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札差と獺の江戸ぐうたら。  作者: 安東捨一
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第二幕 妖かしの先達

「おい、良膳、ぐうたらしてないでデサジュノ食いに行こうぜ」

「えーやだよ、めんどくせぇ。あと朝飯って言えよ、頭ん中からお前しか使わねぇイスパニアの言葉を探し出すのがこれまためんどくせぇんだよ」


 六畳程度の廃寺の中で所狭しと文字通りゴロゴロと転がる良膳、それは彼特有のぐうたらの仕方。

 転がる良膳をちょこまかと追い掛けながら飯に連れて行けと催促する風路。


 休みの度に繰り返されるこの光景、そう、良膳は生粋の出不精だった。


「何も魚や鰻を食べさせろって言ってるんじゃねぇんだ、蕎麦でもいいからさぁ」


「いいよ別に、魚でも鰻でも食べて来いよ」

 ぽーんと重そうな巾着を懐から投げる良膳。


「え、いいのか」

「いいよ、いいよ」


 この時代、庶民や下級の武士の食事は米と漬物と少量の野菜が基本で魚を食べられるなんて月に二、三度、こんな廃寺に住んでいるが良膳は札差の仕事でそこそこ稼いでいた。


「良膳は行かねーのか」

「俺はいいよ、面倒くせぇ。あ、鰻の串があったら一本買ってきてくれよ」

「分かった、鰻の串だな、任せとけ!」


 風路は柏手をぽんっと一つ打つと飛脚風の若者に変化する、そして巾着を拾い上げると嬉しそうに廃寺を飛び出していった。


「いってきまぁす!」

「元気だねぇ、休みってのは休まねぇと休まらねぇだろうに」

 邪魔者の居なくなった六畳を目一杯使って再びゴロゴロと始める良膳、それで本当に休めているのか多少の疑問が残る。


「魚、鰻、どぜう♪」

 巾着を握りしめて飛び跳ねるように走り浅草へと向かう風路、その口元には多少の涎が煌めいている。


 ドンッ!


「いってぇ! 何だよ!」

 頭の中がお花畑ならぬお魚畑だった風路は前をよく見ていなかったのか何かにぶつかった。


「なんだはこちらの台詞です、化け狸さん」

「誰が狸だ、オレはカワウ……いや、ちげぇ、化けてんだから人だったわ」


 ぶつかった相手は高貴な公家のような格好で黒い髪が腰までまっすぐと伸びた美しい男。


「公家がこんな林にいるわけねーだろっ」

 風路はあからさまに怪しいその男に文句を垂れる。


「化け狸さんにはわたくしの変化は通用しませんか」

「いや、馬鹿なてめぇにふたつ教えてやる、まず公家は一人で林に居ねぇ、そしてもうひとつ、オレは狸じゃなくてカワウソだ、化け狐」


 妖かしの者同士、相手が人でないかそうでないかくらいは互いに分かるようだ。


「カワウソとな、聞いたことがあるような、はて、ないような、されど何故わたくしが狐と?」


「尻尾」

 公家の格好の男の尻を指さす風路。

 そこには立派なもふもふの尻尾が二本突き出していた。


「ホホホ、私としたことが、まだ妖かしに成ったばかりで変化にも慣れておらぬでの」

「へーそうかい、もう行くぜ、デサジュノがオレを呼んでるんでな!」


「でさじゅの?」

「朝飯だ、朝飯」


「ほう、わたくしも小腹が空いているのですが、人間の町には不慣れでの、一緒に連れて行ってはくれまいか」

「一人飯は好きじゃねーから連れてってやるのは構わねぇが、もっと普通の何かに化けれねーのか」


 公家風の男は自分の着物をしげしげと見つめて答える。

「何か間違っているか?」

「間違ってねーが大間違いだ、ローマに行ったらそこで見たものを真似しろって言うだろ」

「ろーま?」

「気にすんなイスパニアの諺だ、つまり浅草に行くなら浅草にいそうな奴の格好になってみろってこった」


「ふむ」

 男は少し考え込んでくるりと一回りする。

 ぼんっ!


 霧のような、煙のような、白いもやに包まれた男が次に見せた姿は幼い町人の娘だった。


「どうであろうか?」

「まぁ、しゃべり方はめちゃくちゃだがよく出来てんじゃねーの、腹減ってんだ、行くならさっさと行こうぜ」


 風路は少女の手を引いて走り出した。

 飛脚と少女、引っ張られる少女はその飛脚の速度に付いて行けず地に足も付いてない、端から見れば|拐≪かどわ≫かしにも見える光景だが、妖かし達はそんなことは気にしていない。


「ところで、てめぇは|雌≪めす≫か」

 風路が少女に尋ねる。


「さぁどうだろう、妖かしになる前の記憶が曖昧なので分かりかねる」


「いやいや、変化を解けば分かるだろう」

「そうだとは思うんだが、変化を解くというのがよく分からなくてな、狐に戻る時は狐に化けてるようなもんだ、雌でも雄でもどちらでも、その時の気分で化ける」


 こりゃけったいな奴を拾っちまったなぁ、こんな奴を連れて帰った日には良膳のめんどくせぇ祭が始まっちまう。

 たらふく飯を食わせたら、どこかに置いて帰るかな。


 そんなことを考えながら二人は浅草へと辿り着く。


「おい、何が食いてぇんだ」

「何と言われても、妖かしになったばかりで人の食べ物に馴染みもないもんでな」


「またそれかい、しょうがねぇな、妖かしになった祝いに先達として今日はうめぇもんを食わしてやるよ」


 少女は風路の陰でにやりと笑った。


「おぉ、ありがたい、其方は菩薩の生まれ変わりかも知れぬな」

「馬鹿言ってんじゃねぇよ」

 口ではそう言いつつも何やら嬉しそうに口元を綻ばせる風路。

 

 まずはしじみ売りを見つけた風路。

「おい、ありゃうめぇぞ」

 風路が柏手を打つと手元にざるが現れる。


「おい、しじみ屋これに一杯入れてくれ」

「へい毎度」


 風路はしじみを受け取ると、生のままそれの殻を歯で砕いて身を取り出し、狐少女の口にひょいと放り込んでやる。


「どうだ、うんめぇだろ」

「んぐんぐ、まぁ悪くはないが、こういうのは拾いに行けば食べられるし、狐にはちょっとな……」


 狐少女のいまいちな反応に、うめぇもんを食わせるといった手前ムキになってしまう風路。


「こりゃ、あれだよ、まずは先付けってやつだ、うめぇもんはこれからだよ!」

「そうか、頼む、不慣れなわたくしにうまいもんとやらを教えてやってくれ」

「任せとけ!」


 そこからは魚の行商を見つけて魚を買い近くの長屋の朝飯のついでに焼いてもらって食べさせ、次は鰻を食べさせ、その次に鯉を食べさせ、さらには鯛まで食べさせるが、どうもわたくしは魚はあまり好みでは無いようだと言われ、当時は表立っては食べれなかったため薬と称して売られていた肉を食べさせる、まずは牛肉の味噌漬けを、それから山くじら(猪)、もみじ(鹿)、さくら(馬)と次々に食べさせた。


 風路は途中から酒も呑んでるもんだから気も大きくなって巾着の中身も気にせず大盤振る舞い。


「よっしゃ最後は十三里(焼き芋)で口直しだ!」


 すっかり日も暮れ、帰り際に良膳に頼まれた鰻の串を一本だけ買った後、廃寺に向かいながら狐少女に聞いてみた。


「どうだうめぇもんはあったか?」

「そうだな……」


 曖昧な返事をした少女は狐に化けると、風路が大事に持っていた鰻の串から鰻だけをぱくっと咥えて飲み込んでしまう。


「おい、馬鹿、それは良膳の!」


「馬鹿はお前だよ、化け狸」

「あんっ?」


「愉快愉快、馬鹿な狸を騙すのがこんなに愉しいとは思いもせなんだが、腹も心も満ち足りたぞっ」

 それだけ言うと踵を返し去ろうとする狐。


「てめぇ待て、何を言って……」


 風路が生意気な狐を捕まえようと手を伸ばした先のその体には立派な尻尾が、九本……。


「|玉藻前≪たまものまえ≫……?」

「ほう、妾を知っておったか、お馬鹿な狸にしては立派立派、|妲己≪だっき≫と勘違いせなんだ事は褒めてやろう、そうだな、褒美としてまたいつかお前のでさじゅのとやらに付き合ってやっても良いぞ」

「いや、だからオレは狸じゃ……てか、え?」


 ほーっほっほっほ。


 唖然とする風路を置いて、狐は夕闇に溶けていった。


 ・ ・ ・


「おう、遅かったな風路、朝飯食いに出ると言ってもう夕餉の時間も過ぎてるぞ、まぁ俺は一人気ままに目一杯ぐうたら出来て満足だがな」

 本当に満足そうな表情を浮かべている良膳。


「そ、そうか、それは良かった」

「で、俺の鰻の串は買えたかい」


 良膳が風路の手元を見ると、何も付いてない串を一本握っていた。


「何だそれ、何も付いてねーじゃねぇか」

「いや、さっきまで付いてたんだ鰻が、ほら、匂いがするだろ」


 良膳の鼻先へ串を差し出す風路。

「ふんふん、確かにこりゃ鰻の匂いだなってそんな事言ってんじゃねーよ俺は、どうした、腹が減って食っちまったのか」


「いや、まぁ、その」

 至極歯切れの悪い風路。


「まぁいいよ、成り行き聞くのもめんどくせぇ、とりあえず巾着返せ」

 風路がおそるおそる巾着を良膳に差し出す。


 ちゃり。


 良膳が巾着を受け取ると朝そこそこの重さがあった巾着の中身は残り十文ちょっと。


「おい、これじゃ蕎麦もくえねーじゃねーか、残りはどうした!」


 風路は、真剣な顔をして答える。


「……どうやら……狐に化かされたようで」


 しばしの間を置いて、突然、腹を抱えて笑い出す良膳。


「はーはっはっは、なんだそれ、てめぇ、落語の下げみてぇに言ってんじゃねーよ、はーっはっはっは、ひーっひっひっひ」


 怒られると思っていたが楽しそうに転げ回る良膳を見て困惑する風路。


 良膳はどこからともなく酒を取り出してきて言う。

「よし、今日の俺の晩飯は妖かしに化かされた妖かしって話をつまみに呑む事にすらぁ。ほら、成り行きを最初から話せ風路」


「お、おう、いや、それがな……」


 その日は夜が更けるまで人里離れた廃寺に良膳の笑い声が響き続けた。


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