居候希望と悪しき魔女 01
フォルモントを助けてからというもの、ルーナの家は変わった。
週に1度やってくるフォルモントは必ず朝から来て、日が暮れる前に帰って行く。
その間彼は掃除をしたりベッドのシーツを変えてくれたりと、ルーナの生活環境を整えてくれていた。
フォルモントは心臓をメンテナンスしてくれている礼だと言っていたが、これはやってもらいすぎなのではないだろうか。
ルーナが少々の申し訳なさを感じて手伝うと、なぜかフォルモントはいつも嬉しそうにしていた。
そんな彼が来る日が今週もやってきたということに気がついたのは、カレンダーに斜線を引いたからだ。
このカレンダーはフォルモントが買ってきたもので、彼が勝手に壁にかけていった。
フォルモントが来る日には、彼自身が星印を書いたからよくわかる。
彼のつくる食事がおいしいおかげで、ルーナはこの星印の日を待ち遠しく感じるようになってしまっていた。
窓の外に日が昇った気配を感じて、カレンダーに斜線を引いたルーナは目をこする。
今まで研究に没頭していたときは、時間の流れなんて感じてもいなかった。
でも、こうしてカレンダーに斜線を引くことが日課になった今、自分がいかに不健康な生活を送っているのかがよくわかる。
なにせ、3日も寝食を忘れていたことに気がついてしまった。
どうにもおなかが減るなと思っていたが、3日も忘れていたとは思っていなかった。
それもこれも全部、キッチンでめちゃくちゃになっている免疫向上薬の研究が思うように進まないことが悪い。
じとりとキッチンを睨んでいると、だんだん目眩がしてきた。
(やば……)
ぐらっと傾いだ体を支えるためにテーブルに手をつくと、上に載せていたガラス瓶が床に落ちて割れてしまった。
拾わなければと思ったのに、空腹と疲労が限界に達した体は言うことを聞かない。
その最悪のタイミングでドアがコンコンと鳴った。
朝っぱらからやってくるフォルモントだ。
彼はいつも朝早くにやってきて、ノックをしてルーナが起きているかを確認する。
返事がなければ、彼は外でのんびりと座って待っているのだ。
「ルゥ?」
ドアの向こうから怪訝そうな声がする。
寝ていたことにできれば良かったのだが、ガラス瓶を落とした音はドアの外まで聞こえてしまっていたようだ。
よく鍵をかけ忘れるドアは、残念なことに本日もかけ忘れていた。
遠慮がちに中を覗いてきたフォルモントと目が合ったルーナは、机の横で這いつくばっていた。
「大丈夫か!? どうした? 変な薬でも飲んだのか?」
駆け寄ってきたフォルモントがルーナを抱き起こして、顔を覗き込んでくる。
朝日に照らされるその顔の神々しさといったら、言葉にできない。
キッチンの惨状を見たフォルモントはルーナが薬をつくっていたことを察して、心配してくれているのだろう。
このままではエーゲリアで名を馳せるあの良き魔女の元に運び込まれかねない。
ルーナは緩く首を振って、恥ずかしながら白状した。
「……おなか、すいた」
「……は?」
3日も寝食を忘れていたという、あまりにも間抜けなルーナの話を聞いている間、フォルモントは半眼になって呆れていた。
それでも世話焼きの彼は文句も言わずにルーナをベッドに寝かせ、カオスと化したキッチンも片付け、あっという間にミルクパン粥をつくって持ってきてくれた。
「起きてるか?」
ベッドの横に立っているパーテーションに顔を向けて丸まっていたルーナは、かけられた声に目を開ける。
おなかが空きすぎていて、眠れもしなかった。
香ってくる優しいミルクの香りは、食べる前から胃を癒やしてくれている気がする。
見上げたフォルモントの表情は、怒りと心配を半々にしたようなものだった。
「ありがと」
これだけ迷惑をかければ怒られても当然だ。
のっそりと起き上がって、そろそろとフォルモントから器を受け取ろうとすると、彼は器を引いてしまう。
こんなにおいしそうなのにおあずけなのかと、思わず眉を下げるルーナに、フォルモントはため息をこぼした。
「そんなふらっふらで、こぼしたら危ないだろ? まともに生活もできない悪い子は、あーんの刑だ」
聞いたこともない罰に、ルーナは首を傾げる。
寝不足に気がついてしまった頭はぼんやりして、言葉の意味を理解することができなかった。
フォルモントは粥をスプーンですくうと、湯気のたつそれに優しく息を吹きかける。
そして、こぼれないようにスプーンをルーナの口元へと差し出した。
「はい、あーん」
「あむ」
普段のルーナなら、恥ずかしがって大声をあげていたことだろう。
だが、今のルーナの頭はまったくもって回っていない。
差し出されたスプーンを素直にパクリと咥えたルーナに、フォルモントはまたため息を吐く。
ルーナが今理解しているのは、口の中にほんわりとした優しい味が広がったということだけだ。
「どんだけ無防備……。こんなんでよくひとりで生きてたな。こういうことは今までもあった?」
「あった」
「あったのかよ。ひとりでどうしてたんだ?」
「倒れて、目が覚めてから何か食べた」
「そんなんじゃいつ死んだっておかしくないだろ……」
「死ねない。星空の泉があるし、あんたもいる」
星空の泉に設置してある魔力移送装置も魔力濾過装置も、構造が複雑すぎて並の魔術師では理解ができない。
ルーナは自分が死ねば、星空の泉を管理できる者がいないのではないかということを常に心配していた。
それに今はフォルモントがいる。
彼を生かすことができるのは、間違いなくルーナだけだ。
簡単には死ねない。
そう思っていたのに、研究に没頭して寝食を忘れてしまった自分が情けない。
「死ねないと思うなら、ちゃんと食べてちゃんと寝なさい」
保護者のように優しく叱ってくれるフォルモントが差し出してくれる粥を、ルーナはひな鳥のように受け取った。
ぱくぱくと完食すると眠たくなってくる。
眠気に負けて座ったまま船をこぎ出したルーナの背を支えて、フォルモントは優しくベッドへと寝かせてくれた。
「オレの前で、そんなにかわいく寝ちゃって大丈夫なの?」
「うん」
「寝顔見ててもいい?」
「うん」
夢の世界に片足を突っ込んでしまっているルーナは、フォルモントの問いにうつらうつらと答える。
「仕方ない。いろいろと耐えて傍に居てあげよう。おやすみ、ルゥ」
撫でるような柔らかい声が、より一層眠気を誘う。
ふっと意識が途切れたルーナは、長い間眠り続けた。