死にたがり英雄と悪しき魔女 01
「やだ、血濡れの悪しき魔女よ」
「なにを買うのかしら。血を飲んで生きてるって噂よね」
(なによそれ。あたしは吸血鬼か)
深く被ったの黒いローブのフードから、伸ばしっぱなしの緋色の髪が胸へとこぼれ落ちる。
うっとうしい髪を耳にかけたルーナが噂をしている女達の足元に深紅の瞳を向けると、彼女たちは「ひっ」と悲鳴をこぼして逃げていった。
なぜ避けられたかは知っている。ルーナと目が合うと呪われるという噂があるからだ。
ここは魔術都市エーゲリア。
国中から魔術師が集まるこの街で、ルーナ・ニュクスは悪しき魔女と恐れられている。
彼女がこの街でも珍しい国家魔術師であり、その中でも最上等級の金剛級魔術師であっても関係はない。
みんながルーナを悪しき魔女と呼ぶのであれば、この街ではルーナは悪しき魔女なのだ。
悪しき魔女が昼間から市街を歩くという行為は、住人の邪魔にしかならない。
そのことを賢い頭で理解しているルーナは、一度の買い物で一気に買い物をする。
背負ったリュックには荷物が既に大量に詰まっており、小柄な彼女を更に小柄に見せている。
ルーナの骨ばった肩に、その巨大なリュックは重量オーバーだ。
よろつきながらも、ルーナは本日最後の用事がある鍛冶屋に入る。
露骨に嫌な顔をしたハゲ頭の店主を見上げて、ルーナはローブのポケットから銀貨を取り出した。
「これで買えるだけのガラス瓶をお願い」
「お代はそこに置いてくれや」
化け物相手みたいに警戒している店主は、鉄のキャッシュトレーをずいっと差し出してくる。
悪しき魔女に触れると腐るという噂があるからだ。
慣れているルーナは、握った銀貨をキャッシュトレーに触れないように落とした。
「おい、包まなくていいな?」
悪しき魔女であるルーナが一秒でも店に長居することが嫌なのだろう。
本当はガラス瓶が割れないように包んで欲しいところだが、賢いルーナは黙って頷いた。
渡されたガラス瓶をいったん下ろしたリュックに詰め込んで持ち上げる。
その重量に非力な体はぐらぐらと揺れたが、店主は鬱陶しそうにルーナを見ているだけだった。
「どうも」
軽く頭を下げて、ルーナは店を出る。
店主の安堵のため息が、背中に聞こえた。
嫌われ者の悪しき魔女が人々のためにできることは、家に引きこもっていることだ。
だが、一人暮らしのルーナが完全な引きこもり生活を送ることは難しい。
たまの買い物に行くたびに針のむしろになることは煩わしかったが、仕方の無いことだ。
よろよろと歩いて行くと、石畳の道とカラフルな街並みが途切れ、周囲は真っ黒な木々のみの景色になっていく。
エーゲリアは植物がすべて黒く変色した夜の森に隣接している。
その森に立つ黒い蔦が巻き付いた赤茶色のレンガで造られた家が、ルーナの住処だ。
木でできたドアの前に立っている赤いポストの下にバスケットを見つけたルーナの疲れた表情が華やいだ。
(今日も『誰かさん』が来たんだ!)
足早に駆け寄った軋むドアを開けて、獣が暴れ回ったかのように散らかった部屋に、下ろしたリュックをずずずと両手で押し込む。
それからルーナは、ポストの下のバスケットに向き合うためにしゃがみこんだ。
4年ほど前から週に何度かこのバスケットは届けられるようになった。
このバスケットの届け主が誰かは分からないため、ルーナは『誰かさん』と呼んでいる。
かけられた布をそろりとめくると、中からは甘い香りがした。
「グミの実が……パイになってる!?」
グミの実とは低木になるカラフルな甘い木の実であり、ぷにゅぷにゅとした独特な食感が特徴だ。
お菓子に使われる材料であり、ルーナの主食でもある。
いつもは生で食べるグミの実がパイになっていることに嬉しい衝撃を受けたルーナは、目を輝かせる。
甘い香りを堪能してから、ルーナは紙で包まれたパイの横に差し込まれた手紙を取り出した。
ペーパーナイフも使わずにビリビリと封筒を開けると、封筒と同じくそっけないシンプルな便せんが出てきた。
『あなたの好物のグミの実をパイにしてみました。中に入れたジャムの余りも入れておきます』
しっぽが跳ね上がっている右肩上がりの文字で綴られた文章も、誰が書いているのかは分からない。
だが、今のところお菓子に毒や薬が入っていたこともないし、良い人であることは確かだ。
今日もお菓子を持ってきてくれた誰かに心から感謝して、バスケットを持ち上げる。
もう一度かかっている布を持ち上げて、パイの奥にジャムの入った瓶を見つけたルーナはにまにましてしまう。
買い物してきた物を片付けることも忘れて、パイを食べようとドアを開くルーナの耳に足音が届いた。
何やらこちらに向かって走ってきているらしい。
ルーナは夜の森にある、星空の泉の管理を国から任されている国家魔術師だ。
こんな不気味な森に入ってくる輩を無視するわけにもいかず、バスケットを持ったまま警戒していると、エーゲリア市街の方から男が走ってきた。
銀縁のめがねをかけた生真面目そうな男だ。
細身な体躯のせいで一瞬魔術師かのように見えるが、群青色の騎士団の制服を着ている。
ひとつにくくったプラチナブロンドの長髪を揺らして走る彼は、ルーナも知っているエーゲリアの有名人だ。
アイゼン・バディード。ドラグノア騎士団エーゲリア防衛隊副隊長だ。
なぜ彼が走ってきているのだろう。
不思議に思って目をこらすと、アイゼンの背に誰かが背負われている。
ぐんぐん迫ってきたアイゼンの背に誰が背負われているのかわかった瞬間、ルーナはローブの中で身を固めた。
(ノックス隊長……!? なんで!?)
フォルモント・ノックス。
エーゲリアを守る騎士団の隊長であり、ドラグノア王国の英雄でもある彼に、ルーナは一度だけ会ったことがある。
そして、その顔の造形美に見惚れ、憧れた。
つまり、フォルモントはルーナの推しだ。
そんな推しが群青色の夜空を思わせる頭を垂らして、ぐったりとした状態でアイゼンに背負われている状況にルーナは慌てて大声を上げた。
「なにかあったノッ!?」
普段人と話さないから、大きな声は最後がひっくり返ってしまう。
アイゼンはルーナの目の前まで来ると、柳眉を寄せた。
「ニュクス女史。突然押しかけて申し訳ない。更に急な告白で申し訳ないのだが、緊急時なので簡潔に伝える。――うちの隊長はあなたが考案した心臓代替術式で生きながらえている。そして、さっき突然胸を押さえて倒れた」
いきなり情報量が多かったが、混乱している場合ではない。
なにせ推しが死にかけている緊急時なのだ。
ルーナはバスケットを持ったのんきな姿のまま、この世の終わりを目の当たりにしているくらい、真剣な声と表情で言った。
「入って。すぐにどうにかするわ」