異界の住処
鼻の上がもぞもぞとし、すぐに顔の上を短い毛の生えた小さい何かが走り抜けるのを感じた、そうして意識が徐々に現実に引き戻された、これは現実?視界はぼんやりとして、焦点を合わせられない、まだ老眼にはなっていないはず、光の筋が数本顔に当たる、ここは物置?職場にこんなスペース有ったろうか、外光が漏れるのは外装材の補修が必要ということだ、補修箇所を確認しなければ。
それにしても不思議なそして嫌な夢を見た、僅かだが今も体のあちこちに鋭い痛みを感じていた。
そういえばさっきの気持ちの悪い感じはネズミだろうか、衛生管理担当に連絡する必要があるな、生物が実験施設に入り込むなんてありえないし大問題になる、そしてこの報告書はまた俺が作るのか?ええと駆除業者は、タブレットが見当たらないのでポケットから手帳を探す、スマホに電話番号は入れていないのだ、徐々に視界が戻ってくるとおかしな事に気がつく。
此処はどう見ても実験施設の部屋ではない、床は土?土間というやつだそんなものは職場どころかこの近くにありはしない、壁は木の枝を組み合わせている・・・家具は何もなく、そうか、なんだ博物館の展示室なのか、縄文人とか弥生人とかの居住展示室に紛れ込んだのか、職員に見つかって怒られる前に早く退散しよう。
その前に手持ちの装備を確認、行方不明のタブレット、ロープの切れた安全帯、割れたヘルメット、忘れ物は無しと、スマホはバッテリーが切れている、早く職場に帰って充電しないと。
扉らしいものは製材されていない節だらけの木の板で出来ている、その歪んだ扉を開ける、と、二つの黄色い目が俺の目を見つめていた。
「うあ。」
飛び退くことも出来ずに固まる、それはでかい目だけ、普通ならその目が着いているはずの本体が無かった、その大きさはソフトボールくらいの大きさでそして俺の目の高さにそれは浮いている、目がこの大きさなら本体があったとしても大きさは想像もしたくない。
一歩も動けないまま俺はその目を凝視していた、その後ろには限りなく深い森が広がっている、どこかの展示室の室内とは到底思えなかった。
じっとり汗が滲み心臓が早いリズムを刻む、その睨み合いのうちにこちらを見つめていた黄色い目の周りが揺らぎ空に向かってふわりと飛んで行ってしまった。
「幻覚?これは過労による幻覚なんだよきっと」、床にヘタリ込む。
扉の向こうにある森の下草には見知らぬ菱形の実が着き、そこかしこに枯葉が舞い始めている、森の木々は色を変え秋の様相を示している。
「いやそんなはずは無い、今は春になったばかりだ」
じっと目玉が消えた方向を見つめたままどのくらいの時間放心していただろう。
少しは冷静さを取り戻し、周囲に注意をしつつ部屋の中をもう一度見回してみる、ここは狭い小屋のようで面積は、ざっと4畳ほど以下か、台所とかトイレとかも見当たらないので無いか屋外にある?。
とにかく、俺はこれがたとえ夢であろうと現実として対処する事にしよう、そうと決めた。
あの目玉の様なものがまた現れるか他にもいたとして、誰の所有物かは知らないがこのボロい小屋で身を守り他を探すまでの数日は此処で生き延びるために方法を練らなければならない、当面職場には戻れないと覚悟する、震災対応のサバイバルの勉強をしておけばよかったと後悔した。
まだ明るいうちに小屋にあるものや加工すると使えるものを仕分けて置く、
安全帯に残っていた作業用のツールキットを使って外に落ちている木の枝を加工してドアを補強し、削って武器の槍を作る、専用工具ではないためにこれだけでかなりの時間がかかり辺りは暗くなってくる。
「ドラクエのlv1の勇者みたいだよ、初期装備の武器は木の棒か」
一人言ってみたが反応する人は居ない。
急に心細くなる、このまま夜になれば一人闇の中という事だ、おまけに食糧も水も必要だが、もう外に出るのは危険だった。
これは現実ではないとの思いが夜の深まるにつれて闇に飲み込まれていく。
何だかわからない獣か魔物の声かそれとも何かの音かが森に満ちていく。
無事だった設備点検用のLEDライトは電池残量が不安なためにswを切ったままただ握りしめて、そして朝まで眠ることができなかった。
明日は水を探そう・・そう心に決め夜があけるのをただじっと待った。
朝までに聞こえた音の中に何かの断末魔の悲鳴、骨を砕く音が混じっていた様な気がした。
世界に明るさが戻り始め、夜の帳が掻き消されようとし始めた時、何処からかやけに楽しそうに歌う男の声が聞こえてきた。
「転生者は何処にいる、昨日のやつは竜の餌、去年のやつも竜の餌、300年前の転生者、魔王を食って魔王になった」
小屋の前で歌が止んだ、何かの言葉が呟かれるといきなり扉が吹き飛ばされた。
「やほー、昨日の転生者は君だね、ちょっと確認させてくれないか、おっと失礼自己紹介を忘れていたね、僕は王の側近のポロロと申します」