孤独を知らない悪しき魔女 04
会話が途切れたところで読書を始めていたルーナは、鼻腔をくすぐる香りに本から顔をあげた。
いつの間にかダイニングテーブルの上にはスープとパン。
それからグミの実のジャムが置いてあった。
「ジャム。勝手に出したけど、大丈夫だったか?」
「ええ、大丈夫」
もう半分ほど使ってしまったグミの実のジャムは、本当においしかった。
甘酸っぱさのはじけるジャムはどんなパンもおいしくしてしまう。
この白いふわふわパンにのせたらどんな味がするのだろうと、考えるだけで胸が躍った。
「おいしそう」
「そりゃよかった。そんじゃ、いただきます」
「いただきます」
挨拶をしたフォルモントに続いたルーナは、早速白いパンにジャムをのせる。
白と赤のコントラストは、見た目から既においしい。
ぱくりと一口かじりつくと、パンの甘みとジャムの甘酸っぱさが口内で溶け合った。
「おいしい……!」
「はは、ルゥってそんな顔して食べるのか。見られて良かった」
「……どんな顔」
「すっごい幸せそうな顔」
くすくす笑いながらフォルモントは野菜スープを飲んでいる。
彼がつくってくれた野菜スープは塩加減もちょうどよく、ほっくりと体を包み込むような優しい味がした。
「なあ、ルゥ。今日、迷惑じゃなかったか?」
「迷惑? 掃除が?」
「それもだけど、オレが家に居座ったことが」
朝っぱらからやってきて、脅し文句で掃除をはじめ、断りもなしに非番だから一日いるとのたまったものだから、そんな遠慮はない人間なのだと思っていた。
予想外におずおずと訊ねてくるフォルモントは、迷惑になっていないかと不安に思っていたのだろう。
ちらちらこっちを見てくるその顔が、こちらの機嫌を窺っているのがわかる。
大の大人がそんな表情をしている姿は、かわいらしく映った。
「こんなごはん作ってもらって掃除までしてもらって、迷惑だなんて言ったらバチが当たるわよ」
「じゃあ、来週もこうやって一日いてもいいか?」
「非番の度に来るの大変じゃない。仕事終わりでもなんでも来たら良いわ。どうせ他に来客なんかほとんどないんだし」
「オレが来たいんだよ。だから、ここでまた一緒に食事しよう」
口元を綻ばせるフォルモントが、やたら嬉しそうなのはなぜなのか。
やはり防衛隊長ともなると、エーゲリアにいるだけで非番だろうと仕事気分で息が詰まるものなのかもしれない。
ここはエーゲリア市街からは離れているし、森の中で人気もない。
もしかすると彼は喧噪から離れたいのかもしれないという結論で、ルーナは納得した。
食事を終えた後、ようやく本題である心臓《だいたい》術式のメンテナンスを行った。
胸元をはだけさせるフォルモントは目に毒な感じはあったが、仕事モードに切り替えれば問題ない。
クールにメンテナンスを終えたところで、外は暗くなってきはじめていた。
「そんじゃ、また来週来るから。ちゃんと鍵かけろよ?」
「はいはい」
ドアを開けてフォルモントを見送るルーナは、彼に見えるように掃除中に発掘された鍵を振り回す。
にっと笑った彼が、まだ置かれたままのポストの下のバスケットを見つけたのがわかった。
「それは、置いといて」
バスケットを見つめる彼の背中に声をかける。
「そのバスケットは、大事なの」
悪しき魔女であるルーナに施しをしてくれたのはフォルモントが現れるまでは、このバスケットを運んできてくれる『誰かさん』だけだった。
自分は悪しき魔女ではなく人間なのだと思わせてくれる唯一ものだった。
フォルモントは、「へえ」と言ってバスケットから視線を外す。
その声はどこか弾んでいた。
「おやすみ、ルゥ」
「おやすみなさい。……フォル」
沈みかけた日の光に照らされたフォルモントは眩しそうに目を細める。
名残惜しそうにこちらを見てから背を向けた彼は、ひらひらと手を振って去って行った。
(休日の終わりって寂しく感じるらしいものね)
休日なんて存在しないルーナはそんなことを思いつつ室内に入ると、言われたとおりにドアに鍵をかけた。