異世界という新たな宗教形態
異世界という概念は特に若い人にとって有益となり得る新たな宗教形態である。これからの人類の希望となり得る極楽浄土についての考察録がなろう小説であり、人類の歴史を遡り、天国や極楽浄土という概念の元に個々人が想像できる程度の限界を夢想させていただけの職務怠慢な既存宗教に取って代わり、エキスパート達が操る言語と言葉でもって個々人が想像できる程度の限界を遥かに超えた天国極楽浄土概念の提供と共有を唯一なし得ることに成功した集合型宗教が異世界である。
異世界は仏教ほど複雑ではなく、それでいてかつてないほどの情報量を誇る新たな天国概念の形成に成功している。天国の夢想とはいわば大衆が個々に秘める全人類的な願望であったが、情報の集約作業もなされず上から押し付けられる天国概念を享受するしかなかった彼らはそれしかなかったが故にそれに縋るしかなく、宗教から利用されるだけのそれらは個々人の人生に最良の幸福をもたらしたとは言い難く、その悲哀に満ち溢れたであろう人生があったことは想像に難くない。
しかし今世紀に入り、その概念は異世界という定義付けの元に集約されることとなる。
仏教の極楽浄土の限界とはいわば、限られた人間が限られた言葉と単語で抽象的に綴るしかできなかった不良品のそれである。
異世界はその概念を現代的な視野と知識で物の見事に乗り越えて幅広い天国概念を提供することに成功している。
ここでは異世界を宗教と定義付けして終わるつもりはない。本気で異世界に行きたいし、それこそかつての人々が天国や極楽浄土に本気で行けると思っていたぐらいには信じたい。
ただそれだけでは不十分だ。端的に言って色々な人が異世界についての考察録を語り過ぎて概念が全く統合されておらず、定量化も包括も出来ていないからである。
数ある異世界(なろう小説)を集約し、その整合性が取れるようなメタ異世界を設立することをこのエッセイの目的とする。これでもって異世界宗教の完成とすることが今の夢であり、自分が入信するであろう新たな宗教形態の確立である。