットがポストの下に置かれていた時は警戒した。
入っていたグミの実を一粒薬液に沈めて、毒が混入していないか調べてしまったほどだ。
だが、4年ものやりとりを通じてルーナは誰かさんのことを心から信頼している。
たった一言二言の言葉のやりとりとお菓子をもらっているだけの間柄だが、ルーナにとって誰かさんはとても大切な存在なのだ。
フォルモントが同居することになったとしても、やりとりをやめる気は無い。
その意思を伝えてしまってから、ルーナはハッとする。
まだ同居に関する返事を聞かれてもいないのに、ヘタなことを言ってしまった。
同居することを楽しみにしていることがバレてしまっただろうか。
バスケットを持ったままフォルモントの様子を窺うと、彼は月色の瞳をきらめかせていた。
「それって、同居はオーケーってこと?」
「……2階を貸すだけよ」
「い、いつから来て良いんだ? 明日? 今夜?」
「今夜はベッドがないじゃない」
「床でも寝れるっての! 今夜から!?」
フォルモントの瞳が眩しいほどに輝いている。
美形の見せる無邪気に喜ぶ表情が、尊くないわけがない。
あまりのまぶしさに目を細めてしまったルーナは、頷いてしまっていた。
「勝手にしなさいよ」
「よっしゃぁああああ!」
悪しき魔女の家に居候することになったというのに、フォルモントは何がそんなに嬉しいのか。
そもそも彼はルーナの世話をするために同居したいと言っていたはずだ。
とんだ変わり者か、とんでもないお節介か。
そんなのはどちらでもいいくらい、ルーナは誰かと暮らす生活に内心ウキウキしてしまっていた。
「じゃ、バスケット置いてくるから」
「いってらっしゃい。オレは夕飯の仕込みでもするかなぁ」
弾む声で言うフォルモントに背を向けてから、ルーナは満面の笑みを浮かべる。
外に出たルーナがポストの下に置いたバスケットの中に入れた手紙には、ゼリーの感想の他に近況を添えていた。
『一人暮らしとさよならすることになりました。同居生活はじめましてです。嫌われないように過ごしたいと思います』